20年の間に、79.7%であったものが、41.6%に低下。
この数字の意味するところは、ご存知でしょうか?
これは、子息・子女が親の事業を継ぐ割合に関する調査です。
一昔前ですと、子供が家業を継ぐのは当たり前でした。
むしろ、長男で、家業を継がなければその長男は下手をすれば、非難の対象とさえなった時代もあったようです。
しかし、現在はその常識は通用しなくなってきました。
後継者不足にあえぐ日本の中小企業。
なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。
私の著書です。
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Contents
良い時代だった?
メリットはあるのか?
まず、結論からお話します。
親の会社を継ぎたがらない子供が増えた原因は、簡単に言うと、「家業を継ぐメリットが感じられない」からです。
今、事業承継のタイミングを迎えている中小企業において、先代は1960年終盤~1970年代前半に
事業をスタート、もしくは承継しているケースが多いと思われます。
この時期の景気動向といえば、いざなぎ景気が終焉を迎えた暗黒の時代かもしれません。
公害問題が、企業の存在自体への批判を生み、
特に、1970年代は二度の石油ショックを経験します。
しかし、マクロ的に見てみると、1960年代、1970年代をとおして経済成長率がマイナスに割り込んだのは、1974年1回のみ。
一方、1993年~2012年のスパンで見ると、5回もマイナス成長の年を経験しています。
こう見てみると、ここ数十年と比べて、1970年代は成長基調にあったことがよくわかります。
サラリーマンの年収を見てみると、1965年以降は一貫して右肩上がり。
特に、1970年代の上昇カーブはインフレなどの影響もあるのでしょうが、急激なラインを示しています。
2000年以降の迷走と比較すると、
「今は大変だけど、頑張れば、よくなる」
といったムードが日本全体に流れていたような状態を想像できます。
つまり、1970年代、日々大変なことは多くとも、
「必ず、良い時が訪れる」
という希望を抱けた時代と言えるのではないでしょうか。
社会背景
ここまでは、ある程度イメージしやすい話かもしれません。
ここからは少し別の角度から見ていきます。
1950年代といえば、戦後復興期。
そして、1960年代といえば、安保闘争などに象徴されるように、身の回りに起こることが「自分ごと」ともいえる当事者意識を持っていた時代かもしれません。
それは、戦争という大きな悲しみを生々しく知る社会があり、そこへの怒りが、人の心を大きく動かしていたのでしょう。
しかし、現在、選挙の投票率はどんどん下がり、自分の身の回りに起こることに関して、一時ほど関心の持てない社会背景があるのではないでしょうか。
長きにわたる景気の低迷など、政治に対して多くの人が言いたいことはたくさんあるわけです。
戦争ほどではないかもしれませんが、世の中に対しての怒りを多くの人が持っています。
なのに、「自分で何とかしよう」という気概は、1960年代と比べれば、少し弱いようにも見えます。
その原因は、どこにあるのでしょうか?
「想い」の矛先はどこへ?
欲求の変化
そこで、検討してみたいのが、人の欲求が変わったのではないか?という事です。
多くのシーンで引用される、マズローの欲求5段階説をひも解いてみます。
マズローの欲求5段階説というのは、人の欲求には階層があるというものです。
それらを低次なものから並べると、以下の通りとなります。
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 所属と愛の欲求
- 承認(尊重)の欲求
- 自己実現の欲求
生理的欲求というのは、生き物としての根源的な欲求で、食欲、性欲や、排せつや睡眠にかかわるものといわれます。
安全の欲求というのは、安全に暮らしたいという思いで、住居であったり、明日の食事の心配をせずに済む経済環境であったりという事で満たされるようです。
生存・安全の欲求がある程度満たされているときに現れるのは、社会欲求と愛の欲求という事です。
社会の中での自分の役割を感じ取れたり、何らかのコミュニティに所属できていると感じられるときに満たされるもののようです。
ここから先の説明は省略します。
さて、戦時中、人は「安全」の欲求が満たされない状態にありました。
明日は、自分が死ぬかもしれない・・・という極限の状態で、まずは、命の安全の確保が最優先されたことでしょう。
そして、戦後、食糧難の中、やはり生きるために食べるものを確保することが、非常に重要な行為でした。1960年代になるとある程度最低限の食や身の安全が確保され始めます。
その結果、社会での役割を考えるようになり、様々な主義主張に関して声を発することが自分にとっての成長と感じられるようになったのではないかと思います。
現役世代の欲求
では、今の現役世代の人たちはどうでしょう。
1960年、1970年代生まれの人々は、生まれた時に、ひとまず安全の欲求は満たされた状態にいます。社会参加といっても、「戦争への怒り」は直接的にその影響を知らない世代です。
育った環境については、日本が紆余曲折を経ながらも、上を向いていた時代。自分たちの親を見てみると、とにかく無我夢中で働いています。
親は、日本経済が大きく膨らむ中、日々大変な仕事を持ってはいたものの、「努力さえすれば、明日はよくなる」という希望を持って働いていました。
1960年、1970年に生まれた人々は、親がお金や物のため、必死に働いた時代をつぶさに見てきました。そうして、その中で、「かぎっ子」と呼ばれ、家でひとり、親が帰るのを待ち続ける子供時代を過ごしました。
物質的な世界を追った親世代と、そのために取り残された子供。そんな世代であったのではないでしょうか。
近年、仕事を休んで子供の運動会を見学するする親が多いといいます。それは、かつて仕事を優先した自分の親の価値観からの脱却なのかもしれません。
また、核家族化が進むことで、社会とのかかわりが薄くなってきます。かつては、様々な人が出入りした家も、誰が訪ねてくるわけでもなく、そもそも両親は出かけているのですから、客が来るわけもないわけですが。
そうすると、「社会での役割を担う」といっても、1960年1970年代生まれの人たちにはピンときません。
確かに、あまり良いとは言えない経済情勢の中、政治に対する不満を持つ人もいるでしょう。しかし、もともと社会とのかかわりが希薄なので、傍観者になってしまいます。物質的に恵まれている世代ですから、なおさらですね。
また、教育制度についても、良し悪しは別としてかつて「愛国心」というわかりやすい価値がありました。今では軸の見えにくい状況になり、社会での役割を見つけにくくなっている現状があるのかもしれません。
さらには、自分たちの親が「よりよい生活を」と、お金や物を得るために働きづめた事に対するアンチテーゼとして、「お金は汚いもの」という印象がぬぐえなくなっている状況もあるのかもしれません。
戦後間もなくは、失われた日本を立て直すことが、社会参画の一つだったようにも思えます。
つまり、ビジネスで成功することが即、社会への貢献だったのかもしれません。当時「日本を復興させるために」と起業した方はほとんどいらっしゃらなかったでしょう。直接的な理由は、後述する通り、おそらく自己実現です。
しかし、それはすなわち、日本の復興とリンクすることを、無意識に悟っていたのでしょう。お金を儲けて、良い暮らし’(消費)をすることが、自分自身のためでもあり、社会のためでもある。だから、ブレーキを踏むことなく、時代を駆け抜けてこれたのかもしれません。
創業社長が起業した理由
自らの存在意義を問う
1960年代から1970年代にかけて、企業を創業された方は、どんな思いで創業されたのでしょうか。
- 一国一城の主になりたかった
- 自分を高めたかった
- より多い収入を得るため
- 社会的な地位を得たかった
等、様々理由はあったのでしょう。
ある心理学の先生は、起業される社長の多くは、「自身の無価値感から起業」する、とおっしゃっています。それはどういう事かといいますと、「自分は取るに足らない人間である」という前提があり、それを払拭するために起業するのだ、という事です。
例えば、ある創業社長は、農家の末子。食事も、家業を継ぐのも、長男が優先されることが前提です。弟たちは、それこそ、早く家を出て、食い扶ちを減らせと言われます。
そうやって進学の選択肢もなく、義務教育終了と同時に働き始めました。
この時点で、「自分は大切にされない取るに足らない人間」というセルフイメージが、潜在意識の奥深くに宿ります。
しかも、成績が良くても、進学という選択肢は与えられず、社会ではそれがコンプレックスになります。
いつかは、世の中を見返してやりたい。
そんな思いが、本人は意識しない心の奥深くで芽生えます。
もちろん、彼の両親とて悪気があったわけではありません。
それ以外に選択肢がなかったから、そうしただけの話です。
先代のモチベーション
実は、創業社長の多くは、これと近いバックグラウンドを持った人が多いのではないでしょうか?
例えば、厳しい両親に育てられ親に「認めてもらえる機会」が少なかったり、褒められることはなく、しかられた思い出しかないケース。
優秀な兄弟がいたため、自分が親に認められることがほとんどなかったというケース。
家庭環境が複雑で、親の愛を受けた経験が少ないケース。
様々なケースはあるでしょうが、基本的に「認められなかった」という思いが強い子供時代を過ごされている方が多いように思えます。
そうすると、彼らのモチベーションの源泉は、「人に認められること」という部分に集約されます。
だから、会社を興し、社長となる。
会社の業績を上げて、お金持ちになる。
いいものを身に着けたり、いい車に乗ったり、いい家を手にし、いい生活をする。
そうやって、世の中に認められている、という安心を手にすることができます。
つまり、創業社長の人生における目標は、明確なのです。
「人に認められる自分である事」
という言葉で表されるのではないでしょうか。
ゆえに、仕事も一生懸命、規律正しい生活をし、また、それを子供にも課します。
そこが、後継者たる子供の性格にも影響を及ぼすのですが、そこはまた別の機会にお話しできればと思います。
なぜ、仕事はつまらないのに、ボランティアに力を注ぐのか?
平等に扱っても不平等
かつてあった、「家督制度」。
その良し悪しは別として、わかりやすい制度であったと思います。嫡出子が、権利も責任も受け継ぐ。
相続争いが起こりようのないシステムです。
日本国憲法により、相続も平等であるべく方向が変わりました。このことは、「平等」という大切な価値観を作り上げた一方で、おかしな不均衡を生んでいる部分もあります。
例えば、親の事業を長男が継ぐ。
親の老後を長男夫婦が見る。
しかし、相続は平等に。
このことが、事業承継の問題をより複雑化させている現実があります。
中途半端に、長男の義務は世論として残っているのに、権利は長男最優先ではない、という現実があります。親としても、「平等に扱っている」といいつつ、誰かが事業を継ぐという時点で必ずと言っていいほど不平等が起こります。
一生懸命やっても報われない、そんな思いが潜在意識にあるのかもしれません。
かつて、日本経済が右肩上がりだったときは、事業を譲り受けた長男は兄弟姉妹の攻撃を受ける側でした。
しかし、今や、事業を受け継ぐこと自体がマイナス要素である、という評価を下す若者が多い。
大企業のサラリーマンの方が、安定した収入を得られる、という事です。
近年は、サラリーマンの安定感さえも崩壊しつつありますが、親の事業を継承すること対する評価は、かつてないほど低い現実があります。
その原因はどこにあるのでしょうか。
現代の若者は無気力なのか?
前段で、今の後継者世代は、「どこへ向かっていいか」が見えにくい世代だといいました。「自分探し」などという言葉がはやったのも、そんな世相を反映してのことでしょう。
今の後継者世代を、創業者世代は「無気力」な世代といいました。
しかし、「無気力」なのではなく、自分たちの社会での役割を知ることが困難な世代、と言い換えるべきではないでしょうか。
それが明確になったきっかけが、東北の大震災でした。今の若者は、仕事への情熱は今一つでも、ボランティアとなると俄然張り切って出かけるといいます。
自分でお金をかけて現地に赴き、汗水たらし、人のために仕事をするわけです。
その違いはどこにあるのでしょう?
私は、それこそが、マズローの欲求5段階説でいう社会における役割の発見だと思っています。
仕事では満たされないこの欲求を、彼らはボランティアという形で満たそうとしているのです。
ここに問題の核心があるように思えます。
子供は、本人が意識をしている、してないにかかわらず、社会の中での自分の役割を探し求めています。
その自分の持つ役割を、親の会社で務めることで見つけられるだろうか?
そんなところを無意識に察知するのではないでしょうか。
親の世代は、事業そのものを育てることが、社会における役割だと前項で申しあげました。子の時代は、事業を営み、経済活動を活発化させることに社会的な価値をリアルに感じにくい。
むしろ、「エコ」や「田舎暮らし」といったキーワードに代表されるように、やりすぎた経済活動への反感さえ持っているかもしれません。
さらに言うなら、「飢えを克服した初めての世代」ではないかとさえ感じています。
働かなければ飢える時代には、働く理由など深く考えなくてもよかったのです。しかし、飢えを克服した現代の若者は、働くにはそれなりの理由が必要なのです。
だから、かつてとは違った企業の社会性を身に着けなければ、後継者のみならず、リクルートにおいても劣勢に陥るのではないかと思われます。
前述したとおり、創業社長が「自己実現」という目的を持って、起業したという事が事実であるとすれば、子にとって、父の自己実現の手伝いをすることだけが自分の喜びなのでしょうか?ここが一つの分かれ道になっているのではないでしょうか。
結論
子供が、親の会社を継がないケースが多いといいます。
その原因を、少し変わったところから検証してみました。
そこから私が導き出した結論は、こんな感じではないでしょうか。
親の世代は自己実現のために会社を興したケースが多いと思われます。
そして後継者である子どもたちは、その親の思いの一部犠牲になった時期があるのではないかと思うのです。
最も親の愛を欲していたときに、親は仕事で家にいなかったという状況です。
そういった経験から、潜在的に(自分では意識していないのですが)親とその仕事や、お金を稼ぐということそのものに嫌悪感を感じてしまいがちなのではないでしょうか。
むしろそういった生々しさとは遮断された一般企業に勤めたほうが、気が楽なのです。
そのような状況にある時、たぶん大事なのは親と会社をイメージとして分離することではないかと思うのです。
そういった市場を挟む余地がないように、親は親、子は子、ということで距離感を保つ。
親子以外でつながる何かが必要になってくるのではないかと思います。
その一つの例として、会社という公器を通じて、自分がどのような影響を社会に与えていくのか?という問い。ここへの答えを持つことができないでいるとしたら、それは後継者難の一つの原因であると思われます。
もし、子息が家業を継がない、とお悩みをお持ちの創業者の方がいらっしゃるとすれば、まずは、会社が何のために存在するのかを良く考えてみて頂きたいと思います。
その時に、「創業者の自己実現」ともいえるキーワードしか思い浮かばないとすれば、会社自体を大きく方向転換するタイミングです。
さすがに、「(創業)社長を裕福にさせる」ために心底頑張れる人などなかなかいないでしょう。
だから、全社員、そしてご子息が乗れる夢を会社としては掲げる必要があります。
とはいえ、しっくりくる夢というのはなかなか見つからないものです。
あるいは数年、数十年かけて探すこともあります。
逆に付け焼刃は逆効果となることが多いので、慎重に検討する必要があります。それまで世代交代は待てないでしょうから、そういった方向への転換を子息ともに考えるのも一考ではないでしょうか。
改めて問います。
あなたの会社は、何のために存在しますか?
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