後継者

今の環境に満足できない家業の跡継ぎが人生を転換する方法

一昔前、人生にはロールモデルがありました。
しかし今は、それがありません。

具体的に言うと、いい大学を出て、いい会社に就職すること。
そうすれば勝ち組、といわれていたわけです。
しかしあるメガバンクに就職を決めた知人のご子息は、愕然としました。
彼が入社した年、その銀行は数万人単位のリストラを発表。
昭和の価値観をもった親の言うとおりに学び、就職した結果、とんでもないババを引いてしまったと感じたそうです。

では今の時代において、何が勝ち組でしょうか?
YouTuberになることなのか、あるいは安定が見込める公務員なのか。
パターン化されたお手本がないのが今の時代。

その結果、かつてのパターンの一つであった
親が商売をやっているなら長男(長女あるいはその婿)は親の商売をすぐべし
というかつての常識も消えつつあります。

それでも、親の助けになれば、と家業を継ごうとした後継者はメガバンクに就職した彼とは違う意味でショックを受けます。
ここに、自分の居場所はないのではないか、という孤独の中に突き落とされるのです。

しかし、メガバンクに就職した彼も、後継者として家業を継ごうという彼も、実は同じ部分で間違いを犯しているのです。

 

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他人軸で生きることが美談になった時代

昭和に会社を引き継いだ社長たち

今、会社の二代目、三代目の候補として会社にいる人たちは、大体年齢的に30歳代から40歳代の方が多いのではないかと思います。
私がお付き合いさせていただいている二代目社長のうち数名は、今もう60歳代になっている人たちがいます。
親はすでに亡くなっているか、80歳代後半だったりする方々です。
だから私たちの先輩にあたる二代目経営者と言えるでしょう。
この方たちも、親が起業し、その跡を継いだ形になるのですが、少し私たちの時と様子が違うように思います。

ちょうど彼らが親から会社を引き継いだのが、バブル前後だったりするのではないかとおもいます。つまり、日本経済がなんだかんだ言って上を向いており、人口もまだまだ増えている時期でした。
彼らから話を聞くと、肉体的な大変さはあったようです。朝から晩まで働き詰め。とにかく直線的な努力で、親がやってきたことを、親がやってきたままこなしていく。

特別何か新しいことを考える、ということもなく都度都度必要な改良は加えたものの、同じ業種、同じビジネスモデル、同じ体制の延長線上で仕事をしてきた、ということのようです。シンプルに言えば、目の前にある仕事のことだけ考えていればいい、ということだったようです。

親の代わりとしてのパーツを務めた後継者

彼らが親の会社を継ぐに際しては、基本的にほかの選択肢は与えられなかったといいます。
今以上に親子の関係が厳格だった昭和の時代です。親の言うことは絶対で、そこに逆らうことは許されなかった時代ですからそれも無理もありません。

この時代に親の会社を継いだ人たちは、選択肢を与えられなかったという息苦しさはあったかもしれませんが、一方で、社会全体がそんな感じでしたから、案外「そんなもの」と受け止めていたのかもしれません。
そもそも違う選択肢があることを知らなければ、違う選択肢のことを考えることもありません。
カラーバリエーションがある事を知っていたら選べるものの、黒色しかありませんといわれればそれを選択するしかありません。
それと同じで、他に選ぶことができないなら、選択肢がある事を知らないほうが幸せです。

こういった人たちは、少し表現は悪いかもしれませんが、会社の中の「社長」というパズルのピースがあって、そこに先代と同じ形になった自分をはめ込むことで会社を存続させてきたように思います。
同じジャンルの仕事、同じやり方の仕事を継続することが彼らにとってのミッションで、そこから外に出る必要はなかったのです。考えることなく行動できることはある意味楽です。

Alexas_FotosによるPixabayからの画像

昭和時代の経営継承の良さと怖さ

この時代に経営継承を行った場合、後継者は親と同じ行動をまねすればよかったので、ある意味楽ではあったかもしれません。
手本に忠実であればよいのですから。
しかし一方で、その手本に自分を近づけなければならない苦労はあったはずです。たとえば、そもそも人とのコミュニケーションが得意ではなく、むしろ、新しいアイデアをひとりで創造し、なにかを生み出すのが好きな後継者であったとしても、彼の役割は伝統的な仕事をマスターすることです。親がやってきたような外交を行うことを強いられてしまいます。
得意なことと、マスターすべき仕事がまったく正反対。そういった部分に葛藤を覚えつつも、そこに没頭しなければ生きている意味がないとさえ思えた時代でしょうから、親のコピーになるべく必死に努力します。

選択肢がないというのは、そういった集中を促す効果はあるのでしょう。多くの人が、その環境に適合していきました。なぜならば、結果として、先代が求める後継者の姿と、ほかの従業員が考える後継者の姿と、後継者自身が目指す自分の姿が基本的に一致しているからです。

しかしこれは、今風に言えば他人軸で生きていることにほかなりません。何しろ自分の個性を殺して、何者か(この場合は親)のコピーになろうとするのですから。

多様な価値観が認められる中で他人軸を生きるという苦痛

人生のロールモデルは変わった

さて、冒頭にお話ししたとおり、昭和の時代にはほぼぶれることのない、社会一般が認める人生の必勝パターンが提示されていました。言ってみれば人生のマニュアルです。いい会社を出て、いい会社に生涯をささげる。後継者ならずとも、昭和に生まれ育った私たちはそんな価値観を親や社会から植え付けられてきました。

それとは別に、親の会社があるならば、長男(長女やその婿)はその会社を継ぐべき、というもう一つの人生マニュアルも現存します。

しかし、前者のマニュアルは今や崩壊寸前です。誰もが知る常識は、どんな会社だっていつどうなるかわからない、というものです。また、そういった会社で勝ち残ることが、人として幸せかどうかは怪しい、という考え方も出てきていると思います。私もリアルに見ていて、大企業の社員が次々とうつ病で倒れたり、自分の思いを口にする代わりに、上司から言いつけられた心にもない言葉をお客さんの前でしゃべらされるシーンを目にし、彼らのことをかわいそうだなぁ、とさえ思うこともあるくらいです。

もはや、絶対的で普遍的な必勝パターンはない。
むしろ、自分自身が、自分で納得できる道を選ぶのが重要だという風に感じているのではないでしょうか。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

収入が一定レベルを超えると収入と幸福度は比例しない

なぜそんな変化が現れたのでしょうか。
それにはいくつかの理由が考えられます。それは、日本という国が豊かになったから、といえるかもしれません。
近年ときおり、様々な国の「幸福度」を比較する表を見たことはないでしょうか?
この幸福度というのは、そもそも、何を基準にしているかご存知ですか?

実は、かつては、そもそもGDPが幸せの指標だったそうです。
収入が増えれば、幸福度も高まる、というのが基本的な考え方でした。
たとえば、ダニエル・カーネマンの研究によると、
『感情的幸福は年収7万5000ドル(約900万円)までは収入に比例して増えまるが、それを超えると比例しなくなる』
という結果が出たそうです。

実はこれと似た研究結果は多数あり、私達の収入は900万円という額が正しいかどうかはばらつきがあるものの、一定レベルまでは比例する。
しかし、それを超えると、収入の額が増えたほどには幸福度は高まらないことがわかっています。

ここから考えると、物質的な豊かさがまだまだ行き渡っていなかった昭和時代の日本においては、収入の高さこそが幸せそのものであったわけです。
となると、働き甲斐とか、やりがい、生きがいなんて言うものを語る前に、まずは物質的に豊かになることが求められたのでしょう。
つまり、昭和時代の人生のロールモデルが目指したのは唯一、物質的な豊かさを求めたものではないかと思われます。
そういった目標を掲げるにおいて、他人軸とか自分軸とか、そういったことはどうでもよくて、とにかく物質的に豊かになることを無心に目指した時代がこの時代ではないかと思います。
そしてそれがピークに達したのが、バブル経済だったのかもしれません。

生まれてから一定程度の豊かさを経験した私たち

多くの場合、親が経営者をやっている場合、中程度の生活水準よりは上の生活をしているケースが多いと思います。
もちろんそうでないケースもたくさんありますが、少なくとも生活に困窮しているケースはそう多くはないでしょう。
先ほど出た、年収900万円を実現しているかどうかはわかりませんが、まあそこそこお金には困っていない。
そういう環境で育った今の30歳代~40歳代の後継者は、すでに一定レベルの物質的な豊かさは手に入っています。
すると、かつて、昭和時代の経営者が目指した「豊かさを目指せ」といった画一的な目標が無効になります。

もちろん、もっと豊かになりたいという希望はありますが、それは心の奥底からこみあげてくるような強い思いではないケースが多いと思います。
これが後継者が、おっとりしているとか、控えめとかいわれる原因ではないかと思います。
お金にがつがつしていないのです。

そうすると、お金のために自分で殺して生きていくというのが、たまらなくツラくなってきます。
しかも、周囲を見回すと、みんながみんな「どんな環境でもとにかく富を目指してがむしゃらに働く」といったメンタリティから、「自分らしく生きがいを求めて生きていく」というメンタリティにかわっています。
私はいろんなところで言っていますが、その人にとっての常識は、所属するコミュニティの多数意見です。
つまり、自分らしく生きようという社会に住む私たちは、自分らしく生きることが正しい事であり、親が目指した金銭的な豊かさではなく、自分たちが目指すのは精神的な豊かさである、ということを潜在的に秘めているのではないでしょうか。

そこで現場を見回してみると、そこには昭和的価値観が支配的で、自分はそういった昭和的価値観のなかでもがいていた、という事に気付くわけです。
昭和的価値観に毒された世界の中で、自分だけが違う価値観を持ち、会社をそういった価値観にアジャストしていきたいにもかかわらず、昭和税に押し戻されてしまう。
そんな押し問答に疲れて、闘争と逃走を繰り返す後継者が多く存在しているように思います。

唯一の抜け道

自分と世間のギャップを埋める方法

こういった昭和と現代の価値観のはざまで苦しむ後継者が、どうすれば自分の生き方を取り戻すことができるのでしょうか。
じつはこれは、親に言われるがまま昭和的ロールモデルの中でメガバンクに就職した彼も同じことが言えます。
それは、
①自分の境遇は自分が選んだものであることを受け入れる
②自分の責任において次の行動を決定する
③自分が決めた行動を行い、試行錯誤を始める
という三つのステップで、今の苦境から抜け出すことが可能です。

Step①自分の境遇は自分が選んだものであることを受け入れる

後継者であれ、そうでない場合であれ、今自分が置かれた境遇に悩み苦しんでいる人は、まずはその境遇を自分で決めてここにやってきたことを受け入れることが必要です。
多くの場合、それができずに、誰かの責任にすることで、自分が不遇な状況にある事を納得しているのです。

少したとえ話をしましょう。(古臭いにおいの話ですみませんが)
ある少年が、大学を卒業すれば音楽活動をしたい、と考えたとします。
そして大学卒業後、上京し、そこでいろんなオーディションやライブに出て名前を売ろうと考えます。
その思いを親に話したところ、親はこういいます。
「そんな仕事で食べていけるわけないだろ。とにかくまじめに就職しなさい」
彼はそれに従い、地元企業に就職しました。

仕事は何の生きがいも感じることができず、音楽への思いは募るばかり。
しかし、その状況を変えることなく定年退職。
ああ、あの時に、何年か音楽活動をやっていたら、もっと充実した人生だったかもしれないのに。
あの時親が止めたから、自分は人生の楽しみを失ったんだ。
そんな悔いを残して少年は一生を終えました。

 

・・・なんとも切ない話ですね。
けど、この話で、きっと皆さんもおかしい、と思った点があるんじゃないでしょうか。
一生の楽しみを失った原因を彼は親のせいにしています。
けど、親は親の考えがあって少年の無謀な行動を止めましたが、行動しなかったのは結局は少年です。

親から批判されることを恐れたのかもしれませんし、
将来の食い扶持が確保できないかもしれない不安定さを恐れたのかもしれませんし、
周囲から向けられる目が怖かったのかもしれませんし、
プー太郎と陰口をたたかれるのが怖かったのかもしれません。
なんにせよ、音楽活動をしなかったのは、少年であることは疑うことのない事実です。
少年は自ら、音楽活動をしないと決めたから、音楽活動が始まらなかったのです。

 

では、この話を自分たちに当てはめてみましょう。
親の言うとおりに大学を出てメガバンクに就職したのも、
親の期待通り親の会社に就職したのも、
私達自身です。
それを決めるときに、親にガッカリされては嫌だな、と思ったのも自分だし、
親に愛想をつかされるかもしれないから言う通り使用、と思ったのも自分です。

これを、親が悪いと、親のせいにしているうちは、私達には生涯満たされた人生を送ることができないと思います。
まずは、自分が決めたから今この場にいる、ということをしっかりと受け止めることから始まります。

Step②自分の責任において次の行動を決定する

今までのことについて、自分で決めたこと、とちゃんと受け入れることができたとしたら、次にすることは決断です。
なんだかんだ言って、今この場にいるのは、自分の決断ではあるものの、それは恐らく「面倒を避けてやってきた」のが今の地ではないでしょうか。
これを断ると親がイヤな顔をするだろうからとか、ひどい場合には親に脅迫めいたことを言われた人もいるみたいですね。
その時に逆らうと厄介なことになるから、という風に面倒を避けて、流されてきた場所がここだとすると、こんども同じように面倒を避け続ければ同じことが起こります。

だから、ここで潮目を変える必要があります。
どうするかと言えば、自分の内面から出てくる考えをベースに物事を決める習慣を作ることです。
人は自分独自の考えが浮かんだ瞬間、社会常識のフィルターだったり、親に批判されるかもという面倒を避けるためのフィルターだったりが発動し、自分で認識できる前に消されていることが少なからずあります。

そういった癖がついているので、まずはその癖に気付く必要があります。
そのうえで、やるかやらないかを判断する。
そういったことを繰り返していきます。

ひとはたとえば、逆のパターンで意味もなく行動することもあります。
例えば私の場合は、おなかが空いていなくても、時間が来ればちゃんと一日三食食べないときがすみません。
そして、出されたものはどんなに多くても、すべて食べきる癖がついています。
無意識な行動習慣なのですが、これは例えば、子どものころに「たくさん食べたね」とほめられたことがうれしくて、それがずっと記憶の奥底に残っていてたくさん食べることでかまってもらえる、という習慣が体に染みついているからではないかと思います。
だから太るので、この習慣は変えたいと思うのですが、変えるためにそういう習慣がある事にまずは気づく必要があります。

だからご自身の決定の一つ一つをまずは疑ってみることから始めるといいかもしれません。
例えばフッと、「営業社員の尻を叩かねば」と思ったとき、「いやいやそれって本当に必要か?」と考えてみます。
再考して、必要ならそうすればいいとおもいます。
それは意識をしてやっている事です。
しかし、違う方法があるかも、と思うならその方法を追求してみることをお勧めします。

Step③自分が決めた行動を行い、試行錯誤を始める

そうやって、自分の行動を意識したところで、「これは本当に自分がやりたいと思っている事だろうか?」と思うことも多々あると思います。
そうすると、どうしても「正しい事」を一生懸命探すことになりがちです。
後継者の人は間違うことが大嫌いな人が多いので、一発で正解を出すために考えて、考えて、そして行動しない、という事になりがちです。

ただ、いきなり正しい答えが出ることはまずありません。
なんでもやってみて、経験したうえで、五感で感じるフィードバックから改善項目がいくつか思いつくようになります。
そうして改善した形でやってみて、経験すると、さらにまた五感で何かを感じるはずです。
その作業を何度か繰り返しているうちに、「ああ、もしかしたらこうなのかも」という仮説のようなものが出来上がってきます。
後はその仮説を検証すべく何度も何度も実践を繰り返していく中で、人は成長し、今まで見えなかったものが見えるようになるようです。

まとめ

家業を継ぐ跡取りとして親の会社に入るという道を選んだ後継者がいると、それは一般的には、家業を持つ家に生まれた子供の義務として、今この場にいるような錯覚を覚えることがあります。
確かに、昭和時代においては、幸せの最大化は所得の最大化とリンクすると考えられていましたから、例えばサラリーマンにおいてはいい大学を出ていい会社に就職すること、家業を持つ親にしてみれば家の経営を手伝うことが、子どもに対する「幸せな人生を過ごすための正しい道」という風に信じてやまなかったのだと思います。
しかし、実際のところ、所得と幸福度の関連性は、一定程度の生活レベルを達成辞した時点から相関関係が薄れてきます。
すでに、その一定程度の生活レベルの中で育った後継者にとっては、もはや幸せの価値観は別のところにあります。
だから後継者の目指す幸せは、親が考える幸せと違う場所になる、と考えられます。

しかし、何も知らず親の跡を継ごうとここまで来た後継者は、その道に誤ったと気づき始めているかもしれません。
そして上手くいかない現実と、自分が今ここに立っている理由を結び付けて、あたかも自分の境遇のせいで自分が幸せでないかのような思い込みを持ちがちです。
ところが、そう考えているうちは、何をやってもおそらく満たされることはありません。
もし今満たされない想いがあるとしたら、まずは今の境遇を受け入れることから始める必要があります。
今の自分は、自分が決めてきたことの結果である、という事を受け入れるという事です。

そうしたうえで、自分の人生の責任を自分で握っている、つまりハンドルを親の価値観に任せるのではなく自分が握る決心をすることから始めることが必要です。
それは親に反抗しろと言っているわけではありません。
親の考え方は考え方として尊重しつつも、自分の考えを明らかにして、自分の道を自分で考えて動き始めることが大事だと思われます。

すべてを一気にというわけにはいかないでしょうが、そこは試行錯誤をする覚悟でまずは一歩を踏み出してみましょう。
覚悟し、行動を始めれば、目に見える世界は変わります。
世界が変われば、行動はさらに加速されるでしょう。
その第一歩をどこから踏み出すのか。
今この記事を読んでいるあなたが考えるべきなのは、その一点ではないでしょうか。

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