後継者

【長文なので閲覧注意】同族会社の二代目社長が会社の新たな戦略作り上げるための教科書~会社の在り方編

この文章を読んでいただくに際して、初めに三つ謝罪します。
●私のようなへっぽこ二代目が、生意気を言ってごめんなさい。
●効果を保証しなくてごめんなさい。
●超長文であなたの時間を奪ってごめんなさい。

さて、ここでゴーマンかまして言わせていただきます。
「戦略とは、目的を達するための”流れ”である」
偉人の格言ぶった言い方をすると、私の理解はそんな感じです。

私はしがない零細企業の二代目社長。
ハッキリ言って、私の代になって売り上げが○倍になったとかいう、
輝かしい実績を持っているわけではありません。
ですから、これこそが正しい、と言い切るつもりはありません。

これを読んでるあなたに、業績を何百パーセントアップ!なんていうものを約束できるものでもありません。
ただ、やっとこさ、きっとこういう事だろう・・・
そんな確信めいたものがつかめた気がしています。

それをまとめて、小冊子にしようと思っています。
本稿はその下書きというか、ラフスケッチというか。
その小冊子は一定の条件のもと配布する予定なので、
ここで何の条件もなく読んでいただける事は、特典だと勝手に思っています。

勝手に公開するのは私の自由。
もちろんあなたがこれを読むのも読まないのも自由です。
相当長いので、いつ、どこで読む事を辞めても自由です。

中身の大半は、ビジネス書のカケラを切り貼りしたものです。
唯一いえるのは、大なり小なり私自身が取り入れている考え方。
それを、未だ経営というものをよく知らない、という同族企業の後継者のために、
出来るだけかみ砕いて書くべく注意を払いました。

なぜ閲覧注意かというと・・・長いからです。

もし、よろしければご覧ください。

本が出版されました!
関心を持っていただいた方は、画像をクリック。

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企業は利益を追求すると破たんする!?

そもそも経営戦略ってなに?

経営戦略とは何ぞや?という定義に何の意味もない。
そうおっしゃる方もいるかもしれません。
しかし、ほんの少し我慢してお付き合いいただきたい。

「経営戦略とは?」とGoogleで検索すると、トップに出るのがこの定義でした。

経営戦略とは、企業の持続的競争優位を確立するための基本的な考え方。

グロービス経営大学院・MBA用語集

ハッキリ言って、よくわかりません。
もともと、戦略というのは軍事用語です。
その元ネタ、しかも大元の英単語「strategy」を紐解いてみましょう。

(目的達成のための)計略、策略、計画、方策、方法、手順。

Weblio英和辞典

さらにそこには、こうあります。

語源はギリシャ語「軍を導くこと」の意

やっとそれらしい言葉にぶつかりました。

 

どうやら、経営戦略というのは、会社をあるところに導く事、と考えられそうです。
じゃあ、それはどういう状態なのでしょうか。
私の解釈によると、それは会社の目的。
すなわち理念の実現に導くこと。
それが経営戦略だといえるのではないかと思うのです。

会社の目的は「利益」であるという勘違い

これから会社の経営に携わるであろう二代目経営者やその候補者の方は、
経営という実態の見えにくいものに戸惑うこともあるでしょう。
そこで、会社の目的を考えてみましょう。
あなたの会社は、何のために存在しているのでしょうか?

よくある答えがこんなものです。
「営利企業(利益を追求する企業)である以上、利益を出すのが目的じゃないか」
ブブーです。

じゃあ、事例を交えて考えてみましょう。
かつて、賞味期限や産地の偽装事件がありました。
賞味期限切れの食品を売っていたり、
産地を偽って売っていたという事件ですね。

もし、企業の目的が「利益」であれば、これを責めることはできません。
なぜなら、目的達成のためには、コストを抑え、高く売るのが単純な公式です。
企業が利益の最大化を目的にするなら、そういう方向性にならざるを得ないのです。

それは言いすぎだろ。
利益を追求するが企業の目的ではあるけど、
最低限の倫理や法律は守るのは当たり前だろ。
そんな声が聞こえてきそうです。
そこについては、もう少し考えてみましょう。

会社の目的が「利益の最大化」であった場合に起こる組織の綱引き

ゲームにはルールがあります。
どんなスポーツでも審判がいるのは、公正な条件で戦う土壌を作るためです。
じゃあ、企業においてはいかがでしょうか。
法律というルールブックはありますが、逐一プレイを監視する審判はいません。

それではさすがにまずいので、企業は社内に審判に当たる部門を作ります。
つまり、点を採れ!(利益をあげろ!)というチームと、
ルールを守れ!(法律や倫理を守れ!)というチームが社内に混在します。

特に大きな企業では、このチームは別々に存在します。
それぞれのチームのリーダーは、利益を上げることが最優先事項の人と、
ルール違反を防止することが最優先事項の人に二分されます。

さて、ここで一つ目の問題が出てきます。
ルール違反を監視するチームは、会社の目的にコミットしているようには見えません。
利益を最大化するのが会社の目的という過程において、利益最大化チームの動きを制限する働きをしなくてはなりません。
このチームに所属する社員は、会社の目的からは外れたはぐれもの。
営業や製造といった利益貢献チームは、ルール監視チームを目の敵にするかもしれません。

つまり、そもそも会社は一体になりえないのです。

それは詭弁だろ!

はい。この時点で、あなたの心の中にちょっとした反発の言葉が出ているかもしれません。
お前の言う事は詭弁だ、と。
そりゃ、まともに考えれば、利益の最大化といったって、不祥事で会社が傾けば意味がない。
だから、ルールを守るなんて当然だ!

ごもっともです・・・
と言いたいところですが、実際はそうではない。

企業は、基本、1年に一回、決算としてその年の収支を締めます。
会社にとって1年は大きなひとくくりになります。
社内で働く社員にとっては、その1年の業績が今後の給与や、ボーナス、人事評価に反映します。
すると、社員はこの1年間での自分の成績の最適化を考えます。

特に大企業であれば、数年単位で配置換えが行われます。
極端な言い方をすれば、その数年の間に成果をあげねばならず、
その間に作った組織が自分の転属の後に成果をあげても意味がないのです。

さらに上場企業であれば、株主の評価にさらされます。
長期的な成長が見込めるなら、今年は減収でもいい、と社内で考えていたとしましょう。
しかし、株主がそれを納得するかも疑わしいし、それを自信をもって説明できる経営者もほとんどいません。
それは考えようによっては、やはり戦略がないからです。

もちろん大企業に限った話ではありません。
私自身の経験上も、ルールを守ろうとして叱られたケースは枚挙にいとまがありません。
「お前は商売をわかっていない!」
と叱られたものです。

なぜ同族企業に不祥事が多いのか?

事実かどうかを検証したわけではありませんが、なんとなく報道を見ていると、同族企業に不祥事が多いように言われます。
これはこれで、納得できる理由があります。

まず、今、同族企業において絶大の権力を誇る社長がいるとすれば、大体60歳~70歳代の方ではないでしょうか。
この世代の方は、私に言わせれば、イケイケ世代です。
日本経済が右肩上がりで、人口も経済規模も大きく伸びてた時代。
この時代のビジネスは、陣取り合戦みたいなものです。
増大していく市場、それに伴って増える企業。
この中で勝ち残るには、顧客を他社から奪い、市場を奪い、とことん前のめりの活動が必要だったのでしょう。

彼らが若かった時代というのは、交通戦争と言って自動車事故死亡者が社会問題になったり、
各種公害病が問題になったりと、モラルより経済優先。
先程の、利益優先か、ルール優先か、という話ではありませんが、日本が全体的に経済重視、利益重視の時代だったように思います。

この時代を生き抜いた人ですから、ラフプレイはお手の物。
きわどいプレイをしなければ勝てない、と信じられていたことでしょう。
時代は変わり、ルールを守ることが求められても、そんな時代を生き抜いた人が、品行方正にするのは難しい。

しかも、現代の経営環境は、当時より厳しくなってきているのです。
同じ事をやっていてももうからない。

売り上げることは難しくなった一方、企業倫理は強く求められる。
上と下で会社の経営は厳しくなる一方です。
売上が上がらないなら、コストをカットしなければ利益が出せません。
結果として、リストラを行ったり、ブラック企業化したり、仕入れや販売コストを下げるためウソをつく。
同族企業でも大企業であれば、これを抑止する立場の人間がいるわけです。
コンプライアンス部門だったり、社内監査部門だったりするのでしょう。
しかし、同族企業で絶対的な権力を持つ社長を止めることができる人はいない。
形の上では、綱引きをしてルールを守らせようとする部門があるのですが、機能しないわけです。
結局、鶴の一声で危ない橋を渡る傾向が強くなる。

 

中小企業の場合は、利益アップの旗振りと、ルールの見張り番を同じ人がやっている場合も少なからずあります。
それが社長であれば、どうしても利益アップに偏ります。
それが専務などのナンバーツーであれば、やはり利益アップに偏ります。
なぜなら、トップは利益をあげなければ自分を評価してくれないからです。

もちろん、すべての同族企業がそうではありません。
普通は企業が大きくなる過程では、組織化が進みますから同族経営者の発言力は相対的に低くなります。
しかし、組織化せずとも企業を成長させるほどの抜きんでた経営者は、圧倒的な発言力を保ち続けます。
逆に言えば、自分に異を唱える社員は次々と更迭している可能性も高い。
結果として歯止めが利かず、行くところまで行ってしまう。
そんなシナリオが同族企業の内部にはあるのではないでしょうか。

企業の目的が利益では自然な流れができにくい

色々と話が飛びましたが、ここでの結論は、企業の目的は利益の最大化ではない、という事。
もし、利益が起業の目的であるとすれば、企業というのは危ういバランスの中で存在せざるを得ない。
売上アップが簡単にできるのであればよいのですが、そうでなければコストカットが必要です。
コストをカットするには、人を減らしたり、工程を減らしたり、仕入れ値を下げたり。
品質低下や、ブラック企業化、社会との不調和という問題が出てきます。
それは売り上げを下げる要因となり、利益を下げる要因にもなります。

利益を上げようとすればするほど、利益が下がるというジレンマに囚われてしまう可能性があるのです。

企業の真の目的と経営戦略

川の流れのように・・・

私の個人的な感覚なんですが、自然の世界と経営の世界、基本的に同じです。
川の水が川上から川下に流れるように、自然の摂理に従って行う経営が一番ストレスが少ない。
となると、利益とモラルの綱引きが起こっている状態は不自然すぎます。

そこで引用したいのが、かの有名なピーター・ドラッカー先生のお考えです。

事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者も同じように答える。
この答えは間違いなだけではない。的はずれである。

事業の目的として有効な定義はただひとつである。
それは顧客を創造することである。

現代の経営(ピーター・ドラッカー)

利益を目的とした事業体など、的外れだと指摘しています。
つまり、世の中の多くのビジネスパースンは、事業を的外れに捉えています。

えー、なんで?
だって、お金がなければ企業は成り立たないし、なんのために働いているのかわからない。
いや、そもそも、これって青臭いキレイごとじゃないか。

そう思われる方もいらっしゃると思います。
私もその一人でした。
しかし、会社の事を真剣に考え、社員のモチベーションの事を真剣に考えると、
自然の摂理に則って経営しようと思うと、これ以外にあり得ないのです。

そこを一つ一つ考えていきましょう。

あ、こんな話、先代にしないほうがいいと思います。
なぜなら、
「お前はわかっていない。」
と言われるだけです。

お金のために働くのか?

じゃあ、相変わらず利益を目的として会社を運営しようとしたとしましょう。
私達は、お金のために働きます。
そういう前提で考えると、儲かれば何でもいいわけです。
今あなたが手にしている商品やサービスも、自分たちがお金を得るための手段です。

しかし、現実は、
「この商品は、年々利益の幅が減ってきて…」
そういう話でもちきりです。
じゃあ、そんな儲からない商品、早く手放してしまえばいいのです。
儲かる商品を扱えばいいし、儲かるサービスを探し求めればいい。
利益のために働いているのに、儲からない商品を扱ってる時点で、
あなたは怠慢なのです。

え?極端すぎる?
そんなことありません。
企業の目的が利益なら、より利益が出る商品を扱い、
より利益が出る販売方法をとり、
より利益が出る展開を行う。
当たり前の事じゃないですか。

なぜそうしないのか。
その答えはシンプルです。
それでは企業を継続することができないからです。

たとえば、新しい簡単に儲かるビジネスができたとしましょう。
それに飛びつきます。
とうぜん、そのビジネスには甘い砂糖に群がる蟻のように、誰もが飛びつきます。
その結果、顧客の取り合いが生じます。
顧客の取り合いのなかで、価格は下がります。
そして利益の幅は小さくなります。

利幅が減るのでカスタマーサポートを縮小します。
顧客の満足度は悪化、結局、リピートして買っていただけない。
悪評が立ち、ビジネスは立ち行かなくなる。

その間に次のビジネスを見つける。
競争が激しくなる。
値段が下がる。
・・・これを続ける間に、その企業の悪評は世間にとどろく。
少なくとも同じ事業体で、どんなビジネスであれやっていく事は難しくなるでしょう。

今の事業も同じことが起こっていないか?

最後の悪評が立つ…というところは別として、
ビジネスが出来上がる → 競争激化 → 利益率悪化 → 経営困難
といったサイクルはどんな商品やサービスでも必ず起こります。
そのサイクルが、期間として長いか短いかの違いだけです。

お金のために働く以上は、このサイクルの都度なにをやるかを考えていかねばならない。
常に変化というより、変身しなければならないわけです。

そこで考えたいのは、企業としての継続性です。
この間に何が経験として蓄積されるのでしょうか。
設備投資は商品が変われば、使い物にならなくなるかもしれない。
経験は、扱う商品やサービスが変われば、意味をなさないかもしれない。
つまり、一つの事業体として継続性を維持する理由が見当たりません。

ただ、商品やサービスを変えることが悪いと言っているわけではありません。
しかし何の関連性もなく、儲かるからあれもやる、これもやる、では社内の混乱も相当なものでしょう。

だから、企業の”目的”が重要になってくるわけです。
いいかえれば、企業の存在理由と言えるかもしれません。
実は、これこそが企業の経営理念と言われるものではないか、と私は考えています。

「顧客を創造する」という言葉の意味

ここで、ドラッカー先生の言う

事業の目的として有効な定義はただひとつである。
それは顧客を創造することである。

という話に立ち返ってみましょう。

 

顧客を創造する、というのは言葉面をとらえると、
「お客さんを増やす」
という意味にとらえられそうです。

これはもちろん誤りではありません。
先程の、「お金を目的とした企業」という成り立ちであっても、商品やサービスを変えたところで、常に同じ顧客が対象であれば事業の継続性は確保できそうです。
なにしろ、新規のお客さんをゼロから開拓するのは、コストも時間もかかります。
常に一定の顧客名簿があって、その顧客名簿に情報を出せば売れる。
そういう公式が成り立つのであれば、商品やサービスを変えても企業の継続性は確保できそうです。

ただ、そうなると、「お金最優先」でのビジネスは難しくなります。
なぜなら、その顧客名簿は、偏りがあるからです。
たとえば、「健康増進サプリ」でつながったお客さんがいたとします。
このお客さんは、基本的に健康に関心のある人たちでしょう。
では、次にこの顧客名簿に、儲かるからと言って「スマホの新規契約」というサービスを売り込んだとしましょう。
買う人もいるし、買わない人もいる。
むしろ、買わない人の方が多いでしょう。

理由は単純で、この顧客のグループは「健康に関心があるらしい」という共通点はありそうです。
しかし、スマホの新規契約に関心があるとは言えない。
やるならば、例えば、健康グッズ、トレーニンググッズ、ヨガなどの教材、という事になるでしょう。
健康に関心があるらしい顧客層だから、健康のアシストができる商品を扱うわけです。
商品単体の単価や、利幅はスマホの新規契約には及ばないかもしれませんが、お客様が買ってくれる可能性や自分たちの顧客でい続けてくれる可能性は高そうです。
結局、企業はお客様が求めているものを提供しなければ、ビジネスは成り立たないという当然の結果になります。

つまり、お客さまのニーズに適した提案が必要なわけです。
欲しいと思ってくれる人がいるから、そこに欲しがっているものを提供する。
これが顧客の創造。
結果として売り上げが上がり、利益につながる。
つまり顧客を創造すれば、利益が手に入る可能性は高まります。

「顧客の創造」はお客さまとつながり関係を維持するだけではない!?

さて、顧客の創造という言葉は、狭い意味で言うなら、
①一般の消費者を、自社から購入いただける関係とする行為
②その顧客との関係を維持することで、繰り返し購入していただく行為
③顧客がファンとなってくださり、事業を応援していただく関係づくりをする行為
といった流れがあるのだと思います。

しかし、どうもそれだけではないようです。
そもそもドラッカー先生の言うところの「顧客の創造」というのは、市場そのものを作り出す事、を意味しているようなのです。

具体的な例をあげるなら、Apple社のiPhoneがいい例でしょう。
これまでiPhone類似の商品はなく、当然「iPhone市場」もなければ「スマートフォン市場」もない状態が、iPhoneがデビューする前の状態です。
そこに、Apple社は全く新しい市場を作り出しました。
その市場に関心を寄せ、多くの人がその楽しみや利便性を享受しています。
さらには、アプリやスマートフォンを起点としたサービスが創出され、消費者はもちろん、多くの企業に新たなビジネスチャンスを創出しました。

Apple社単体で考えたとき、これは一つのビジネスに過ぎないのかもしれません。
しかし、それをきっかけに、社会を変えました。
そう、企業活動は顧客を創造することにより、社会を変えていくのです。

企業の社会貢献

経営とは何ぞや。
そんな話になったとき、必ずと言っていいほど出てくるのが、「企業の社会貢献」です。
そんな話を受けて、経営者は様々な事を言います。

●納税義務を果たすことが私たちの社会貢献
●雇用を創出することが私たちの社会貢献

若いころには、そんな考え方に、そうだ!そうだ!と納得していました。
しかし、どうやらもう少し深い考えがあるようです。
それは、企業が消費者や顧客となる企業の利便性や安全性、楽しみや豊かさを提供することで、社会はよくなっていく、という事です。

かつて、麻酔のなかった時代、痛みに耐えて手術を受けなければならなかったものが、麻酔薬の開発・普及で私たちは痛みの少ない手術を受けられるようになりました。
手紙で何日もかかった遠方の人のメッセージが、電話やメールでリアルタイムに受け取ることができるようになりました。
食べるためには、食料を栽培するか狩りをするしかなかったのに、今ではスーパーで食品を買えるようになりました。
これらのように、企業活動は、基本的に社会をよくする方に動いている。

つまり、企業が「顧客の創造」を目的として活動する限りにおいては、そのビジネスを全うすることがすなわち社会貢献である、と考えられそうです。

もちろん、寄付をするとか、ボランティア活動をするというのもいいでしょう。
しかし、そういった自己犠牲は、人間の性質上継続することが難しい。
出来たとしても、心理的抵抗の上になんとか成り立つわけです。

それよりも、企業は「顧客の創造」というたった一つの目的の実現のために活動した結果が、社会貢献になっている、というのが自然な流れになりそうです。

企業は本来、本業を行うことがよりよい社会になるようなビジネスをやらなければ持続性を持てない、とも言えそうです。

社員のモチベーションと社会貢献

ここで、社員のモチベーションの視点から考えてみましょう。
社員一人一人に、「君はなんのために働くのか?」と聞いてみてください。
まぁ、上司の前ではきれいごとを言うかもしれませんが、一般的な回答はこんなものが多いようです。

●生活のため(お金のため)

これ、普通だと思います。

しかし、一方で、「仕事をしていて最もうれしかったことは?」と全社員に聞いたことがあります。
先程からの流れで言えば、「昇給したとき」とか「思いがけないボーナスが出たとき」になりそうですよね。
ところが、そんな答えは一つもありませんでした。
ほぼ全員が口をそろえて言うのは、

●お客様にありがとうと言われたとき
●お客さまのお役に立てたと実感できたとき

といった事をあげていました。

 

意識上は、お金のために働いている。
しかし、働く喜びはお金ではなく、感謝や自分が役立てたとき、というのです。
これは矛盾しています。

経営者側も、こういった矛盾に気づいていないことが多いのです。
社員はお金を与えると喜ぶ。
こういう考えがベースにあるので、社員のモチベーションを高めたい、と考えたとき、初めに検討するのが給与制度やインセンティブ制度です。

これは心理学の分野では、誤った認識である事は当然のように知れ渡っています。
頑張った対価にお金を与えると、お金を与えなければ頑張らない社員を作り上げることがわかっています。
つまり、どんどん社内を荒廃させる施策を胃の一番に取る企業が圧倒的に多いのです。

社員のモチベーションの維持を検討するなら、社員が本当に求めている事をやらなければなりません。
それをシンプルに言うなら「承認」です。
認めてあげることです。

ありがとうと言われたとき、お役に立てたと実感できたとき、その社員は「認められた」と感じることができます。
会社としては、その機会をたくさん作れば、社員のモチベーションは維持できるわけです。

 

その最も太いパイプが、「事業の目的」です。
顧客を創造し、それが社会をよくしていく。
つまり、社会から認められる会社であり、社会から認められる行動をとることで評価される組織で働く。
もうそれだけで、やる気に満ち溢れるわけです。

リーダーとしては、会社が実現しようとしている事と、社員一人一人がやっている仕事がどうつながっているか。
これをきちんと分かってもらう努力が必要になります。
事務社員が作っている書類、整理している数字や資料、
営業社員がお客さまの前で話す一言一言、
販売している商品やサービス、
製造部門がやっている作業の一つ一つ。
これらが、世の中の人たちの幸せに繋がっている事を実感できれば、そりゃあやる気もでてきます。

ほら、君が作ったその一枚の資料。
そのおかげで、生きる希望を失っていたAさんに、もう一度やり直す決心をさせたんだよ。
こういわれて嫌な思いをする人はいません。

会社にとっての「利益」の位置づけ

利益は手段

ここまでの話、随分ときれいごとに見える話かもしれません。
なぜなら、最も現実的な「お金」の話を脇に置いているからです。
日本の成長時代を担ってきた経営者にとって、多くの場合はお金が優先順位の高い課題です。

実際のところは、本当はお金オンリーではないのですが、先程の社員の話と同様、自分では「お金が最優先」と思い込んでいます。
また、創業者である場合は、お金で苦労をしています。
だから創業から何年も、お金を確保することが生きるための最優先事項だったことも事実です。
右手に夢を、左手にそろばんを、というのはよく言ったものです。
創業者の方々も、実は夢も持っていたはずですが、日常の苦労の中で夢を心の奥底にしまい込んでしまった人も多いのだと思います。

いずれにせよ、お金がなければ生きていけません。
必須の要素であることは間違いないのです。
じゃあ、これをどう捉えるかですが、ドラッカー先生はこれを手段と明言されています。

企業の目的は、顧客の創造。
そのための手段が利益。

これを手にした企業は、社員に分配し、社員が活動可能な状態を維持する。
設備や仕入れ、広告や新規採用などに投資する。
そうやって循環させていくために利益がある。

特に、顧客の創造の延長線上に、社会をよりよくするという目的を企業が明確にした際、その活動はより強く、より大きくする必要があります。
いくら良い商品やサービスも、100人にしか提供できなければ、世の中をよくするパワーは備えていません。
それを1万人、100万人、1億人と影響力を増やすために、資金が必要となります。

これを自動車に例えるとこんな感じでしょう。
理念として会社の目的地を設定した。
社屋や設備、社員は、自動車であり運転手。
じゃあしゅっぱーつ!
といってもガソリンがなければ走り出すことはできません。

会社にとってお金は、目的地に進むための燃料。
当然、それは経営者はもちろん、社員が生活を維持し、仕事に集中できる環境づくりの役割も担っているわけです。

利益は妥当性の尺度

もうひとつ、利益の重要な視点があります。
やはりピーター・ドラッカー先生の言葉です。

また利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度なのである。

この言葉も直感的には理解しにくいので、事例をあげて話をします。

私の父が興した家業は保険屋さんです。
その当時、自動車保険の普及率はまだまだ低かったのです。
また、当時は交通事故死亡者が非常に多く、社会問題化していました。
ですから、当時は自動車保険の顧客を1件、1件、増やすことが社会貢献でした。

世の中に自動車保険が、1件でも多く普及することで、交通事故で死亡した被害者・加害者の家族を経済的に救うことができました。
保険がなければ、親が交通事故で死ねば、相手から十分な賠償を受けられず、家族は路頭に迷った事でしょう。
そんな人たちを救うのが、自動車保険を販売する、という仕事だったわけです。

それを反映してか、今と比べて自動車保険の販売に伴う手数料は高くいただけていました。

しかし、時代とともに、自動車保険の販売手数料は下降傾向です。
さらには、さまざまな競争の中で、単価自体も下降気味。
つまり、会社として受け取る自動車保険1件当たりの手数料は減少傾向です。

これはどういうことかというと、ある程度普及したため、単に自動車保険を提供する事の社会的な価値が下がっているのです。
社会全体で見れば、ネットで、電話で、自動車保険は加入できる。
わざわざ町の保険屋さんでなくても、お客様にとって窓口は選べる状態になったわけです。

繰り返しになりますが、どんな商品やサービスも、
ビジネスが出来上がる → 競争激化 → 利益率悪化 → 経営困難
といった流れをたどります。
今、自動車保険は、競争激化から利益率悪化をたどり、従来の価値提供ではビジネスとして成り立たない流れが見え始めています。
ここにきて、自動運転だとかいう話にもなっていますから、それは加速される可能性があるともいわれています。

利益は事業の妥当性の尺度である、という考え方からすると、そろそろこういったビジネスの妥当性は失われつつある、と考えられそうです。
新たな価値を提供するとか、何か違うスキームを考えなければ、ならないわけです。
そこで考えたいのが、多くの経営者が漏らす言葉です。
「昔ほどもうからない」
「利幅がどんどん減っていて」
「売れなくなってきて」
こういった言葉が出るという事は、今の事業の妥当性を疑ってみる必要があるタイミングなのではないでしょうか。

やることをやっていれば利益はついてくる・・・わけはない

ここで気を付けておきたいのは、社会に貢献さえしていれば、必ず利益はついてくる、という考え方。
これは結構危険です。

たとえば、ある企業が、世の中では高齢者の医療費の高騰が問題だ、というところに目を付けたとします。
今まで、大企業の下請けで、自転車を作ってきた会社の話です。
しかし一念発起して、高齢者の健康増進に、圧倒的に効果の高い健康器具を完成させたとしましょう。
これはすごい!社内は騒然。

絶対に儲かるぞ!
そう確信したわけです。

しかし、これをどうやって売ろうか。
まずは身近な人に使ってもらおう、そして口コミを広げよう。
ところが口コミは広がらない。
なぜならば、そういった高齢者の活動範囲は狭く、ほとんど情報は伝播しなかった。

そうこうしているうちに、他の製造メーカーが真似をしてつくり、高齢の親を持つ世代にアプローチをした。
親が健康を害すると一番困る世代に。
結果、子供が親にプレゼントするものとして定番商品となり、爆発的な普及率となった・・・。

これはあくまでフィクションですが、世の中にはそんな話はたくさんあります。
どういう問題かというと、まさに戦略があるかないか、だったわけです。
誰も見たことがない商品を、交友関係の少ない高齢者に伝播してもらおうというところで「流れ」がうまく作れていなかった、という事になりそうです。

取扱注意!の情報

耳障りのよすぎる話

ここまでの話は、あまりにも耳障りのよすぎる話です。

道徳の授業か!?
小学校の社会?
って感じですね。

 

しかし、改めて考えてみると、お金のために事業をする、というよりすべてが自然に流れる感じがしませんか?
私は、こういう考えに至って、相当な納得感を得ました。
冒頭に、戦略とは流れである、的な事を書きました。
会社や事業の存在もまた、自然な流れに身を置くのがもっとも安定するように思うのです。

ここまで読んで、
「コイツ、アホちゃうか」
「甘々やな」
「ええカッコしとったら世の中生きていかれへんで」
と思った方は、これ以上読んでも何も得られません。
(なぜここだけ関西弁!?笑)

ここまで読んでいただいたのに、申し訳ありません。
もう読むのは辞めてください。
時間の浪費です。

 

しかし、もし、「あぁ、なるほどなぁ」とか、「そういう考え方もアリかも」なんて思った方、
この先もお付き合いいただけると嬉しいです。

このまま先代に話さないでください!

ところで、このブログの対象読者は、同族企業の後継者・後継者候補、新米の二代目・三代目経営者です。
そういった人たちの状態を考えると、必ずいるであろう存在が先代・創業者といった、自分がバトンを受ける前のリーダーです。

こういった方が、会社の経営をきちんと考えよう!となったとき、こういう考え方を先代に話しがちです。
それはもう少し待った方がいいでしょう。
なぜなら、先代には理解が難しい話です。
いえ、頭では理解できます。
しかし、身体が拒否反応を起こすのです。
多くの場合、「確かに、そうだな」と口では言っても、やることは今まで通りお金重視です。
語る言葉、社員との接し方、あなたとの接し方において、お金のために働いている、という姿勢は崩さない可能性が高い。
崩さない、というより崩せないのです。

長年培ってきた癖は、すぐにはなおせないものです。

もちろん、話してはいけない、というのは言い過ぎですが親子の関係性を考えながら小出しにしてください。

ただし、こういった事を社員に伝えることができるようになる必要はあります。

繰り返し語ることで社員は同じ言葉を語り始める

私の感覚として、一体感のある会社は、社長以下、全員が似たような言葉を発します。
たとえば、お客さまとの関係はこうなっていきたいとか、
会社のこういう部分についてこうしていきたいとか。

ある若いベンチャー企業では、20歳代半ばの社員が、会社の理念を語るんです。
あぁ、すごいなぁ、とはたから見てると思うわけです。
それをすべて社員さんが自分で考えたんだ、と思っていたんです。

しかし、どうやら必ずしもそうでないな、というのが今の私の印象です。
大多数の社員さんは、上司なりリーダーの言ったことを受け売りで話されています。
そういった部分を深く考える機会はそうそうないのです。
だから、リーダーが深く深く考えたことを出来るだけわかりやすく伝える。
それは、繰り返し、繰り返し、相手がウンザリするほどに繰り返し伝えます。

若い社員でもわかりやすい言葉で。
会社とのかかわりの少ないパート社員でも話せる言葉で。

リーダーが飽きることなく語り続けると、社員はその考えにあからさまな反対意見がない限り、いずれ自分の意見のように語り始めます。
社員自身がそう語り始めると、こんどはその自分が語る言葉が自分を納得させていきます。
その時に、耳障りのいい言葉ほど、社員は賛同しやすい、というカラクリもあります。
(もちろん、そのために耳障りのいい話を仕立てたわけではありませんが・・・)

そして、さすがに耳にタコができるくらい語るリーダーのそばにいれば、それを後押ししたいと考える社員が出てきます。

なぜかは言うまでもありませんね。
人は人の役に立つことが喜びです。
そういった社員には、キチンとその活躍をねぎらう事は忘れずに。

もちろんまともな人間関係を築いていれば、の話ですが。
ここさえも、お金の繋がり、と考えている二代目さんもたまにいらっしゃいます。

給料払ってやってるんだから、命令に従うのは当然だろ。
そんな考えがあると、たいてい言葉の端々や態度に出てきます。
そんな上司に身も心もささげようなんて社員はいません。
だから、社員もお金の関係だけを求めるんです。

 

しかし、その時に、あからさまにその耳障りのいい話を受け入れようとしない人が出てきます。
この人たちは、それが本当に実現されてしまうと、自分の立場が危うくなる可能性を第六感で察知した人です。
多くの場合は、古株の番頭さんや先代経営者です。

だからまずは、こういった人たちの反対をさらっと受け流しながら、素直に耳を傾けてくれる人を一人でも多く作っていく。
ここを目的に、朝礼で、ミーティングの冒頭で、その他さまざまな雑談の中で、あなたの考える事業の目的を語っていきましょう。
どこかのタイミングで、ここに書いたような流れを30分、1時間かけて説明する機会は必要ですが、あとは3分、5分程度でこうなりたい理由となりたい姿を簡潔に語りましょう。

そんな土壌作りから始めて、具体的な戦略策定に入っていきます。
その詳細については次回!

 

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