ビジネスには賞味期限があります。
こういうとびっくりされるかもしれませんが、すべてのビジネスはそのビジネスが必要なくなる方向に動きます。
分かりやすいのは、お医者さんでしょう。
世の中の病気をなくしたい、と思って彼らは活動しています。
本当にそれが実現してしまったら、彼らは失業してしまう。
それでも、そういう方向に動かざるを得ない。
なぜなら、それが患者(顧客)の本当の望みだからです。
一つのビジネスは、いつしかその役目を終えるタイミングがやってくるわけです。
20年、30年前にはその気配さえ見えなかったものも、今どんどん役目を終えていっているビジネスはあります。
そんな風に感じることはないでしょうか?
私の著書です。
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かの松下幸之助氏は、水道哲学なるものを提唱しました。
氏は
産業人の使命は貧乏の克服である。
とし、安価でよいものを大量に消費者に届けることこそ、産業人の務めだと考えたようです。
当時、物がなかったため、物をめぐって争ったり、ものを手にできず悲しい思いをしたり、辛い思いをする人がいたのでしょう。
彼らを救うには、無尽蔵ともいえる水道水が安価に誰でも手に入ったように、物も大量に作り供給することでそのような人を救える、と考えたようです。
もうすこし深読みすると、奪い合う世の中から、協力し合える世の中をつくろうとしたのかもしれません。
その考えは見事、日本を豊かにしました。
非常にシンプルに捉えると、
困っている人がいる → 困っている人を救うのは物資 → 湯水のように供給することで誰の手にもわたるようになる → 人が幸せになる
という考え方なのだと思います。
ビジネスの基本は、困りごとを解決する方法を提供すること。
その困りごとが、困り事でなくなった時、そのビジネスは寿命を終えます。
常に、困り事やニーズがあり、新たなビジネスが立ち上がり、そのビジネスが行き渡るとそれはビジネスとして成立しにくくなる。
一昔前の「問屋」について考えてみましょう。
生産者や、海外から、商品を一品ずつ買い付け、仕入れ交渉を行う。
昔は小売店ではそんなことをやっている手間はとることができませんでした。
だから、問屋が一括して関連する商品を卸してくれることに価値がありました。
生産者側も、大きなロットでしか販売しなかったものが、最近はそのようなニーズも減ってきているということもあり、小ロットでの取引にも応じるようになってきたようです。
かつては、問屋が大口で買い取ってくれることに価値がありましたが、今やそれをあてにできないのが生産者の立場でしょう。
それが今やシステム化も進み、通信手段や仕入れ管理も随分楽になりました。
お客さんの嗜好もさまざま。
もとより、小売店も圧倒的に数が増えたので、品ぞろえの特徴を持たせることも課題の一つでしょう。
すると、誰でもが仕入れる問屋のパターン化された商品仕入れに価値を感じられなくなります。
小売店もまた、金太郎飴のような店舗ではお客さんを呼べなくなっています。
すると、問屋が介在する価値が減少し、生産者との直接取引が主流になってくるわけです。
ここまでくると、みんな首をかしげます。
「問屋(卸売り)って、なぜそんざいするんだろう?」
かつての価値が時代や社会の変化で薄れてしまったわかりやすい事例だと思います。
いつもと同じ取引を繰り返している日々の中で、ふと立ち止まって考えてみるわけです。
取引先であるあの業者、いったいなんでこんな業者があるんだろう?と。
つまり、こういったビジネスは、既に賞味期限切れである可能性が高い。
大量生産、大量消費の中で、パターン化された消費は効率もよかった。
水道哲学を実践するには、それが一つの正解だったわけですが、もはや顧客の嗜好は次のステップに変化してるわけです。
それでも事業者側は、パターン化された消費しか知らない。
その前提でビジネスを組み立ててきているから、もはやそれ以外の戦略をとることができなくなりがちです。
新しいビジネスがおこり、広がり、普及する。
アダム・スミスの言葉を引くまでもなく、普及品は価値が低い。
最新鋭のモビルスーツとして鮮烈にデビューしたザクも、あっという間にザコキャラになったのを見ているとよくわかります。
私たちのビジネスの価値が薄れることは、自然の摂理のようなものではないかと思います。
そして、それは、当事者が知らないうちに起こってしまう事が多い。
かつては、自分たちの商品・サービスを世に知らしめることが役割だった企業もあるでしょう。
しかし、そういった企業の活動がやりにくくなっているとすれば、その役割はほぼ終えているのかもしれません。
何かを作って出荷している企業も、その製品の値段が低すぎてビジネスとして成り立たないとしたら、その製品の役割は変化しているのかもしれません。
それでもその現実を、「自分たちの役割が変化するタイミングにある」と捉える人は少数派なのではないかと思います。
卸売業の方々は、卸売業として最適化しようと頑張っている。
小売業も、製造業も、自分たちの従来のビジネスの中でよりよい売り上げ、利益をつくろうと頑張るのです。
なのに市場は、もうそっぽを向いていた・・・
そんな笑えない話がわりとあるんですね。
これ、同業者団体などの中からはなかなか見えない風景です。
なにしろ、同業者団体は自分たちの業界・業種へのこだわりが強いのです。
自分たちの業界が崩れつつあることを認めるわけにはいかないし、そもそもそのような前提がない。
自分たちのプロフェッショナリズムを社会に認めさせよう、という思いが強いので、顧客の本当の想いが見えにくくなってしまいがちなのです。
そういったところから、一歩引いた目で自分の会社を見ることができるのは誰でしょうか。
たぶん、後継者以外にはいないのではないでしょうか。
あの歴史的船舶事故、タイタニック号においては乗組員はなんども海氷の存在を警告されていたといいます。
しかし、その海氷の姿を目にした段階では、時すでに遅し。
回避不能だったといいます。
そんな警告は皆さんの会社には出ていませんか?
出てなければオッケーですが、もし気になることがあるとすれば、それをはじめにキャッチするのは後継者しかいないでしょう。
その進路変更を行う役目もまた、後継者の役割なのです。
多くの人は、そんな事故おこりっこないというでしょう。
自分のビジネスが賞味期限切れなんて、ありえない。
そんななか、一人、異論を口にすることができる存在。
それこそが後継者として会社に入ったあなたたちの役割ではないでしょうか。
そんな仲間と新しい社会をつくっていきたい。
そんな風に私は考えています。
私の著書です。
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