週に1度は必ず書店に行く私。
そこで売れてそうな本をざっと俯瞰していると、いろんな「流れ」のようなものを感じることがあります。
その一つとして感じるのは、哲学であるとか心理学といった本がとても多いというのがこの数年の傾向です。
それはコロナ後加速した感もありますが、そういった流れが始まったのはその数年前だと思います。
たとえば、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』のヒット。
もう少し遡ると、岸見一郎さんの『嫌われる勇気』などいくつかターニングポイントになるヒット本があります。
こういった社会の流れを受けて、親の会社を継ぐ後継者の心境にも、大きな変化を経験している人は少なからずいら者るのではないでしょうか。
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Contents
生きるための仕事か、生き様としての仕事か
会社を守るのが後継者・二代目経営者の使命?
どういう経緯であれ、跡継ぎとして親の会社に入った後継者・二代目経営者は、この会社をつぶしてはならないという思いを強く持っています。
それはいわば一つの使命としてのとても重い十字架を背負っている状態かと思います。
そういった経緯があるため、またまだまだ昭和的価値観を引きずっている年代でもあるため、私たちはとてもまじめに後継者・二代目経営者という立場と向き合っているのではないかと思います。
たしかに、会社をやっている以上、取引先もあれば顧客もいるし、社員もいれば数多くの関連先もあります。
なにより一度親の会社に入社した後継者・二代目経営者は、この後仮に親の会社を辞めたとしてどこに行くことができるでしょう。
私自身のお話をさせていただくなら、大学卒業後すぐに親の会社に入りました。
そんな自分が30歳代のころ、その会社を何度もやめたいと思いましたが、それを踏みとどまったのは「今更、どこが雇ってくれるのだろうか」という思いです。
結局「仕方なく」会社に残らざるを得ないのか。
そんな風に感じていたことを記憶しています。
これは今から20年くらい前の話ですから、一足早く、自分はどう生きるのか?という問題を突き付けられたのだと思います。
仕事時間が楽しくなければ不幸
この時は、朝は7時前に会社に入り、よるは9時くらいに会社を出るのがパターンになっていました。(ちなみに早い段階で役員になっていたので残業手当はありません)
24時間のうち14時間を会社で過ごし、5時間ほどは睡眠にとられ、食事や風呂など必要なことを1時間で済ましたとして、残る時間が4時間ほど。
妻や子供との時間も必要ですし、将来に向けての勉強の時間も必要です。
そうなると、本当の自分の時間というのはほとんどとれなくなってしまいます。
たぶん、この当時はみんな仕事をしている人はそんなもんだと思いますが、仕事に楽しさを見出しているならともかく、私にはそんなものは一切ありませんでしたから毎日が苦痛でした。
仕事そのものが嫌いというか、会社に行くことが嫌だったように記憶しています。
・・・となると、私にとっての人生は、仕事を始めてからは毎日たった4時間。
これが延々と続くと考えると、もはや絶望しかありませんでした。
自分が自分でない感覚
仕事以前の問題
この人生を浪費していると感じていた時期、改めてこんなことを思ったのです。
「そもそも、仕事が嫌とかそうでないという事以前に、仕事時間はすべて自分が自分ではない時間であるという事がしんどいのだ」と。
まず私は親との葛藤を持っていました。
最近まで気づかなかったのですが、小さいころ、忙しくて相手もしてくれなかった親、
弟を押し付けて世話をさせた親、
私がいじめにあっても、私を保護するのでなくイジメた相手を擁護した親、
私の成績が振るわない時期、私の育て方を誤ったといった親、
そんな親に心のどこかで見捨てられたかのような感覚を持っていたように思います。
もちろん、子供のたわごとなのですが、3歳くらいから6歳くらいのころの親との関係のネガティブな部分を、人は大人になっても心の奥底に持ち続けることが多いのではないかと思います。
私もご多分に漏れず、親との関係の中でそういった当時の寂しさみたいなものを自分の深層心理に持っていたように思います。
そんな親に認めてもらいたくて、親の跡継ぎをしようと思ったわけですが、そこでも認められない日々があるわけです。
それでも、心の奥底に秘めた子供じみた思いを、親はおろか周囲の社員にも悟られたくない、また、自分は単なる親の七光りではなく自分自身に価値を持った人間と認められたい、という思いが強く出ていたのでしょう。本当の自分とは違う自分を、会社の中で演じようと必死だったのだと思います。
敏感に本音を察知する人たち
そんな不自然な状況で会社に居るものですから、社員はどうやらその違和感を感じ取っていたように思います。
それを比較的年配の社員はうまく受け流してくれていましたが、同世代の社員からするとちょっと鬱陶しかったのでしょう。ちょっとしたもめ事を起こして、彼は辞めていきました。
ヤヤコシイのは、当時の私はまったくそういった自分の子供じみた感覚について、自覚がなかったのです。
いま改めて、いろんな後継者・二代目経営者のご相談を受けていると、当時の私と同じかもしれない、と思うような方が見受けられます。
そういう人の多くは、とても一生懸命なのですが、それが周囲に認められず、けどそれが納得できない。
そんな環境を作っているのは、親である、といったような思いにさいなまれ、親を恨んで日々を過ごしていたりします。
とっても痛々しい話なんですが、多くの親子経営においてはそんなドロッとした人間関係が垣間見えます。
親から卒業する
精神的卒業
さて、こういった状態を抜け出すには、親からの卒業が必要になります。
そういうと、物理的な距離を親と取ろうとしたり、親を会社から排除したりしようとする人が結構いらっしゃいます。
しかし大事なのは物理て距離というより、心理的距離です。
自分達が何かをするときに「親はどう思うだろう?」「親に認められたい」といった思考パターンから抜け出そう、という事です。
よくよく考えてみれば、私が最も自分が不幸だと感じていたとき、自分は自分ではありませんでした。
それは自分でやりたいことを考えてやるというより、親や周囲にどう見られているかを気にした日々だったという事です。
常に親の価値観に引っ張られて生きていて、それが親のいない場所ならもう少し親離れできたのでしょうが、常に親の眼のある場所での仕事を選んだ結果、逃げられなくなってしまったんですね。
親に対して、今まで隠してきた自分の個性を発揮する勇気がないんだと思います。
親と対立する、親子の確執がある、という話は親子経営においては多いのですがそれも実は、親の判断基準を意識しながら経営するからそうなるのかもしれない、とさえ思うのです。
私の中でこの考えが論理的に確立しているわけではないですが、子が親の考えからまったく自立した時、確執は起こりにくくなるんじゃないかと思います。
会社を「守る」という考えからの脱却
さて、後継者・二代目経営者は会社を「守る」というニュアンスで物を考える傾向があるように思います。
守るって、イメージとしては囲いを作ってしまう感じだと思います。
そうやって外からの攻撃をはねのけ、うちにあるものを守るわけです。
それはつまり不透明性につながりやすく、本音が見えにくい状況を作りがちです。
余計なことを言わないように黙り込んでしまっている組織のようなものですね。
そしてそれは、後継者・二代目経営者の心境そのものではないでしょうか。
自分の内にあるものを外に出さないよう注意して、外から求められているように振る舞おうと。
けどこれ、振出しに戻りますが、「自分が自分ではなくなる」とっても人生においてはしんどい状況になります。
会社だって、会社がもつその良さを発揮できない地味な存在で終わりがち。
そしてそれは経済のなかでは、あまり有利ではないでしょう。
だから人も会社もはっちゃけてしまったほうがいい。
私はそう思っています。
反抗を超えた先にあるもの
かつての尾崎豊の「卒業」の歌ではありませんが、とかく私たちは何かから卒業するときに、その時の支配的な価値観にあらがおうとしがちです。
子供が大人になるときは、自立心を育てるため、支配への抵抗というか、抵抗することが目的だったりすることがあると思います。
しかし私たちは大人なので、抵抗のための抵抗というのはあまりお勧めできません。
そうすると、親との関係性の中においても、単なる抵抗とは違った形での理解が可能になるような気もします。
確かに相いれない意見も多いと思いますが、それを含めて親を受け入れることができるようになると、それこそが成長なのかもしれないと思うのですがいかがでしょうか。
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