後継者というと、どうしても過去のしがらみに生きがち。
なにしろ、人生の大きな進路の1つが、過去のしがらみで決まるのだから仕方のない話かもしれません。
とはいえ、後継者と言えど、過去の穴埋めをするために生まれてきたわけではありません。
やっぱり、未来を考えていきたいのです。
しかしなぜか、思考は過去にさまよってしまう。
そんな傾向、あるんじゃないでしょうか。
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Contents
後継者は過去のしがらみで生まれる役割
親が商売をしていたばっかりに・・・
たぶんですが、このブログにたどり着いた方の多くはこう思っているんじゃないかと思います。
親が商売をしていたばかりに、自分は思うような仕事に就けなかった。
自分がやりたいことをできていないのは、親が商売をやっていたから。
なぜなら、自分は後継者。
親の跡を継ぐことが義務付けられている。
しかし、もしそんな風に思っているなら、ちょっぴり時代錯誤っぽくないですか?
〇〇家にうまれて、そのしきたりの中で生きていくなんて言う話があったとしたら、たぶん「昭和かよ!」とバカにしています。
そんな昭和チックなドラマを自分たちが演じるって、なんとも恥ずかしい話だと思うのは私だけではないでしょう。
浪花節も勘弁してほしい
もうひとつ、私がとても気持ち悪く感じるものがあります。
「親の遺志を継いで」とか、「親が果たせなかった夢を求めて」とかいう手合いの話。
これ、世間一般では、けっこう美談として歓迎されます。
なんだかわかりませんが、「自分を捨てて、人のために生きる」というのが妙に美しい話に見えてしまうんですね。
けど、自己犠牲はいつしか破綻します。
たとえば、ボランティアは、ボランティアで続けることは難しいのです。
世の中を良くしたいなら、そこから「稼ぐことができる」仕組みを作らないと長くは続きません。
なぜなら、活動資金も、モチベーションも底をつくからです。
それを「寄付を募って」やろうというのは、考えようによっては失礼とも言えます。
だから、川の流れのように、川上から川下へ、お金やボランティア活動がうまく流れるよう設計する必要があります。
なのに、ボランティア団体はお金を儲けてはいけないという、わけのわからない価値観を持たされがちだからじり貧になるのです。
後継者話もどうようで、親のためとか、死んだ〇〇のためとか、兄弟のためとか、人のために尽くすって見た目はきれいですが、本人が疲弊します。
もちろん心の奥底から、そういった奉仕活動こそが自分のエネルギーとなる人ならそれでもいいと思います。
しかし、そういう人って、いったいどのくらいいるのでしょうか。
私の知る限り、けっこう無理をしている人が多いと思います。
他人を欺く前に自分を欺く
人は嘘をつきたくないから自分をだます
知り合いの中でも、「いいひと」ぶっている人は何人かいます。
けどこの人は、自分が本当にそういう人だと思い込んでいます。
実は人がうそをつくというのは、かなりのストレスで、脳のリソースをかなり奪っていきます。
だから脳は、こういう戦略をとります。
人をだますには、まず自分を欺く、ということです。
多くの後継者は、親思いのいい人に思われたい。
けど実際はそんなにいい人ではないのだけど、他人に「自分はいい人」と思ってもらうため、まずは自分で自分を良い人と思い込ませるんです。
これが、脳の戦略。
自分は自分を良い人と思っているから、他人をだましている事とはならない。
そして、本当の自分とは違う「いいひと」な自分を、あたかも本当の自分としてふるまい始める。
まあそれで万事OKならいいのですが、だまされたはずの自分の心の奥底に、小さく元の自分が残っていたりします。
親思いな自分あるより、自分の心に忠実でありたい自分が残っているのです。
コイツが時々悪さをし始めます。
その時、心の中では葛藤というやつが起こって、バランスを崩し始めたりします。
10年、20年たってもなじめないとしたら・・・
後継者が会社に入って、3年や5年程度なら、あるていど準備期間と言えると思います。
その間にいろんなことを学び、経験することで、会社のなかや仕事の中に楽しみを発見することはけっこうあると思います。
しかし、10年、20年たっても相変わらず、親の会社嫌だ、と思っているとしたら、何かが違うのでしょう。
心の奥底にある小さな自分が、悲鳴を上げ始めているんだと思います。
ここから出せーー!って(笑)
そのタイミングで、親を会社から追い出すとか、自分が会社を出るとか、そういうことを考えたりすると思います。
けど、たぶんそうしたからと言って、すべてが良くなる、ということはないんじゃないかと思います。
なぜなら、そういうモヤモヤは、親の会社にいる事だったりするということも要素の一つではあるけど、すべてではないからです。
別の理由があるのです。
何を目指しますか?
後継者が立ち止まって考えてみたいこと
会社に居場所がないとか、しんどいとか、親と仕事したくないとか。
そういう思いで煮詰まってたまらなくなった時、ちょっと未来に目を向けてみてほしいんです。
「自分はどうなりたいんだろうか?」ということに。
10年後の自分、20年後の自分をイメージして、どうありたいかな、と考えてみます。
あ、悲観的になっちゃだめですよ。
このままこの生活が続いたら俺・・・なんて思考は排除してください。
何の障害もないとしたら、10年後のあなたは何をしていたいですか?
どんな状態になっていたいですか?
そんなことをぼんやりイメージしてみてほしいのです。
ここで、1つ予言しておきます。
たぶん、大したイメージを浮かべられないんじゃないですか?
かなりの確率で当たってると思います(笑)
そう。
私たちは、どうなりたいかを考えていないんです。
目の前の問題を振り払うことに必死すぎて、どうなりたいかがわからない。
いえ、たぶん、ありていな話は浮かぶと思います。
お金持ちになって、いい車に乗って、いい家を買って、とか、
会社を大きくして、社員数を何人にして、上場させるとか。
あるいは、さっさと会社をセミリタイヤして、毎日、好き勝手やってるとか。
けど、それをイメージして、本当にワクワクするというか、もう何を犠牲にしてでもそれをゲットしたいというほどの衝動は感じないんじゃないでしょうか?
ふつう、やりたいことはわかっていない
そうすると結構焦る人がいます。
「ああ、自分はやりたいことがわからない」と。
けど、世の中の99%の人って、独自の道を歩んで、日々充実していて、再考の人生を歩んでる感じには見えないと思いません?
ほとんどの人は、「食べるために仕方なく働いている」とか、「世間体があるからそれなりに働いている」という程度です。
だから、働く意義とか、生きる目的とか、つかんでる人はもうほんの1%くらい。
ほとんどの人は敷かれたレールの上をだらだらと歩んで、その枠の中で小さな楽しみを見つけて何とかつじつまを合わせているんです。
そこが根本的に変わると、人生に張りが出てきそうな気はしますね。
だから、考えてみるんです。
というか、考える習慣をつけるんです。
そしていろいろやってみる。
なぜなら、やりたいことなんて、すぐには見つからないことが多いからです。
後継者にとっての過去と未来
さて、後継者というちょっと特殊な立場にいる私たち。
たぶん、親が商売をやっていて、それを引き継がざるを得ない環境にいるとすると、それは過去のしがらみです。
過去おこったことが起点で、何かしら私たちに影響を与える事実。
その過去の扱い方というのはけっこう難しいと思います。
過去にとらわれすぎると可能性を閉じてしまうし、ぞんざいに扱いすぎるのもいかがかと思います。
なんだかんだ言って、そういう立場に生まれてきたのには、それなりの理由もありそうな気もします。
だから、何かを考えるきっかけとしてだったり、自分の生き方の軸として、親が商売をやっていたことは何かしら影響を受けるのは間違いないと思います。
それは親が商売をやっていたという事実が重要だったり、あるいはその業種や取扱商品が重要だったり、そういった環境が重要だったり、関係性は人それぞれだと思います。
その中の何が自分の未来と関連がありそうかな?という感覚をぼやーっとでも意識してみるのがいいかもしれません。
そして未来については、10年後どうなりたいか。
そしてそこに向かうきっかけに、先にあげた「過去」が関連していることはけっこうあると思います。
きっとすぐにはしっくりくるものが出てこないと思いますが(出てくればラッキー)、問い続ける姿勢は大事かもしれません。
過去があり、未来がある。
すると現在の自分のあるべき姿が見えてくるんじゃないかと思います。
まとめ
相変わらずの話の散らかり方ですが、言いたいことはさほど多くはありません。
過去は、何かしら、未来につながっている可能性が高いと思います。
というか、私たちが行きたい未来へつながる伏線が過去にはあるはずです。
そして私たちは、未来について指向していないことが多い。
過去すぎたことに気をとらわれすぎていると、過去の苦しみばかりにフォーカスしがちです。
逆に、未来に思考を這わせると、もしかしたら違う現実が見えてくるかもしれません。
今の仕事が未来に続いている可能性はけっこう高い。
そんなことを意識して、未来のあるべき姿を想像してみる癖をつけてはいかがでしょうか。