人として未熟な親、思慮深すぎる子~親子の事業承継にありがちな風景

「子は親から譲り受けた理念で形成される」
私はこの言葉にはすべてが凝縮されている。
そう感じています。

賛否両論あるでしょうが、少し私の考えを述べさせていただきたいと思います。

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親があっての後継者・・・?

物事の決定は「親」を中心に行われる

後継者のお話を聞いていると親である先代を立てる言葉が多いことに気づきます。
「親のことを尊敬している」
「自分は親があってこその存在である」
「親をむげにはできない」

そして、なぜ家業を継いだかというと、
「親がそれを期待していたから」
「親がこれまでやってきたことに背を向けるわけにはいかない」
そんな言葉がよく聞かれます。

つまり、主語は自分ではないのです。
ある後継者が書いた本がドラマにもなりました。
その本を読んで私は愕然としました。
その主人公は、親からひどい扱いを受けながらも、親のために会社を存続させる。
そんなストーリーで、それが世の中に受け入れられることが私には信じられません。
主人公である後継者は、自分の人生を歩んでいないというのに。

ゆがんだ価値観はどこから来るのか?

「親のために会社を継ぐ」「親を見捨てないよう家業に就く」
こういう考え方の背景には、親の教育が色濃く反映しています。
いちど、子どものころに親から言われたこと、反芻してみてください。
「親のいうことはちゃんと聞き分け良くしなさい」
「親を敬いなさい」
「いい子でいなさい」
つまり、親に従え。
さらに言うなら、この夢を平気でつぶしたりする。
「もっと現実的になりなさい」
なんて言葉で。

また、多くの場合先回りをする。
「そんなことをしていたら立派な大人になれない。だからこうしなさい」
つまり、子どもに選択肢を与えない親も多いわけです。

言葉を選ばずに言うなら呪いです。
その時だけ有効な呪いならいざ知らず、子は親を失ってからもその価値観に支配されます。
なにかやりたいことがあった時、頭の中に親の思考がこだまします。
「ああ、こんなことやったら、社会人として恥ずかしいよな」
そうやって自由を失っていく。

子どもの敵は社会?

こういった”指導”を親は当然悪気があってやるわけではありません。
親にとってみれば、子のふるまいに責任を持たなければなりません。
だから、そうやって教育しなければならない。
そんな考え方が根底にあるのだと思います。

つまり、子どもを一人の人間としては扱わず、親の庇護下に置き続ける。
ツッコんで言うなら、依存させる。
そういうふるまいを無意識にやっていることが非常に多い。

子どもの「反抗期」というのは、ここから抜け出し、自立するステップと言えます。
しかし、子の反抗期に、子に味方する人は少ない。
その反抗は、親や社会に制圧され、子どもは仕方なく自分の中で折り合いをつける。
そうやって、自分の才能や、自分の可能性を閉じてしまう子ども、ここでは後継者が圧倒的に多い。
本来、世界を敵に回しても、親は子供を守る存在。
そんな精神的な安心を提供する立場の親は、社会に加担する。

そんな状況で、子どもは悟るのです。
自分に味方はいない。
だから、自分を表現することなく、無難な人生を過ごすのが一番なのだろう、と。

教えるか、学ばせるか

強迫観念からくる完ぺき主義

すこし私自身の話をさせていただきましょう。
私は、
・失敗を人に見られたくない
・努力の過程を人に見られたくない
・無様な姿を人にさらしたくない
という思考パターンを持っています。
つまり、完成形だけを評価してほしい、という思いが強いのです。

これをもう少し深く考えてみると、こんなことが言えます。
・失敗がいや → 成功することしか表立ってやらない
・努力を見せない → 「できた」ことしか表に出さない・「できなかった」ことにはあきらめが早い
・無様は嫌 → 完ぺきにできることしかやらない

こういった考えが起こる背景には、過去に失敗を責められたり、努力したことが評価されなかったり、ひどい姿をさらしたトラウマがありそうです。
そうやって考えると、あるある(笑)

まず、私の父は結果を求める人です。
努力も評価しているとは思いますが、「がんばってるな」と声をかけられた記憶があまりない。
だから、結果が出ない事に価値はない、と子ども心ながら感じたことがあります。
そういう癖がついています。

成長過程で、いくつか判断のミスを行った経験がありますが、その時はずいぶん怒鳴られた気がします。
ああ、ミスをしちゃいけないんだ。
そんなことを親との関係から学びながら、できないことはやらない。
評価されるほどのことしかやらない。

子どもは親に褒められたくて行動するのに、褒めるのではなく「そうではなく、こうだ」と結論を言い渡されて終了。
けっか、親が喜ぶ行動以外はしにくくなってくるのです。
本来親とは、子どもがどんな状態であれ、愛し、守るべきものなのだと思います。
ウチの親も、皆さんの親も、基本的にそういう思いがある事でしょう。
しかし、子どもは親の愛を得るために、親の求める価値を提示し続けようと無意識に行動する。
なんといじらしい。
けど、私も、あなたも、そんないじらしい人間だし、私やあなたの親もその親(私たちから見れば祖父母)にたいして、いじらしい人間であった結果が今の人格を形成しているわけです。

悲しいかな、多くの子どもにとって、親は心理的に安全な場所ではない。
つねに、親の目を引くことを考えていなければ、子どもの立場は危うくなる。
だから、子どもは常に親の見ている先を見通そうとし、そこにそぐう行動以外は取らなくなっていきます。

失敗を体験させない

そういう親子関係の場合、親は子に失敗させまいとします。
これは親からすれば、「子を思っての行為」であると言えます。
しかし、実際は失敗を体験しなければ、学べないことが多い。
つまり自分で体験し、学習する機会を奪っている親はかなりの数いると思います。
子どものためと言いながら、親自身が心の平穏を保つために、子どもの活動を制限するわけです。

そうして、親は答えを与える。
その答えは当然、親の価値観によるものです。
時には、その答えに従うことを強要します。
こうやって、子は自分で考えられない大人に成長していくのです。

後継者に刻まれた親の意志

自分の決断が自分のものではないという現実

こういった成長過程の中で、後継者である子どもは自分の心の中に親を飼うことになります。
「こんなことを言ったら、きっとこんな嫌味を言われるに違いない」
「こんなことをしたら、また四の五の詮索されるだろう」
後継者の心の中で、心に飼った親との会話が常になされています。
その結果アウトプットされるのは、後継者の心の中に飼われた親の価値観に則っています。

それでうまくいくならいいんです。
けど、後継者はだんだん苦しくなってくる。
酸素の少ない池の中で金魚が口をパクパクするかのように、プハーーっと大きく息をしたくなる時が来ます。
なんだかモヤモヤする。
このままでいいのだろうか。
将来が不安。
こういう感情の多くは、自分の価値観で動けていない時に感じがち。

その本質に気づく人はあまり多くないので、そのイライラをどこかにぶつけて解消しようとする。
ダムが決壊するかのように、ある日突然親と険悪になる。
ある日突然、親の会社を飛び出したくなる。
何かしらの破壊的な、言動に結びついてくるわけです。

後継者と自分の子ども

さて、ちょっと振り返ってみてください。
後継者であるあなた。
もし、お子さんがいらっしゃるなら、お子さんとの接し方を少し俯瞰してみてください。
自分とお子さんの関係ですね。

自分の親(先代)が、自分(後継者)にした接し方にどこか似てませんか?
だとすると、ちょっと見直したほうがいいかもしれません。
あなたと先代の関係に近い状態が、ご自分のお子さんと構築されてしまう可能性が高い。
やられて嫌なことを、自分もやってしまう。
矛盾しているようですが、人間の行動というのは矛盾にあふれているものです。
親としてのあり方を、誰も教えてくれません。
だから、それを学ぶ必要がある、と認識しない限り改善しようとさえ思いつきません。

そして厄介なのが、親子関係の問題はどういう親子の関係が、どういう形でマイナスを生むかが見えにくいところにあります。
親子経営で、親子がいがみ合う。
親子の関係がしっくりこない。
その背景には、単なる意見の食い違いだけではなく、根本的な親子の依存関係を疑ってみる必要があります。

親への忖度

自分の人生に責任をとれる人はだれか?

近年、「忖度(そんたく)」という言葉が脚光を浴びています。
まさに、後継者である子は、親である先代に忖度している。
そんな状態ではないでしょうか?
親のために会社を継ぎ、親を見捨てないため会社を辞めない。

私は、そんな忖度、やめちゃえば?と思っています。
自分の人生です。
あなたの人生の責任を、親は取ることができません。
あなたの人生の責任をとることができるのはあなただけ。
このことを肝に銘じておいたほうがいいでしょう。

それでも、親には反抗できない。
そう言いう人も多いのではないでしょうか。
そりゃあそうです。小さいころから言い聞かせられているのです。
「親のいうことは聞きなさい」
これは一種の洗脳です。
それを解き放つためには、自分の思考を変えていく必要があります。

依存し、依存される関係

なぜ親の支配から抜け出せないか。
そこには、親が子に依存しているだけでなく、子も親に依存している、という現実があります。
なんだかんだ言って、親の言いつけに従っていると楽なのです。
なにより叱られることは減ります。
失敗しても、スケープゴートができます。
「親がこういってたからやったのに・・・」と。

ここまでの書きぶりは、どちらかと言えば「親が悪い」という論調でしたが、現実は親だけの問題ではない、ということ。
親に従っていれば間違いない。
親のいうことを聞いていれば争わず住む。
親が言ってるから正しいに違いない。
こういう言い訳を残すことで、後継者もメリットを享受しているわけです。

親は子を支配することで、心を充足させてるわけですが、子は親に支配されることで、責任を転嫁することができる。
まあいってみれば、お互い様、なわけです。

これからをどのように生きるのか?

人は変えられない

じゃあどうしていけばいいのでしょう。
「親には、あれこれ言わないようにしてほしい」
ありがちな後継者の主張です。
しかし、そもそも自分以外の何かを変えてほしい、という時点で逃げていることにほかなりません。

親は子を支配しようとする傾向がありますが、こんどは子が親を支配しようという話になってしまいます。
もうこうなったら、駄々っ子とかいうレベルの話です。

人間関係は、お互いの反応で成り立っています。
そうすると、自分が親にどう接するかで、親は反応が変わります。

 

親が強硬に何かを主張した時、売り言葉に買い言葉でけんかをすれば泥沼です。
まあ、それも一つのスタイルですが、それがストレスなら、いくつか方法を変えてみます。
とりあえずは、一旦親の言葉を受け入れてみる、とか
聞いたふりして違う行動をしてみる、とか
親の言い分の本質に何があるのかを考えてみる、とか。

いつも反射的に対応するから、同じ結果しか得られない。
そういう時は、一度立ち止まって考え、違う対応をすると相手の反応も変わります。
一つ目のコツは、反射的に反応しない、ということです。

責任をとる覚悟をする

二つ目のコツは、「決める」ということ。

後継者の方のあるある。
たとえば、仲間と飲みに行って、気兼ねなく自分の好きなものを積極的に注文するって人、けっこう少ないんじゃないですか?
みんなで食べられるものとか、みんなが好きそうなものとか、注文しずらくないですか?
私も結構、遠慮します。
いきなり「焼きそばとたこ焼き!」と注文したいところをグッと抑え、「まあサラダとか、おつくりとか」みたいなことを言うときがあります。
あ、あとは「なんでもいいですよ」なんて言うパターン。

これ、忖度癖ですね。
だからトレーニングとして、飲みに行ったらいの一番で自分の好きなものを頼む(笑)
できれば、いきなり頼むものとしては不適切なものほどいい。
いっそのこと、いきなり「お茶漬け!」っていうのもありです。
この意識、結構大事です。

後継者の方で、すべてを自分で決めてきた、と胸を張って言える方がどれだけいるでしょうか?
最も大きなものが、家業を継いだ、という決断ですね。
本来、決断は「決めて断つことだ」とよく言われます。
違う選択肢を断つことが決断ですが、会社に入ってうまくいかないとイジイジして、会社を辞めたくなる。
それは決断とは言えそうにないですね。

親に強制的に言われて仕方なく家業に就いた・・・というのも、決断とは言えなさそうですね。
逃げる道はいくらでもあったわけです。
極端な言い方ですが、親子の縁を切ってでもやらない、という選択肢はあったわけです。
けど、そうしなかった。

後ありがちなのは、「おかれた環境の中で最善を尽くす」ってやつ。
いかにも、真っ白なスポーツマンチックないいわけです。
それって、意志がないんですよ。
こういう場所でやりたい、っていう意志が。
これも逃げです。
それも結構巧妙な逃げ。

どれもこれも、自分が選んだのではなく、選ばざるを得なかった。
それは言ってみれば、やはり責任転嫁なんです。
自分じゃなくて、「仕方がなかったと」いうことで、状況のせいにしたり、親のせいにしたり。
そうすることで、一時的に心の安息は得られるかもしれないけど、最後の最後、責任をとるのは自分です。
先に自分で決めるか、最後に追い詰められるかのどちらかなんです。

だから、しっかりと自分の意思で選ぶ。
この意識を、居酒屋でトレーニングしてみてください。
そう意識することで、日常的な仕事の中でも意識できるようになります。

悪いのは誰か・・・?

前半で、さんざん「親が悪い」的な発言をしておいてなんだ?という感じの後半戦。
極めつけは、「人や周囲の環境のせいにしない」ということです。
なぜなら、そんなことしたって物事が改善することはないから。
けど、人はそうやって「悪者」を設定することで、心の安心を得ちゃうんですね。

親のあり方は、あり方として変わらない。
親から受けた教育、今まで自分が行ってきたこと、すべて変わらないわけです。
であれば、変わらないことが悪いと批判したってなーんも変化は起こりません。
年度末に営業社員を叱り飛ばしても、今期の成績は上がらないのといっしょです。

こういう親がいてこういう環境にあって、私にできることは何か。
私の持てる才能や経験を活かすにはどうすればいいか。
そこを考える必要があるわけです。

親が、世間が、社会が、会社が、同僚が、番頭が・・・
主語が自分の外に向いているのを、「私が」に変える。
そうやってもう一度状況を見返してみると、何か新しい思いつきがあるかもしれません。
「私」を大事にしましょう。
それはつまり、「私」がなにを欲しているのかに耳を傾けてみてください。

そうすると、面白いことに今ある状況は、「私」が活躍するために用意された舞台に見えてくることがあります。

誰も悪意を持ってあなたに接するわけではありません。
思い込みから解き放たれると、それが少しずつ見えてくる可能性があります。

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