激しく怒ることもなければ、
腹を抱えて笑うこともない。
涙を見せることもなければ、
抜けた表情をさらすこともない。
こういう人は、多くの場合「安定している」と言われます。
よく言えば、安定感がある。
悪く言うと、無感情・無感動。
こういう二代目社長、けっこう多いんじゃないでしょうか。
はい。
私もその一人です。
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私は感情の起伏があまりありません。
実は、小学校5年生のころこんな出来事がありました。
学校の帰り道、私はある友人をからかってました。
ある言葉が彼の怒りのスイッチをつけてしまったのでしょう。
ガツン、と鈍い衝撃の後、私はふらつきました。
ヤツは、私の右顎をグーで殴ったんです。
一瞬、
「コノヤロー!」
という感情は湧き出ました。
けど、その次の瞬間には、
・私と彼の体格差(私のほうがでかい)をチェック。
・彼の後ろには、ガードレールがある
・不意を突いて殴り返せば、彼はよろけるかもしれない。
・ガードレールを背に倒れたりしたら、大変なけがをするかもしれない。
そんな思考が頭をめぐり、私は一瞬で冷静になりました。
いちど、冷静になってしまうと、もはやこぶしを下すしかない。
バカバカしくなってきたわけです。
その時感じたことがあります。
ああ、こんな時に、周囲も見えず勢いだけで殴り返せたらなぁ。
変な話ですが、後先考えず行動できる人がうらやましく感じました。
今、私はある二代目社長の顔が頭に浮かんでいます。
彼は非常に人格者でマジメ。
長い付き合いですが、そういえば、彼が顔を真っ赤にして起こっているところも、
耐えきれないくらい笑い転げていることも見たことがない。
きっと彼も私と同じで、どこか冷ややかな目で自分を含めた世界を見ている。
そんな気がするのです。
これ、おそらく、そういう癖をつけてきたんでしょう。
子どものころに、感情をあらわにすることはいけないことだと教えられたとか、
感情をあらわにすることで嫌な目にあったとか、
自分そのものを表に出すことを恐れているとか。
まあ基本、繊細な人に多いのではないかと思います。
(私のことを繊細という人はほとんど見かけませんが・・・)
手っ取り早く言うと、冷静沈着な自分でなければ受け入れられない、
という幻想に取りつかれちゃっているのでしょう。
そんな生活を続けていると、もう感情をあらわにすることが、
どうやっていいのかさえ分からなくなります。
これ、普通に生活する分には、さほど問題はありません。
というよりむしろ便利(笑)
少なくとも、変な失敗は少なくて済みます。
けどこれって、やっぱり自信のなさの表れ。
本当の自分を見せると受け入れられない、っていう妄想なんだと思います。
自己肯定感が低い、と言われる状態です。
要は、別人を演じながら今までやってきたということなんですね。
たいてい、演じる別人っていうのは、本当の自分とは正反対だったりするんですけど。
ある意味、すごいのは、別人演じながら今の地位にいるってこと。
本性出したら、行くとこまで行っちゃいますよ。
大体こういう人の傾向として、努力してるとこ、もがいているとこ、困っている姿、苦しんでる姿、
悲しんでたり、取り乱してるところを人に見られないようにしてます。
スマートであれ。
つまり、ある意味完ぺき主義。
傾向として、厳しくしつけられた人に多いんじゃないかな、と思います。
子どものころから習慣づいた行動なので、ある日突然変わるのは難しいかもしれません。
けど、ちょっとずつでも、自分が見せたくない自分を無防備にさらすトレーニングすると、少なくともずっとラクになります。
「おまえ、変になったなぁ」
と近しい人から言われ始めたら、効果が出始めてる証拠。
どんどん変人になりましょう。
きっとそのほうが楽しいはずです。
少なくとも私は、それを意識し始めてずいぶん楽になりました。
同じ特性を持つ人は、同じ特性を持つ人を見ればニオイでわかります。
お目にかかることがあれば、そんなあなたをイジッて差し上げますよ(笑)
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