人は、経験のないことを、ある日突然「やれ」と言われてもなかなかできるものではありません。
しかし、日常の社会経験の中では、意外と多いものです。
たとえば、初めて管理職としてマネジメントを行うとか。
そのやり方も教わらず、経験もなく、それをやれというのだから恐ろしい話です。
ただ、実際にはもっと細かい点で、経験のないことを突然やらなければならないシーンが出てくるのです。
————————————————————
小冊子無料ダウンロードはコチラ
私の著書です。
関心を持っていただいた方は、画像をクリック。
先日、『ゴースト・ボーイ』という本を読みました。
この本の内容はざっとこんな感じです。
著者であるマーティンは、12歳の時、
原因不明の病で意識不明の植物状態になりました。
体も動かせず、意識もない。
しかしそれから数年後、マーティンの意識は目覚めた。
とはいえ、声も出せなければ、身体も動かせない。
そんなマーティンが「自分は生きている!」と
人に伝えることができない。
そんな暗闇の中から、少しずつ体を動かし、
PCを使ってコミュニケーションを行い、
何とか自立するまでを描いた自伝です。
さて、このマーティンはあることをやったことがありませんでした。
それは、自分で「決める」ということです。
何年も、意思表示もできなかった彼。
風呂に入れてもらうのも、
食事をとるのも、
トイレさえも、
介護者のタイミングで、介護者のやり方でしかできません。
意志表示さえできない状態ですから、
何を食べるか、いつ風呂に入るか、
自分で決めることができないのです。
ただ、他人が作ったペースでしか物事をできない。
そんなマーティンが、車いすとPCを使い、
意志表示をしたり、身体を動かしたりし始め、
仕事を得て、人との交流を始めます。
その時にたとえばレストランで
「何を食べる?」
と聞かれた瞬間、彼は凍り付いてしまいます。
彼は、これまで自分が食べるものを選べたためしがない。
というか聞かれることさえない(何しろしゃべれないので)。
その時の憤りが本書の中では表現されていますが、
メニューから食べたいものを選ぶ。
そんな単純なことさえ、やったことがないから、頭を抱えてしまうのです。
さて、これは重度の障害を持つことになったマーティンだけの問題でしょうか?
よく観察してみると、時折
「自分で選べない人」
というのがいます。
仲間と一緒にいても、
「なんでもいい」「みんなに合わせる」
といった人が時折います。
もちろん、仲間との関係性にもよります。
だけどたとえば、
行きたくない、やりたくないのにその意思表示ができない人、
自分の好みをはっきりと主張できない(というか自分の好みを認識していない)人、
誘いを断ることに、以上に神経質になる人、
そんな人が大人でも結構いるものです。
もちろん、社会の中で、主張すべき時とそうでない時があります。
大人のたしなみとしてのふるまいならいいのですが、
時に本当に主体性のない人がいるのも事実です。
実はこれ、
自己主張をしたことがない人
である可能性が高いのではないかと思うのです。
その原因の一つとして、幼少期から、常に
「親が自分のことを決めてきた」
ということがあげられるのではないでしょうか。
ああいうことしたい!と思う。
それを表現する。
親は、「あなたは××のほうがいいんじゃない?」と言って聞かせる。
そして子はそれに従う。
小さなころからこういったことを繰り返していると、
自分で物事を決められなくなってきます。
大人になるとさすがに親はそこまで口を出さないのでしょうが、
子どものころについた癖は大人になっても抜けるものではありません。
だから、親が否定しそうなことは、口にも出さない。
親が肯定しそうなことだけをやる。
そういう人は、大人でも結構見かけます。
実は、長いこと気づかなかったのですが、私にもそういう傾向、ありました(苦笑)
そうすると、だんだんと自分が本当に何がやりたいのかが見えなくなる。
なにしろ、自分で「これやりたい!」と思うと同時に、
「そんなこと言ったら親はこういって否定するだろうな」
ということが頭の中で浮かび、やりたいという感情が隠れてしまう。
普通の家庭であれば、独立して家庭を築けば、徐々にその思考は薄れてくるのでしょう。
親の影響力はだんだんと小さくなってくるのですから。
しかし、後継者はそういうわけにもいきません。
独立しようが、結婚しようが、親が職場にいて、四六時中お互い顔をあわせます。
顔を見るたびに、心の中での親の影響力が強まっていき、
だんだんと自分の意志が、心の洞窟の奥底に沈んでいきます。
それが親が望んだあなたではなかったとしても、忖度するわけです。
具体的には、
●特に自分の意志ではなくなんとなく親の会社に入った
●これと言ってやりたいことがない
●仕事には一生懸命取り組んでいるものの、なにか空虚に感じることがある
●なんとなく自由がない、と感じる
●親が自分のことを勝手に決めることに腹立たしく思う反面ほっとする
●重要な決断が必要な時、親が決めてくれると安心する
●周囲の人がこうだというのだから、そうに違いないと自分を説得する
●同業他社がやってることを正しいと決めつけて自社にも導入しようとする
といった症状がある場合、「自分で決める」ということを避けている可能性があります。
厄介なのは、自分で決めていないことを無意識に正当化することです。
親が決めたのだから仕方がないとか、経験豊かな親が決めたことだから従わなければならないとか、
そういった考えで自分を納得させる。
その結果得られるものは、自分で決めるという重圧、決めた後に取るべき責任を一時的に回避できるというメリット。
さて、こういった状況にいるかぎり、おそらくモヤモヤした心のありようは解決しません。
そこを抜け出すのにまず必要なのが、自分で決めるということを避けている、ということをまずは知ること。
「ああ、これ、自分で決めるのを避けたな」
と後からでもいいので、知ることです。
知ったうえで、本当は自分はどうしたいのか?を自問自答してみる。
はじめのうちは、その意見表明をするのは困難かもしれません。
自分がどうしたいか?という意志を捕まえることさえ難しいでしょう。
しかしそのトレーニングを日々行うことで、自ら決めることが少しずつできるようになると思います。
なんだか雲をつかむような話に聞こえるかもしれませんが、ほんのちょっと意識してみてください。
それができ始めるようになると、少なくとも気持ちの悪いストレスからかなり解放されると思います。
————————————————————
小冊子無料ダウンロードはコチラ
私の著書です。
関心を持っていただいた方は、画像をクリック。
この記事へのコメントはありません。