良くないことが続くときというのはあるものです。
そんな時、やってしまいがちなのは、「なぜだろう?」と
過去から続く流れを考えてしまいます。
あの時、この道を選ばなければ。
安易に親の会社を継ぐなんて言わなければ。
思い切って、会社を継ぐのは嫌だとハッキリ言う事ができれば。
自分の不幸は、あの時に始まったに違いない。
あの時の選択をやり直すことができたら・・・。
悩みというのは不思議なものです。
今、目の前にある事だけでなく、過去の決断、
未来の不安も引き連れてあなたを苦しめます。
そんな思いにとらわれたとき、何ができるのでしょうか。
私の著書です。
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Contents
「悩み」は”今”だけのものではない
あなたの悩みを深くする過去と未来
「ええ加減にせぇ!」
誰に向けるともなく放った言葉。
人のいなくなったオフィスで、一人もだえ苦しむ。
ファイルキャビネットを蹴飛ばし、抑えきれない怒りに体は震える。
しばらくして心を落ち着けると、頭の中を思考が駆け巡る。
そもそもなぜこうなったのだろう。
あれこれと記憶をたどる。
そんな時、二代目経営者はあるきっかけにたどり着く。
「会社を継ぐなんて言わなければよかった」
そうこうしているうちに、思考は未来に飛ぶ。
明日はどうなる、来年はどうなる、5年後は、10年後は・・・
その時に、今の自分を困らせている原因は取り除けるだろうか?
そもそも、少なくとも数年内に、会社はこういう状態にしておきたい。
そう思って色々と手を尽くしたつもりだ。
しかし、その対応策はいつもぶち壊しになる。
それもこれも、家業の二代目なんて言うのを引き継いだからだ。
自分はもっと力を発揮できるはず。
なのに、この環境のせいで、自分の能力は十分発揮できてはいない。
自分は、このまま人生を終えていくのだろうか。
今、目の前にある問題が、過去と未来を引き連れて今の自分にのしかかる。
このままいくと大変なことになる。
しかし、過去も未来も変えることができない。
手詰まり。
そんな感覚の中、今を生きる。
その閉塞感の中で、途方に暮れてしまう。
同族企業の後継者・二代目経営者が陥りやすい状態です。
後継者・二代目経営者をむしばむ記憶の罠
さらに問題があります。
私たちは、過去を正しく認識していません。
ある興味深い実験を見てみましょう。
被験者にディズニーランドで
観光客がバックスバニーと握手している
「合成写真」を見せたところ、40%の被験者が
「自分もディズニーランドで
バックスバニーにあったこと」を思い出した。その記憶はありえない。
実は、記憶というのはあいまいです。
ディズニーランドに、バックスバニーがいるわけはありません。
この実験では、常識的にもあり得ない”記憶”を40%の人が作り出したといいます。
今、目の前に突き出された現実に合わせて、人は過去の記憶をいとも簡単に塗り替えます。
過去の記憶はあてにならないのです。
しかし、その当てにならない記憶が、今のあなたの感情を作っています。
そう考えると、過去の後悔をわざわざ取り出して、今の自分の怒りに非を注ぐなんてナンセンス。
悲劇の主人公であり続けたいなら話は別なのですが。
モチベーションを自ら下げる行動をおこなっている?
やらされ仕事の憂鬱
ところで、モチベーションってどこからやってくるのでしょうか。
これは大きく分けると二つの種類があります。
外発的動機と、内発的動機。
外発的動機というのは、外からの刺激に反応して出てくるモチベーションです。
ほめられたから頑張る、報酬をもらうことができるからやる、叱られないように頑張るといった感じ。
内発的動機は、自分の内面から湧き出るモチベーション。
一般的に、内発的動機の方が強く、持続力もあると言われています。
外発的動機は、瞬発力はあるものの、消えやすい傾向があるようです。
その内発的動機のうち、最もシンプルなものが、
「自分で決めたから、やる」
というものです。
人は、選択肢を出されて、自分で選んで決めた場合は、満足度が高い、というのはよく聞く話です。
「これをやりなさい」と言われるより、「これをやるか、あれをやるかどちらにする?」と聞かれて決めたことの方が打ち込みやすい。
それは内発的動機を活用しているからです。
さて、悩み多き後継者や二代目後継者は、大抵こう言います。
「やりたくて、やっているわけではない」
「長男だから仕方なく継いだ」
「だれも継ぐ人がいなかったので、自分がやるしかなかった」
この後継者・二代目経営者の心の中で起こっているのは、選択したのではなく強制されたというニュアンスが強いわけです。
ここに後継者や二代目経営者が、つねに悩みを漏らす原因の一つを見つけることができます。
「やらされている」という感覚。
自分で選んだわけではない、という感覚。
これがあると、どうしても
「やってられない!」
という感覚を抑えきれなくなります。
本当に選択肢はなかったのか?
そこで過去を振り返ってみましょう。
あなたは、絶対に親の会社を継がなければならなかったのでしょうか?
もちろん、周囲の状況や、親の状況を考えたらそれ以外の選択肢はなかった、というのも現実だと思います。
とはいえ、鎖につながれて親の会社に引っ張られ、柵に囲まれた中で親の事業をやっているわけではないはずです。
ということはいつでも逃げることは可能です。
あえて逃げ出さない、投げ出さないのは、あなた自身の選択です。
「親の会社を継がなければ、家族の中で気まずい思いをするだろう」
「いざその時になって周囲をきょろきょろ見回したら弟たちは目をそらした。結局自分がやるしかないのだろう」
「親もそろそろ年だし、誰かが継がなければならない。であれば、自分がやるしかないか」
理由は様々でしょうが、これ、全部決めたのは自分です。
空気を読んだのは自分です。
家業を継がず、家族と気まずくなるリスクと、
やりたくもない家業を継ぐリスクを天秤にかけて、
前者を選んだのは、誰でもないあなた自身です。
それでもなお、「自分で決めたことだから」と納得できないのは、
都合の良い過去の記憶を合成する、という人の脳の機能に翻弄されているのではないでしょうか。
変えられないものは変えられない
頼んだ覚えのない親と、頼まれて仕方なく受けた息子
ある親子は、子は「親に懇願されて仕方なく家業を継いだ」というし、
親は「子の意思を尊重した」という。
どちらが事実かはわかりませんが、どちらかが間違えているわけです。
もはやそんなことはどうでもいいのですが、どちらかが都合の良い記憶を作っているようです。
いずれにせよ、おこってしまったことは、おこってしまったことです。
しかも、事実かどうかも怪しい記憶の幽霊に、私たちは今なお縛られているとしたら、なんともムカつく話です。
起こっていない事の心配
もう一つありがちなのが、未来の心配です。
過去とは違い、未来は変えられます。
これはありがたい事実。
今が悩み多い状況だったとしても、1秒後にはその悩みが取り除かれてる可能性があります。
え?そんなのむり?
いえいえ、簡単です。
心配する、という行為をやめてしまえば、未来の心配は吹き飛びます。
実は、未来の心配は未来の話か?と言えばそうでないのは割とよく知られた話。
どういうことかといえば、”今”まさに心配をしているあなたの心の問題です。
言葉遊びのように聞こえてしまうかもしれませんが、心配している内容は、起こっていない事です。
起こっていないことに対する心配は、未来の問題ではなく、”今”のあなたの心の中にだけ存在する問題です。
「心配」で失った10年の時間
笑い話のような話ですが、こんな体験談があります。
私は、親知らずが寝ころんだ状態で生えていました。
顔の正面に向かって、どんどん奥歯が伸びていたわけです。
歯ぐきから出ている部分はごくわずか。
これ、どうやって抜くんだろう・・・と情報を集めます。
既に似たような親知らずを抜いた友人は言います。
歯ぐきを切開して、表の部分を砕いて、破片をピンセットで拾っていく。
そんな話を聞き、ビビッていました。
意を決して歯医者に行くと、
「ウチでは抜けないので、大学病院への紹介状書きます」
と言われて紹介状を頂きました。
そんな折、別の友人がやはり親知らずを抜いたといいます。
やはり大学病院で、抜いたそうですが「あり得ないほど痛い」というのです。
しかも学生さんが見守る中、見世物のようにされる。
ある内科医の奥さんも言います。
「大学病院で治療なんてするものではない」
そ、そうなんですね。
医療機関で働く方の奥様が言うのだから、きっと正しいのでしょう。
そうこうしているうちに、10年の月日が経ちました。
ある日、変な形で前の歯を押している親知らずのおかげで、
押された歯が割れてしまいました。
しかも相当ひどい虫歯になっているようです。
もう、待ったなしです。
仕方なく、歯科医院を探し、相談する。
「先生、この歯、ここで抜けますか?」
先生は、笑いながら言う。
「大丈夫、大丈夫、すぐすむからね」
その1時間後、私は10年も悩んだ親知らずをスッキリ抜いていただき、
晴れた顔をして自宅に帰っていました。
治療中は痛みなどまったく感じませんでした。
数日は傷口が痛みましたが、さほど問題になる痛みではありません。
頂いた痛み止めさえ、ほとんど飲まずに過ごせました。
10年間の悩みは、この1時間ですべて解決してしまったわけです。
たった1時間の我慢のために、10年間私の頭の片隅に巣食った心配事は、
その心配に関するネガティブな情報を磁石のように引き寄せ続けたのです。
変えられるものはなにがある?
未来も過去も今が変われば一瞬で変わる
過去の記憶は、自分が信じた現実のために簡単に書き換えられる。
未来の心配は、そこに関連するネガティブ情報を磁石のように引き寄せる。
そして、その心配があるのは未来ではなくて、現在の自分の中。
結局、問題はすべて”今”以外には存在していない。
では、今がノープロブレム、万事オッケーという状態だと仮定しましょう。
難しいかもしれませんが、ちょっと頑張ってみてください。
親の会社を継いだのは、なんだかんだ言って自分で決めました。
それは正しい選択だったし、今は充実しています。
試しに、声に出して10回くらい唱えてみましょう。
何となくその気になってきましたか?
その気になれなくても、その気になった自分になりきって、胸を張ってください。
何年も、何年も、会社に来るのが息苦しかったり、
事務所にいるだけで肩こりがひどかったり、
先代とのコミュニケーションが苦痛だったり、
社員と接するだけで固くなったり、
そんな小さなストレスの一つ一つは、実は
後継者や二代目経営者という立場そのものがやらされ仕事である、という思い込みから始まっている可能性は十分あります。
まずは、そこから自分を解放してください。
意外に思うかもしれませんが、これは「覚悟」だと思っています。
だってそうじゃないですか。
誰に強制されたのでもなく、自分で決めたと受け入れることなんですから。
驚くかもしれませんが、覚悟をすると、楽になるんですよ。
加害者を探してもいいことはない
とはいえ、現実に目を落とせば、現実的な問題は日々降りかかってきます。
社員が問題を起こすかもしれないし、仕事上のトラブルも起こるでしょう。
一生懸命仕込んだ仕掛けが、先代の鶴の一声で崩れ去ることもある。
そんな時に、アイツが悪い、コイツが悪い、とつい考えがちです。
これ、本能的に、誰かの責任にすることで、自分を安全地帯におこうという自己防衛本能の表れだと思います。
だけど、実際には、人を責める時点で自分も気分が悪くなる。
責められたアイツも、コイツも、あなたに反抗的な態度をとるかもしれません。
そこまでいかなくとも、自分自身で後で自己嫌悪に陥ったりします。
あなたが被害者かどうかは別として、加害者を探したって何の解決にもならないことが多いのです。
加害者を見つけて怒りをぶつけてみたって、怒りや抵抗、不服従といった反応を返されるだけ。
日々起こる問題にアタフタして、ストレスを抱える理由はその結論が見えないからです。
いつ終わるか、どんな形で終わるかわからないから、やはり未来に現実で起こっている以上の心配をするからです。
だから、「まぁ、なんとかなるでしょ」と構えると、アタフタしないんです。
さすがにその域に至るには、一筋縄ではいきません。
けど、今まで目くじら立てていたことをもう少し大目に見ることができるようになると、部下の失敗に寛容になれます。
とどうじに、寛容で頼りになるあなたは、部下から尊敬されるようになります。
部下から尊敬されると、先代への発言力も強くなります。
いままで、先代をコントロールしようとして、いちいち行動の一つ一つが癇に障っていたものが、へらへら笑って許せるようになります。
オヤジ、またしょうもないことやっとる・・・的な感じですね(笑)
親子の確執のベースにあるのは、こんな構図です。
STEP1 上から目線の親。それを同じ高さにしたい子供。
STEP2 上から目線の親。自分は同じ高さにいるつもりの子供。(けどそのように扱ってもらえない)
STEP3 上から目線の親。自分は同じ高さを超えた子供。(けどそのように扱ってもらえない)
STEP4 上から目線を死守したい親。そんな親を見下す子供。(険悪ムード)
このなかで、読者の多くはSTEP2~3が中心かと思いますが、この時期に先代をコントロールしようとするとことごとく裏切られます。
しかし、期待しなければ、失望することもありません。
親を動かすのではなく、自分のとらえ方を変えるのが「変えられる部分を変える」という事です。
だれがどうだ、ではなく、自分はこうだ。
それを追求するのが健全かと思います。
人を変えようとする前に自分が見ている世界を変える
いろんな話で内容が散らかったので整理しましょう。
今回の記事のポイントは五つ。
一つでもお役に立てることがあれば幸いです。
ポイント①
私たちの悩みは、過去にも未来にもない。
過去の記憶の幽霊に悩まされることも、未来の起こっていない問題にも対処の必要はない。
ポイント②
私たちを苦しめているのは、実は「自分で決めた」という現実を受けて入れないところに原因がある。
その現実を受け入れることを、覚悟という。覚悟をすると楽になる。
やらされ感満載の二代目稼業であるうちは永遠に苦しい。
ポイント③
他人を変えることはできない
人を変えるのは至難の業ですが、自分がどう彼らと接するかはすぐかえられます。
しかも、自分の行動が変わると、周囲の人間の反応も変わります。
そもそも、他人を檻の中に閉じ込めるというのも、「自分の苦しみを味わえ!」的な気持ち悪さがありませんか?
ポイント④
加害者探しはあまりいいことがない
自分をこんな状態に陥れた加害者を特定しても、彼らに罰を与えても、心の平和は訪れません。
むしろ罪悪感にさいなまれるのでは?
ポイント⑤
まずは自分ありき
他人がどういうとか、自分にどんな仕打ちをするとか、他人を主語に考えるのはちょっと控えたほうが良いように思います。
他人に期待すれば、自分の思う通りに動かなければ「裏切られた」ことになります。
他人さんはそんな風には思っていなくても。
他人に期待するのはやめて、自分としてどうするかを考えましょう。
本ブログ記事に、動画でコメントしてみました。
よろしければどうぞ。
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