世の中は理不尽と感じられることが少なからずあります。
スマートに結果を出す人より、つまずきながらやっとその結果にたどり着いた人のほうがより多くの称賛を受けます。
苦しんでいる姿を見せ、汗まみれになり、弱音を吐く人が、評価されやすい。
だからと言って、スマートに結果を出す人が努力をしていないわけではないはずなのに。
私の著書です。
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あなたの周囲にもいませんか?
やることはハチャメチャ。
効率という言葉とは縁遠く、
ただがむしゃらにやるのだけど、つまづくことが多い。
やることなす事裏目に出てしまう。
落ち着きはないし、一人で物事を完結する事とは程遠い。
だけど、こういった人が、一定の成果を出すと人は称賛します。
「よくやった!」と。
逆に、物事を器用にこなし、顔色一つ変えず次々と物事を処理する。
外から見ていると失敗することはほとんどなくて、
右から左へ流すかのように物事を成し遂げる。
こういう人が、ハチャメチャな人と同じ成果を出したとき、人はどういう評価を下すでしょうか。
きっと拍手が起こることも、感動もなく、当たり前に終わっていく事でしょう。
先代に認められなかった後継者の憤りが一瞬で消える考え方という記事でも少し書きましたが、人は努力という行為に対して評価をする傾向があります。
結果が大事といいながら、感情的には”過程”を評価しがちです。
泥臭い努力物語が大好きで、汗かきべそかき努力(苦労?)する人に称賛が集まります。
効率的に汗もかかずやる姿を評価する人はあまりいません。
つまり、物事をスマートにこなすと、損をするわけです。
なぜそのようなことが起こるかというと、シンプルに言えば人はそういう生き物だからです。
ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)という言葉をご存知でしょうか?
神話の法則とも呼ばれますが、人が好む物語には一定の流れがあります。
苦労して、苦労して、苦労して、栄光をつかむ成長物語。
こういった物語が、古今東西に伝わる神話に共通しており、人の根底に流れるパターンであることがわかっています。
ジョージ・ルーカスがその物語のパターンを「スターウォーズ」に応用して大ヒットしたことから、未だ多くの映画やゲーム、小説やマンガで使われる基本パターンです。
さて、この話に深入りすると長くなりますので、ここでは
人が感動する物語にはパターンがある
という事だけをご理解いただければ十分です。
それを忠実に再現しているのが、冒頭のドジな人・・・という事になります。
努力の末に受け取った結果だから称賛もされ、感動的なラストシーンになるわけです。
私はどちらかといえば、スマート派に見えるようです。
体形はスマートではありませんが、その分安定感があります。
器用だとか言われることも多いです。
だから、私が何かを成し遂げても、感動のラストシーンはありません。
というか、成し遂げたことさえ誰も気づかないくらい地味かもしれません。
じゃあ努力をしていないのか?というと、多分、そんな事はないはずです。
たとえば嬉しい事に、最近は私が書く文章をご評価いただくシーンが増えました。
しかし、私も初めから文章をかけたわけではありません。
学生時代、作文で褒められたことは一度もありませんでしたし、国語の成績は5段階の「2」です。
それでも、元国語の先生が出版されるに際してその構成のサポートをしたり、いくつかの媒体でコラムを書かせて頂いたり、ぽろぽろと書く仕事のオファーを頂くようになりました。
そこそこ書けるようになるためには、実はこんなことをしてきました。
- 12年間にわたるブログの更新
- WEBサイトをほぼ毎日更新し、2年で1000本以上の記事を投稿
- お客さまへの毎月のニュースレターの執筆
- セールスレターを毎月執筆
- 何気なく使っている言葉を時折辞書で調べる
- 類語辞典で似た表現を調べる
- 感情表現辞典を眺める
- ライティングに関する書籍や情報を読む
- ビジネス書を読み、その構成を意識する
- 「解りにくい」と言われる文章がなぜわかりにくいかを分析する
- 構成や表現技法を意識しながら小説を読む
- 目の前で起こったことをどう表現すればわかりやすく伝えられるかを脳内シミュレーション
- 複雑なことをどう伝えれば理解しやすいかの表現を頭の中で作る
といった書くことに直接関係することに始まり、
- 物事の共通点・規則性を探す
- 物事をどのように分類するかを常にシミュレーションする
- 他人の言葉で気になるものをメモる
- 身の回りに起こるすべての事が「ネタ」にならないかを検証
などなど、挙げればきりがありません。
振り返ってみれば、とにかくたくさん書くことと、書くことを前提にした日常があったように思います。
特にこの1~2年はかなり意識してたくさんの量の文章を書いています。
ここまでやっていても、周囲の目に映るのは、
「田村さんは、書ける人だから。」
という話で終了です。
「やりきったよねー!」という感動のエンディングは皆無です。
当たり前にやって、当たり前にできた。
ただそれだけの結論です。
ここで、こんな話をしたのは、別に努力をわかってほしいという訳ではありません。
むしろ、私の価値観で言えば、努力を表に出すなんていうのは恥ずかしい行為ですから、こんな話をめったにすることはありません。
実は、長男長女というのは、そういう考え方の傾向を持った人が多いのではないでしょうか。
努力を見せることを嫌い、こっそり練習して、表向きはそつなくやる人。
苦しいときも、一生懸命な時も、それをあまり外には出さない。
平然とこなしてる風な見てくれです。
そして、経営を継承するのは、長男長女であることが多いのではないでしょうか。
ここでやっと本題に入りました(笑)
もし、あなたが長子である場合、早く大人になることを求められて育ちます。
「お兄ちゃんなんだから、ちゃんとしなさい。」
「お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい。」
そう言われ、しっかり者になることを期待されます。
しっかり者という事は、手のかからない子供です。
手がかからないという事は、親をわずらわせたり、心配させてはいけないわけです。
結果として、努力の過程や紆余曲折を親に、世間に見せてはいけないというポリシーをもって成長します。
だから、ドジであってはならないのです。
たとえドジであっても、それを人に見せてはならないのです。
見えない努力は評価の対象にならない、という現実があるとすれば後継者としては損な役回りです。
親の目を取り戻すために、一生懸命やってることを先代にアピールするか?といえばそんなこと、プライドが許しません。
一方、末子の場合はドジであることで、親の目を引かなければ兄や姉任せにされてしまいがち。
危なっかしいくらいでなければ、兄弟の中から自分を選んでもらうことができません。
だから、何をやっても危なっかしい状態を無意識に作り出します。
それぞれにそれぞれの生存戦略があるわけですね。
そしてそれを持ったまま大人になるんです。
ところで、ヒーローズ・ジャーニーは人の心の奥底にある、多くの人がもつ共通の物語です。
その物語を書き換えることは難しい。
ならば、その物語に則った行動が、人の心を震わせることになります。
もし仮に、他人に向けられる称賛に妬ましい思いを感じるとしたら、一つ提案があります。
多くの偉業を成し遂げた人たちは、「コイツ馬鹿じゃないの?」といわれるような目標を掲げたわけです。
これを見習って、あり得ない目標を掲げてみてはいかがでしょうか。
それを口にした瞬間、ソツなく汗もかかずに仕事をこなすビジネスマンから、勝てる見込みのない相手に突進するドン・キホーテに変身します。
「世の中を変えてやる!」
こんなことを言うと、周囲から人がささっと引いていきます(笑)
しかし、例えば、あの自動車メーカーのボルボ。
2008年から、こんなプロジェクトを発動させています。
ボルボは、2020年までに新しいボルボ車での交通事故による死亡者や重傷者の数をゼロにするという大きな目標を掲げ、その達成を目指しています。人を守り、思いやることはボルボの哲学の根幹であり、「Vision 2020」は、ボルボが人の命を守る責任を負うことを宣言するものです。
2008年といえば、今の自動ブレーキとか自動運転はまだまだSFの話だったと思います。
その時点で、こんな無茶ぶりして、結構本気で取り組んでます。
しかし、できなかったらかっこ悪いなぁ、なんて思いが即座に浮かび上がるかもしれません。
けどできなくてもいいんじゃないですか。
ボルボがこのビジョンを達成できなかったと、恥ずかしいと思う人は誰もいないでしょう。
少なくとも、そこに向かって本気に努力してることが大事なんだと思います。
さすがにそれをサラッと成し遂げるのは難しそうですし、サラッと成し遂げたならそれはそれで賞賛に値します。
あり得ない目標を掲げる、結構よくないですか?
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