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何をやりたいかがわからない跡継ぎ・後継者・二代目社長が自分がやりたいことを知るたった一つの質問

このブログの中で、跡継ぎ・後継者・二代目社長が会社を投げ出したくなる原因の一つに、「自分にとってのゴール」が見つけられていないことがあると何度もお話ししています。じゃあ、気になるのは、その自分にとってのゴールってどうすれば見つかるの?ということになります。

やりたいことっていうのは、多分もうすでに何かしらの形で間接的にやっているケースが多いんじゃないかと思います。それをあまりに普通にやりすぎているから気づかないということと、それが直接お金を生んでいないから「仕事」としてとらえられないということが、自分の人生のミッションとは思えないというところもあるでしょう。

それをあぶりだす質問は、ただ一つです。きっと皆さんも一度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
「もしあなたが、お金も時間も十分に与えられていて、それでもなおかつやりたいこと、やらずにはおけないことって何?」
とてもありきたりな質問なんですが、一度再考してみてほしいのです。

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「やりたいこと」が見つからない理由

やりたいことはどこにあるのか?

人が生涯をかけて成し遂げたいことって、自分の外にあるのでしょうか?「自分探し」と称して旅をしたり、いろんなことを経験したりすることで、何かをつかみたいという流れがあるということは、自分の外にあるものを求めているかのように見えます。しかし、私はそうは思っていません。世界のどこかに私たちのやりたいことが待っていて、それと出会うというような性質のものではないと思っています。たしかに、今の環境を飛び越えて、日ごろ受けないような刺激を受けるという意味で、旅をするとか、今まで経験したことのないことを体験するというのはとても有効な方法だと思います。しかし、その刺激が動かしているのは、私たちの感情です。その感情を動かすなにかと出会うための経験ですから、やりたいことはすでに私たちの内面にあるんじゃないかと思います。

「やりたいこと」は心の奥底深くに沈んでいる

多くの人は、子どもの頃はやりたいことに忠実です。しかし、だんだんと成長するにつれ、社会に同調することを覚えていきます。個性を発揮するよりも、みんなと同じにしたほうが摩擦が少なく生きていけることを小学校の間に学びます。だから、授業中分からないことがあっても、それを質問するとか、深く追及するとかいう探究心はわきに置いておいて、「こんなものなんだろう」と納得するほうが効率的だということを知ります。しかし、面白いことに、後世に天才と名を遺した人たちは、子どもの頃に学校の勉強についていけず、一つ一つにこだわって先生を質問攻めにし、学校からさじを投げられたような話がたくさんあります。きっと彼らは、自分の関心を抑えきれなかった結果、天才の称号を得たのでしょう。

さて、多くの人は、社会に適合するために自分の想いより、周囲に合わせることを選びます。自分の想いが頭をもたげると、自分の想いと社会と同調すべきという想いとの葛藤に苦しくなるので、次第に「自分の本心を知らないほうが楽」ということで、自分の想いを気付かないよう耳をふさいで大人になる。こうやって自分のやりたいことは、心の奥底深くに沈んでいきます。

巷でいわれるやりたいことの見つけ方3選

やりたいことの見つけ方①「ワクワクに従え」は有効か?

よくあるやりたいことの見つけ方としてのアドバイスの一つは、「ワクワクに向かって動こう」的なものです。やりたいことが感情にあるならば、その感情が動く方向に進め、ということですから理にかなっているように思います。ただ、私の経験上、日所に自分の感情に対して不感症の状況だったため、何がワクワクなんだかよくわからないわけです。たとえば、ある方法を教えてもらって、それを使えば、家業がすごく儲かる!とイメージできれば、すごくワクワクします。けど、やり始めてみると、ちょっとうまくいかなくなると投げ出してしまうんです。たぶん、生涯をかけてやることはそんなすぐに火は消えないんじゃないかと思います。

それってたぶん、「楽して儲かる」というところにワクワクしていたのであって、本質的にやりたいことではないのかもしれないな、と思ったりもしました。確かにうまくいくと面白くはあるんですが、それが面白くてはまる人は、もはや儲かったことがうれしいというより、そういった仕組みを作って、試行錯誤しながらその仕組みがしっかり働く形を作り上げることが好きなんじゃないかと思います。

そんなことを総合的に考えると、確かにワクワクの先に何かがあることは少なからずあり得ると思います。ただ、表面的な成功より少し深いところに本当にやりたいことがあるように思えます。一方、そもそも「ワクワク」を感じることがほとんどない、という人も多いと思います。日常業務に忙殺されていて毎日同じ刺激しか受けない場合、もはやすべてが予定調和。となると何かしらの挑戦画筆いようになるわけですが、じゃあ何をやっていいかというところの方向感が見えない。ワクワクに従えというのは、ワクワクの対象を感じ取れている人には有効だけど、そうでない人はワクワクの感情を掘り起こす感性を磨くところから始める必要があるかもしれません。

やりたいことの見つけ方②「自分年表を作る」は有効か?

やりたいことを子どもの頃に忘れてしまったのなら、過去の自分の行動を振り返ればいい。そんな考えから、自分年表を進める人もたくさんいます。これは場合によっては有効で、過去の人生の中でいろんなことを経験し、実は似たような問題にぶつかっていたり、似たようなことに関心を持ったりしていたりします。それをしっかり振り返るというのは、とても大事なことだと思います。ここで注意が必要かな、と思うのがかつてやっていたことが、大人になって今も大事な関心ごとになるかどうかはわからないということ。

たとえば、私の場合学生時代、ギターやベースを弾いて、バンド活動をしたことがあります。それなりに楽しかったし、今でもまた弾いてみたいな、と思うことはあります。また、小学校にさかのぼると、マンガを自分で書いてみたり、小説を雑誌に投稿してみたりと、結構いろんなことに関心を持っていたように思います。だからといって、バンドを復活させ、漫画を描き、小説を書き……というのはちょっと違うような気がします。そういったことをやった背景に自分はどんな思いがあったのか、っていうのが結構大事じゃないかな、と思いますのでこちらも、表面的な字ずらをなぞるだけで終わらせないことが大事だと思います。抽象化してみて「何かを表現すること」が好きなのかとか、「人の注目を浴びたい」人なのかとか、そういった感じにとらえられるのではないかと思います。

とはいえ、とても参考になることなので、やりたいことがわからないとか、自分の本心をつかみあぐねてるならば、自分年表を作ってみるのはお勧めです。

やりたいことの見つけ方③「好きなキャラクターや物語をあげてみる」は有効か?

自分年表に近いかもしれませんが、過去に自分が好きだったヒーローや映画や小説、TV番組などをリストにしてみるのもよく聞く方法です。私はこの方法で、自分の知らない一面を発見しました。

やり方は簡単で、過去にはまったキャラクターや物語を書き出します。
私は、ブラック・ジャックやキャプテン・ハーロックといったどこか影のある孤独なヒーローを好む傾向があったように思います。
そのあたりは何となく予想できてたのですが、好きな物語というのが割と根性物が多い。私は結構長い期間「根性論は大っ嫌い」と公言してたくせに、根性で努力して成功した物語というのが大好物だったんです。その矛盾に旗と気づいて、自分を振り返ってみたらわかったことがあります。それは今まで自分は割と何でもそつなくこなす天才肌の人間だと思っていたのですが、それは大きな誤解だったということ。案外コツコツ努力を重ねるタイプだったみたいで、それ以来はあきらめて(?)コツコツ努力することを前提にしています。おかげで、自分の能力を発揮しやすくなったと思います。

結果として、「やりたいこと」はそれでは見つからなかったのですが、自分の気づかなかった特質に気づけたのはとても大きな成果だったと思います。

「やりたいこと」がわかりにくい5つの理由

すでにある職業や作業と「やりたいこと」が完全一致する人はまれ

たとえば、小さいころに病気がちでその時にお世話になったドクターや看護師さんの姿にあこがれて、医療従事者として生涯人のために尽くしたい、という想いを持ったとします。これはすごくわかりやすい話だと思います。自分がやりたいことが具現化された職業があり、その仕事を通じて自分たちが生活をするためのお金をいただく仕組みがあり、必要なスキルを身に着けるルートがあるわけです。

きっとそういった、「やりたいこと」を具現化するため、先人がそういった職業だったり商品や製品を作り、会社やビジネスモデルを作ってきたわけです。一方で、私たちは必ずしも、先人が作った道の範囲に収まらない世界を夢見ている可能性も少なからずあるように思います。

先ほどの医療従事者を希望された方も、もしかしたらたまたま自分の目に入ったのが西洋医学の世界だっただけで、東洋医学のばであったならば鍼を学んでいたかもしれませんし、食による健康や体づくりでのサポートで開業されていたかもしれません。方法論はともかくとして、人に寄り添い、健康に寄与するというのがきっとこの方におけるやりたいことなのではないかと思うのです。それがたまたまこの人の場合は目の前の一つの職種で実現できるというわかりやすい出会いがあったから、フォーカスしやすかったのではないかと思っています。しかし、残念ながらこのような分かりやすい答えばかりではないのが人それぞれの「やりたいこと」ではないかと思うのです。

ここにやりたいことが分かりにくい理由の一つ目があります。

「やりたいこと」がすぐにお金になるとは限らない

「やりたいこと」を探している人の多くは、その前提として「やりたいことをしながら稼ぎたい」という状況があるのではないでしょうか。多くの場合、やりたいことと、稼ぐことを別々にしてしまうことで、やりたいことをやる時間が減ってしまうというジレンマもあるようです。私自身、親の会社を手伝うようになって、朝早くから夜遅くまで事務所に詰めているなかで、その仕事にやりがいを感じられないむなしさがあったからこそ、「この時間が、やりたいことにあふれていればどんなに幸せか!」と思ったのがやりたいこと探しの発端です。やりたいことをやるために、お金を別建てで稼ぐという前提をとると、なかなかうまくいきそうにありません。

そこで仕事の中に喜びを探そう敵な話になるのですが、私はちょっと馴染めませんでした。

ただ、じゃあ何がやりたいかよくわからない中で、あるいは何をやり続ければ満たされた人生を送れるのかというのを探る中で、まずはお金とやりたいことの関係は切り離して考えたほうが良いように思います。私たちは、お金に換えられなければ価値はないと思い込みがちですが、お金には変わる仕組みがないものの多くの人が価値を感じているというものはけっこうあるように思います。そしてこれは先ほどの、「やりたいことが特定の職業につながるとは限らない」という話と関係があるのですが、やりたいことをビジネスとしてお金を頂く仕組みができていないだけで、うまく設計すればそれはお金になる可能性を秘めている事でもあると思います。最近では、「何にもしない人」という仕事さえあるぐらいですから、どんなことにも価値があって、それを見いだせるかどうかだけなのかもしれません。

はなしを振り出しに戻しましょう。
やりたいことが分かりにくい理由の二つ目として、金銭的価値のあるものでなければならないというおもいこみから、「やりたいこと」を却下している可能性もあるかもしれません。

「やりたいこと」は結果ではない

もう一つ、一般的なイメージとして「やりたいこと」というのは、「なしとげたいこと」と混同されているように思います。たとえば、「世界の平和」というゴールこそが自分が今生で成し遂げたい事と思ったとしましょう。しかし、それは成し遂げることができるかもしれないし、できないかもしれません。となると、人生の終わりに際してできていなければ失敗で、できていれば成功という、非常に博打的要素を含んでいると思います。多くの人が、「やりたいこと」を探すのは、生きていることに対する充実感を得る為ではないかと思います。たしかに「世界平和」みたいな大きなゴール設定は、人を輝かせる可能性は高いと思うのですが、むしろその過程を楽しむことが、人の生き方としては理にかなっているように思うのです。毎日やりたいことをやって楽しく充実した日々を送る事で、人生満足できて、その結果として世界平和への橋渡しができたなら、それはステキなことですね、というくらいの感覚のほうが健全な気もします。

結果が出て初めてOKというイメージを私たちは、「やりたいこと」に求めがちです。すると、そのゴール設定が大きすぎるとか小さすぎるとか、達成できなければどうとかいう不安などがないまぜになってしまいます。それこそがやりたいことが分かりにくい理由の三つ目と言えるかもしれません。

「やりたいこと」を本当に知ると困ったことになるという思い込み

少し前に、人はやりたいと思ったことを子どものころに封印してしまうという話を出しました。ここに関連して考えてみたいのは、やりたいことを本当にやってしまったら「社会的に何かしら困ったことになるかもしれない」という思い込みを持っている可能性があります。なにしろ、子ども心に封印してしまうようなものですから、きっと大人の自分が冷静に考えるなら、きっと今まで自分に課してきたルールから逸脱するような考えがベースになるんじゃないかと思います。

やりたいことが分かりにくい理由の四つ目がまさにこれで、やりたいことが分かってしまうと、自分はその衝動を止められず、(子供のころの思い込みにおいて)困ったことになるぞ、という恐れがあるように思います。それは親が推奨するものや、周囲の社会の価値観とは少し違った個性的な考えかもしれませんし、ただ自分では人に見せてはいけないと思っている自分らしさなのかもしれません。もしかしたらやりたいことが分からないとすれば、わからないことで享受しているメリットを考えてみると、逆に、自分がやりたい事を見ないようにしている事に気付くこともあるかもしれません。

「やりたいこと」は多くの場合すでにやり始めていることに関連している

人はやりたくてやりたくてしょうがないことを止めることができません。だから、すでに何かしら無意識の行動をしているかもしれません。小さいころから一貫して続けていることはないでしょうか。たとえば、一つのことに熱中して、出来上がるまでコツコツと作り上げるということは常に自分の行動パターンとしてあるならば、その人のやりたいことは「一つのことに集中し、それを作り上げること」なのかもしれません。たとえば、ブログや、YouTubeやその他SNSで発信を続ける人は、それが直接的な売り上げのためだったとしても、それを続けるには超人的な努力が必要なはずです。それを難なくやり遂げているとしたら、その人は「自分の考えや学んだことを多くの人に伝え、役立ててもらうこと」ということがやりたいことなのかもしれません。このお話は、このあと少し深堀していきたいと思います。

やりたいことが分かりにくい理由の五つ目は、やりたいことというのは自分が思っている以上に近くにある、と言えるかもしれません。

見飽きた質問だけど、けっこう深い

お金も時間も十分に手に入ってなおやりたい事

この質問は、「やりたいこと探し」「自分探し」をされた経験のある方なら、一度は耳にしたことがあると思います。しかしその時に考えてみたときにはきっと、従来の職業や職種に当てはめて考えてみたり、ビジネスにつながるものでなければならないと考えてみたり、思いついた考えを速攻で消したりした経験、ないでしょうか。私はあります。

これは私に限ったことではないと思うのですが、自分の生み出す価値はお金に換算できないと意味がない、と考えている人はけっこう多いと思います。そうすると、「やりたいこと」と聞かれるとお金やビジネスと紐づけて考えるため、非常に狭い視野から現状を見ようとしてしまいがちです。しかし、繰り返しになりますが、職業というのはあくまで先人がやりたいことをお金にするために作ったビジネスモデルがきっかけで生まれたものです。これからの時代に合わせて、あるいは私たちの嗜好に合わせて、私たちが「やりたいこと」をお金に変える方法は後から考えればいいと思います。まずは何をやりたいかを明確にしましょう。

先ほど、ブログやSNSで情報発信し続けるのが苦にならない人のはなしをしましたが、私がまさにそういうタイプだと思います。お金も時間も有り余っていたら、たぶん散々ぶらぶらした挙句、ヒマでいることに疲れたら何か自分の学びを人と分かち合いたいと考えたんじゃないかと思います。だから、毎日のようにブログも、SNSも、YouTubeも上げます。別に大変と思っていなくて、反応(たいしてありませんが)が楽しみでしょうがないのです。これらは、細かく見ていくと、「書くことが好き」とか「話すことが好き」とか、「情報発信が」とかいろんな段階から見ることは可能だと思います。私は書くことも好きだし話すことも好きなんですが、それをグッと抽象化していくと、「何かを伝えることが好き」といえるのかな、と思います。

じゃあそれに人生をかけるのか!?と聞かれると、そこまでの強烈な情動はないのですが、ずっと続けることができることという意味では、そして無報酬でもやり続けられることという意味では、たぶんこれがやりたい事なんだと思います。きっと、情報を集めて、かみ砕いて、発信する、という一連の流れがやりたいことの一つなんじゃないかな、と思います。そしてもう一つは、もう30年来の自己啓発系の学びの蓄積もあって、これもたぶんやりたいことの一つ。自分が成長したいという思いもあるんですが、人に影響を与えたいという思いもあるんじゃないかと思います。

ビジネスとして組み立てることを考えてみる

やりたい事、といっても常に雷に打たれたような鮮烈なものとは限らないと思います。たぶんそれは、何かしらの結果を生み出すことというより、どこに向かうか?という力の方向性を定めることだからです。というか、多くの場合は行動レベルの話なので「え?こんなことでいいの?」と思うことも多いかもしれません。けど、その些細な自分の続けてきたことに着目し、それを伸ばしていくと、その目はどんどん大きくなってくることがあるのではないでしょうか。どちらかというと、社会という決められたルールの中で自分を活かすというより、自分の行動レベルの強みを大きく育てて価値をつけていく、ということが本当の意味での自分探しなのかもしれません。

例えば私の場合、「情報発信大好き!」と思っていたわけではありません。普通に思うがまま行動してたらそういう選択をついついしてしまうだけです。だとしたらそれを活かす仕事を見つける、あるいは作ると言ったことをすれば、苦も無くやってたことで稼げるようになる(かもしれません)。人に影響を与えたいと思っているから、少なくとも情報発信スキルはけっこう役立つはずです。この二つを組み合わせるなら、セミナーとか学校を作るとか、いろんなアイデアが出てきそうですね。

跡継ぎ・後継者・二代目社長としての整合性

さてここで跡継ぎ・後継者・二代目社長という本来あった役割との関連性を考えてみましょう。何かしら自分のやりたいことがおぼろげながらも言語化されてきたとします。けどそれって、恐らく非常に抽象的な言葉だったり、行動のなかの非常にニッチな一分野だったりするのではないでしょうか。私の場合で考えてみるならば、人に影響を与え、情報発信がそこそこできて、二代目社長。これって、従業員に対して影響を与える可能性はけっこうありますし、情報発信という点では社内外における様々な施策やマーケティングなどにも使えそうです。もちろん全部が全部うまく当てはまるとは思いませんが、いろいろパズルが組み合わさる部分を見つけると結構面白いものです。事業の見直しをするにしてもしないにしても、自分のそういった好きなことを中心に組み直していくこともアリかもしれません。商材というのはあくまで手段ですから、自分のスキを活かせるように微調整していくといろんな展開は考えられそうです。

まとめ

「やりたいこと」というと、けっこう大上段に構えて「凄く社会的な達成したい目標でなければならない」とか、「ビジネスに直結する」という前提で考えなければならないとか、「世の中で言語化されているものでなければならない」とかいう考えを持ちがちです。それは私たちがメディアで見る「やりたいこと」が、社会的に感銘を与える物であったり、多くの人が称賛するものであったりするからなのかもしれません。やりたいことというのはあくまで私的なものでいいと思います。

じゃあ、「簡単に儲ける」ことが自分のやりたい事だったとしましょう。儲けて口座の金額がちゃりちゃり増えることそのものが興奮するっていうのはあるんでしょうけど、それは効率よく価値をお金という評価に帰る事が好きなんじゃないかな、と思います。それをだれのために活かすかは、また別の話になってくるんじゃないかと思います。やりたいことで、誰をしあわせにする?という別命題と考えると理解しやすそうです。

はなしを元に戻しましょう。私たちはやりたい事、ということを過大評価しがちですが、それは案外身近にあって、すでに取り掛かっているというか自然にやっている物であり、気が付けばずっと続けている物じゃないかと思うのです。人によっては「それはやりたい事じゃなくて、得意なことでは?」とおっしゃるかもしれませんが、そうとも言えるしそうでもないとも言えます。やり続けてることがうまくなっているかどうかは、これまた別の話なので。

けど意識しないほど自然にできることで、これをビジネスに組み込むとしたらその先には一定数の「喜んでくれる人がいる」わけです。それが、自分そのものの価値となって、自分を高め、その表現をサポートする会社を高めていくのかな、と最近思ったりしています。それをお金に変えていくのはまた別の技術ですから、まずは自分が何のストレスもなくやり続けられることを見つけることが大事なんじゃないかと思うのです。それは意識して光を当てることで輝きだすその人自身の持ち味。大事なものほど日常の中に隠れているというのは、間違いではないと思います。遠くの難しいミッションを「やりたいこと設定」することも一考だとは思いますが、ずっとやり続けてることに光を当ててみる、ということに関心を持ってみるのも一つのヒントになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

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