社内における個人の目標、あるいは自分が率いるチームの目標。
結構大きな目標を掲げて、そこに一直線に向かった後継者。
あきらめそうになったこともあったけど、ついにその目標を達成した。
そんな時、心の奥底から湧き上がる、熱い感動が噴出してくる・・・
と思っていたはずが、なんだかあっけない。
そんな経験はないでしょうか。
そういえば自分は、カッとなることもない代わりに、自分を失うほどに悲しんだり喜んだりした経験はあまりないような気がする。
それはよく言えば冷静なのだけど、なんだか人生の一部をたのしめていないようにかんじることがある。
そんな悩みを抱える、家業の跡継ぎは結構います。
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Contents
経営者の息子は感情の起伏がなだらか?
二代目経営者である私の記憶
私が小学校4年生のころ、学校帰りにある友人ともめました。
私は彼のことはあまり好きではなかったのですが、どうしようもないほど嫌いというわけではなかった。だから、一緒に帰ろうといわれると、断ることもなく二人で歩いていました。
そんな帰り道、もともと好きではなかった彼が、自慢話めいた話ばかりするので面倒になって、彼が嫌がることを言いまくりました。やっと静かになった彼は一瞬私の視界から消えました。次の瞬間彼の存在を意識したのは、私のあごに一発、アッパーカットをお見舞いされたときです。
何が起こったかわからなかった私は、彼に殴られたことを自覚するや、自分も反撃すべく腕を振り上げました。しかし、そこで私の頭は冷静になり、状況分析を始めました。
彼をこのまま殴れば体格の大きい私に対して、細い彼にけがを負わせてしまうかもしれない。しかも、彼のすぐ後ろにはガードレールがあり、そこに頭を打とうものなら大けがをしかねない。私はそんな考えが頭をよぎり、振り上げた手をおろしました。
当時の自分は、変な話ですがカッとなって殴り返す、という行動ができなかった自分が嫌で仕方がなかったのです。当時から私の感情は、うれしいときもかなしいときも、腹立たしい時もあまり振れ幅は大きくなかったのです。ある意味クール。だから何にも一生懸命に離れない人間だと思っていました。
強引で破天荒な親と対照的な子供
この話を読んで、「ああ、わかるな」と思う方は、家業を継ごうとする後継者の方には多いのではないでしょうか。あとは、比較的厳しい親に育てられたとか。また、たぶんですが長男長女(第一子)に多い傾向だと思います。
なぜかというと、こういった環境の人たちは、多くの場合子供のころから無邪気であることがたいてい、痛い思いにつながっていたからだと思います。親が厳しい家庭や、長男長女で弟や妹が生まれた場合などは、早く「しっかり者」になることを期待されます。そうしてしっかり者になるには、親に何かを言われるまでもなく我慢するようにしたり、周囲の空気を読んでその空気の中で最適な行動をするよう習慣づけ、自己主張をできるだけ抑える一方で弟や妹の世話をすることが求められたりします。
とくに経営者、それも創業社長の親だったりすると、親は自分の思いや目的に対して一直線。
そんな強い意志を持った親に、子どもである自分が意見をすることなどできない、と考えがちです。
だから自分の考えを押し通す親とは裏腹に、子どもはそこに調和するような性格が身についていきます。
その結果、子供のうちはまじめ、しっかりもの、そつがない、責任感がある、リーダーシップがある、といわれるようになり、自分もそうだと思い込みます。
たいてい、強引で破天荒、実行力に富んだ強いイメージのある創業社長に対して、その子どもである後継者は線が細く、まじめで、繊細に映ることが多いのではないでしょうか。
後継者は何を目指して日々を生きるのか?
大人になっても親子の「縁」は切れることはない
これらの行動や思考の多くは、何を目的にしているかといえば「親に認めてもらうため」です。つまり、家業の後継者、長男長女、厳しい家庭で育てられた子供たちは、行動の基準が「親の目から見てこの行動はどうか?」ということを常に気にかけながら生きています。そして、成人してもなおその価値基準は意識しなければ変わりませんから、何かをするときの判断基準は親の目での判断である傾向が強いと思います。
それはすなわち、自分では選択していない、ということになります。
その結果、どこか空虚で、人生において中身が詰まったような充実感を感じにくい傾向があるのではないか、と考えています。
ではこの後継者が、親の会社に勤めだしたとき、なぜ親子の確執が起こるのでしょう。
本来は親に認められたい後継者が、なぜか親に反抗する、というのはおかしな話のように感じられます。
この時、後継ぎとなる後継者が考えるのは、親への服従というより、会社の発展を通じて親である先代の期待にこたえたい、という風に考え始めるようです。というのも、単に親に服従していても、親の評価は「まだまだ十分じゃない」という状況です。であるなら、本来の目的である会社を成長させることで、親に認めてもらいたい、という考えに代わっていくようです。
この際に、たとえばセールスコンテストに入賞するとか、何かしらの資格を手にするとかいう行為もまた、いつまでも子ども扱いする親に一人前に認めてもらいたい、という深層心理からきている可能性が高いと思っています。
とすると、ゴールは親に認めてもらうことです。
良きにつけ、悪しきにつけ、人は親子の縁をどこまでいっても切ることはできないのかもしれません。
後継者が自分の感情と向き合えない理由
目標達成や、会社の発展はあくまで手段。
手段の達成でうれしくないのは、こういったところに理由があるからではないかと考えています。
では、こういったどこか不感症になってしまった後継者や長男長女や、厳しい家庭に育った渡地たちはどうすれば充実した感情を取り戻すことができるでしょうか。それはおそらく、選択基準を変えることで達成されるのではないかと思うのです。
たとえば、後継ぎの方が今やっていること、目指していることについて、謙虚に自分と向き合ってみてほしいと思います。
そしてこう問いかけてみてください。
「今自分が目指している場所は、本当に自分自身が望んでいる場所なのか?」と。
少し疑い深い目をもって、
「今目指していることは、親のためなのか?自分のためなのか?」
という質問を加えてもいいでしょう。
もちろん、親のためであっても、それが自発的な選択なら全く問題はありません。
しかし、親に見捨てられたくないからという恐れや不安からくる選択であれば、不感症の原因となっている可能性が高いと思います。
このような、自分の本心ではないことを自分の本心と思って行動するとなぜ不感症になるかというと、自分の本心に蓋をしてしまっているからです。
自分の本心に蓋をすれば、自分の感情にも二をしてしまうことになるわけです。
その結果、飛び上がって大声をあげたくなるような喜びを感じない人になってしまうのではないか、と私は考えています。
私たちは、冷静な人なのではなくて、感情に蓋をしてしまった現在があるだけなのです。
もし、奥底に沈められた自分の感情と出会いたいなら、まずは自分の本心にアクセスする習慣を取り戻さなければなりません。それが、一つ一つの行動について、その理由を自分に尋ねる、という行為なのです。
親の評価や、世間の風評や常識から解き放たれて、何のバイアスもかかることなく自分の本心にアクセスできるようになれば、感情はきっと取り戻せるのではないか、と私は考えています。
そんな考え方の転換につかえる手軽な場として、後継者のみなさんが集える場所を作りました。
必要に応じて、直接アドバイスや相談もさせていただきます。
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