後継者

親子の対立を解くために必要なもの

何かあったときに人のせいにする人、結構います。
何か問題が起こった時、「あの人は事の重大さがわかっていない」と言われます。ならば、事の重大さを知らしめる人はいなかったのでしょうか。
世の中のシステムが悪いといいますが、それは今に始まった事ではないのですから、その前提で動く必要があったはずです。
世の中は結局理不尽なことは避けられないのだから、理不尽な前提で生きていくのが一つの成長じゃないかと思います。
それでも駄々っ子のように、あの人が悪い、社員が悪い、会社が悪い、社会が悪い、国が悪い、政治が悪いという人はけっこういます。その場限りのストレス解消のための話ならいざ知らず、本気で、「でも自分は悪くない」と思っている人が意外と多いものです。

こういう私だって、よくそういった妄想にとらわれることがあります。
この妄想の中にどっぷりはまっているうちは、成長はありませんし、そういった不満がなくなることもないと思うのですがいかがでしょうか。

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世間はおかしなことばかり?

Walter KnerrによるPixabayからの画像

世の中から理不尽は取り除けない

たとえば、コロナが広がる中、無防備に出かけてそれを広げる人もいれば、完全防備で外にも出ない人もいます。
前者の人は「経済を回さなければ、コロナではなく経済に殺される」というでしょうし、後者は「一刻も早く終息させるためにみな自粛すべきだ」というでしょう。
どちらもそれぞれの正義があり、なるほど素直に話を聞くとどちらももっともらしい主張です。しかし厄介なのは、どっちの主張が正しいかがわかるのは、ずいぶん後になってから。というよりも、失敗例と成功例があってはじめて、「ああこっちのほうがよかったね」とわかるのであって、両方やる人がいないと、そしてその人たちの行動が区分された地域で行われないとわからないんじゃないかと思います。つまり、この正誤論争はおそらくどちらが正しいとも断定できないところで終わる、という予測ができます。

どちらが正しいか見えない問題ですが、片方は相手を批判し、何か問題が起こると「奴らのせいだ」というでしょう。
その逆ももちろんしかりです。
ここに、ある人から見れば正論であり、そうでない人から見れば理不尽な現実があります。

で、どうすればいいかというと、私たちがとるべき賢明な行動はどうすればいいかというと、常識的に考えると「今の状況に応じて最善を尽くす」ということなのではないでしょうか。出かける人を止められる方法があって、それが最善だと考えるならばそうすればいいし、出かけることが重要だと思うなら、それを不都合のない範囲ですすめればいいのでしょう。
それでも、誰かが理不尽を感じることは間違いありませんので、自分は一定程度の配慮を行いつつ信じることをやるしかありません。

一番不毛なことは、自分の考えと違う人を罵倒するとかいうことではないかと思うのです。

理不尽な前提で自分が何をできるかを考える

このような理不尽な社会の中で、たとえば、上司が部下に何かしら業務を命令するとします。これについて、一つ一つ「なぜあなたが私に命令をするのか」なんて言うことを問うてもあまり意味がないと思います。嫌なら会社を辞めればいいんじゃないですか、というのが割と一般的な考え方ではないかと思います。世の中を円滑に動かすルールです。
そういった環境の中で自分が能力をどう発揮するかを考えるか、自分の能力が伸ばせる場所に変えるか、というのが普通ではないでしょうか。世の中が悪いのではなく、自分の考えに世の中があっていないだけなのだと思います。

会社を変えるにせよ、自分の能力の発揮の仕方を考えるにせよ、自分の力を使える場所にうつるにせよ、共通することがあります。
それは、自分が主体的に動くということです。

一方、会社の愚痴を言う、上司の愚痴を言う、そして彼らが自分に都合よく変わってくれるとか、自分が気持ちよく働ける環境を作ってくれることを希望するとかということを考えているとしたら、あまりにも他人への依存が激しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。自分の環境ぐらい、自分で作ろうよ、というのが大人のたしなみというものではないでしょうか。

後継者・跡継ぎの周囲にはびこる理不尽

Tasos LekkasによるPixabayからの画像

理不尽つながりで言うならば・・・

世の中は理不尽、という話をしてきましたが、後継者・跡継ぎの置かれる環境もまた理不尽です。それなりに求められて親の会社に入ったにもかかわらず、後継者・跡継ぎの能力はどちらかと言えば飼い殺し。たぶん、別の場所ならもっと自分の力を発揮できるんじゃないだろうか、と思っている後継者・跡継ぎは沢山いると思います。
親がもう少しこうだったら、とか、社員がもう少しああだったら、とか、思うわけです。
責任は負わされるけど、権力は与えられない理不尽。
いつもは先代についているのに、都合のいい時だけ頼ってくる社員たちという理不尽。
やりたいということはやらしてもらえないのに、業績についての責任を持たされる理不尽。
色んな理不尽が私たちの周りを取り囲んでいます。

しかし、前半の話の文脈から行くと、やっぱりこれも人が生きる上で避けることができない理不尽な環境の一部なのかもしれません。
普通のサラリーマンが感じる理不尽とは少し質が違うとか、程度が違うとかはあるのかもしれませんが、なんだかんだいって誰もが感じる社会のなかの理不尽の一環です。

理不尽を前提に生きる

コロナで自粛派と経済回す派が激しく対立し、中庸が存在しにくいことと同じように、職場で降りかかる理不尽はなかなか解決することは難しいものです。これが上司部下の関係においてというのみならず、そこに親子という割と深い縁があるならなおさらです。

上司は理不尽なものですが、親というのはそこに輪をかけて理不尽なものです。なにしろ、私たちが子どもの頃の殺生与奪権を握っていた人です。そういった人との関係性を、本来は大人になると手放すはずなのですが、手放せずにいるのはなぜでしょう。それは、親の会社に入ることにより、親は子供を庇護することで自分の自己愛を満たし、子どもは親に庇護されることでぬくぬくと育てる環境がある、という一面もあるような気がします。もちろんそれだけではないのですが、親は子離れ、子は親離れが難しい環境が、親子における経営です。そうやって、成長の過程をとどめてしまう結果、それを周囲の理不尽という環境のせいにすることで、なんとか気持ちのバランスをとっている、という側面があったりすることもあるように思います。

これは、そういう親子を批判しているつもりというよりかは、私自身の体験談です。だから皆さんには当てはまらないのかもしれませんが、少なくとも私はこういう仮定を経験してきたと思っています。

理不尽は双方の利権を守る環境だったとすると、理不尽であることを知り、理不尽に不満を感じつつも、理不尽から抜け出そうという行動力が今一つ出てきません。親の会社を辞めたいけどやめられない、というのはまさに理不尽から抜け出したいという思いと、理不尽の裏にあるメリットを手放しづらいということの綱引きでもあるように思います。

そこでじゃあ、理不尽からなかなか離れられないのなら、理不尽を前提に生きるという選択をとってみると、結構納得感が出てくるのではないかと思うのです。理不尽と引き換えに、そこそこ悪くない環境を得ている。にわかには信じがたい話かもしれませんが、皆さんもそんなところにいるのではないかと思うのです。

環境を変えようとするよりも・・・

Mabel AmberによるPixabayからの画像

周りを変えたい。それで自分は?

実は私が一番精神的に苦しかった時、この理不尽と闘い、理不尽を排除しようとしていました。しかし理不尽は一掃することはできないため、さらに自分の無力感を感じてどんどん落ち込んでいきました。理不尽の権化足る親である先代を会社から追い出そう、なんていうことを考えたりもしましたが、本気でそれを考えたらきっとすでにやってるでしょう。いえ、それをするなら会社を飛び出して起業するはずです。なのにやらなかった。それは、理不尽の中にいることでそこそこいい思いをしていた部分があったはずです。それを私は見ることなく、理不尽の困った側面ばかり見てそれを批判し、邪魔者のように扱ってきました。

しかし、ある時いろんな思いがあって、そんな理不尽を「あるもの」として扱おうと考えました。親がごちゃごちゃ口出す?ああ、当たり前だよね。それで終了です。たぶん私たちは、「親が口を出すということは、自分が至らないからだ」とかいう尾びれをつけて解釈してるんです。その尾びれを取り去って、理不尽な主張だけを認識するようにしたら、意外と理不尽もどうってこともないことに気付きます。スルーしてもいい理不尽もありますし、聞こえないふりすればそれで消えていく理不尽だってあります。

まあ、なんにせよ、それは何をやったかというと、理不尽な環境を変えようとするのではなく、自分が世界を見る眼鏡をかけ変えただけ。実はそれだけで、いつもと同じ環境が一変したかのように見えてくるものです。

世界を見る眼鏡

コロナの話に戻ると、コロナがやっぱりとっても大変な病気で、感染が心配で、命や社会を守るために自粛すべきだ、という目で世界を見ている人はそれ以外の世界が信じられません。
逆に、コロナなんて都市伝説みたいなもので、大した病気でもないのに大騒ぎしておかしい、情弱だ、と信じている人はそれ以外の世界を受け入れられません。
お互いが、「アイツらは間抜けだ」とののしりあっているわけです。
しかし、現実は一つしかなくって、その現実をどこのどういう情報を見るかと、そもそも自分の中にあった価値観を掛け合わせて、「世界はこんな感じだ」と脳内に作り上げているものだとおもいます。

中小企業の事業承継においても、親も、後継者も、社員も、その他のステークホルダーも、ある一つの会社に対してそれぞれが違う眼鏡でその会社を見ています。すると当然とる行動はみんな違いますよね。コロナで自粛するのが正しいという人と、動くのが正しいという人がいるという正反対の動きがあるように、社内でも同じ動きが出てきます。たとえば、現状維持しようという考えと、革新すべきという考え。ああ、コロナ問題はまったくもって、中小企業の事業承継で起こる問題とまったくおんなじですね。

繰り返しになりますが、これを統一すべき、と言っていたのが今までの自称専門家の意見です。
親子で話し合って、意見をすり合わせしましょうよ、って話、よく聞きませんか?
けど私は少し違う考え方をします。お互い意見が合わないし、違う世界を見ているんだから、それをどちらかに寄せようというのが土台無理な話です。ならば、相手の意見や思いを配慮しながらやっていけばいいんじゃないですか、と思うわけです。

たとえば、マスクなんて意味がない、という人も「マスクをしないで人が集うなんて怖い」という人がいるなら、その人に「マスクなんて無駄」って言ってしまえばケンカになるだけです。マスクをしなければならない、と考える人に配慮して、つけてあげればいいじゃないですか。こういう相手に対する思いやりを持つことで、理不尽な世界の中でバランスをとっていくことができるんじゃないでしょうか。社会なんてそういう思いやりや分かち合いが前提であってほしいと思うのですが、いかがでしょうか。それを親子でやればいいだけです。

こう聞くと、簡単なことに思えてきませんか?

思いやりと分かち合い。
これが後継者・跡継ぎが会社を上手く引き継ぐコツと言えるかもしれません。

 

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