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後継者・跡継ぎに起こる「会社を辞めたい」「親子の確執」は覚悟を試される関門!?

親の会社を継ごうとする後継者・跡継ぎには、いろんな障害が降りかかります。
親との意見の食い違い、社員との関係、社会情勢、会社の体力やビジネスモデルの限界・・・などなど。
そういったことをきっかけに、親子の確執めいたことがおこったり、もうこれ以上親の会社に居たくない、なんてことになることも多いともいます。

最近私が思うのは、こういった問題は、実は後継者・跡継ぎの覚悟を試されているのではないかと思うのです。
少し詳しくお話ししましょう。

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後継者・跡継ぎの本当の覚悟

後継者・跡継ぎは「決めていない」!?

少し振り返ってみましょう。私たちが、親の会社を継ぐことになった経緯を。私の場合は、物心ついたころにはそうすることが当たり前だと感じていました。常に親の会社を継ぐという思いが心の奥底にあり、大学を卒業するころには、他の会社の面接儲けましたがどこもピンとこなかったので、最期に親の会社に入ることを決めました。正直なお話をすると、決めたというより時間切れという感じでしょうか。私としては親の会社で働きたい!という思いもなかったのですが、他の会社に行けば角が立つだろうし、特段の意思もないなら親の会社を継ぐか、的な軽い感じでした。

皆さんはいかがでしょうか?私ほどいい加減ではないにせよ、どうしてもヤリタイ!という思いで親の会社を継いだ人は少数派ではないかと想像するのですが、いかがでしょうか。もし、私の推量が当たっているならば、こういって差し支えないかもしれません。私たちはこの時点で、「親の会社を継ぐとは決めていない」のではないでしょうか。

「決める」というのは、積極的な意思の表れだとすると、私たちは決めたというより、「他に希望がないから仕方なくこの選択肢を取った」という感じじゃないかと思います。実はこの状態、私たちに逃げ道を作ってしまうのです。

「やらされ仕事」という逃げ道

後継者・跡継ぎである私たちは、当然、仕事に、会社の未来に対して、相応の責任を感じながら日々を過ごしていると思います。私もそうでした。しかしたとえば、そんな日々の中でうまくいくこと、うまくいかないことが出てきます。一時的にうまくいかないだけのことならまあ、やり過ごすこともできますが、将来にわたって上手くできそうにないことについてはけっこう頭を悩ませることがあるんじゃないかと思います。たとえば、時代遅れになりそうな会社を何とか変えていきたい。自分の代になるころには、そこそこ安定した会社であってほしい。代が変わってから地を這うような苦労はしたくない。心の奥底で、私たちはそんな思いを持ってはいないでしょうか。たぶん、普段はそんなことはおくびにも出しませんが、自分が窮地に追い込まれてくると、何かのせいにしたくなる。

親が邪魔をするからとか、親が自由にやらせてくれないからとか、従業員が犯行ばかりするからとか、業界がおかしいからとか。

そうやって、自分の心を守っているんです。そして次第にこんな風に考えるようになりはしないでしょうか。

「親が継いでほしそうにしてるから、会社を継ごうとして入社した自分に、なんという塩対応なのか」
「誰のために会社を継いでやってるのか」
「会社のため、つまり会社を残したい先代(親)のためにやってやってるのに」

もし、一瞬でも頭にこういう考えが浮かぶことがあるとしたら、そもそも後継者・跡継ぎとしての役割は積極的に自分で選んだのではなく、親のためにやってやっているんだ、という思いが少なからずあるかもしれません。このニュアンス、結構大事です。自分がやりたくてやっているときは何事も自分で責任を持って前に進むわけですが、仕方なくやっているのではモチベーションの持ち方からして全然違います。
やらされ仕事になる以上は、自分の能力も十分発揮できないし、何かあった時の問題を受け止める柔軟性も持てなくなってしまうのです。

本当の覚悟を試されるのは選択した時ではない

とはいっても、親の会社に勤める、親の会社を継ぐということを決めた時点で、きっと多くの人はそれなりの覚悟を持ったのではないかと思います。私もそうで、親の会社で働く以上けっこう苦しいシーンもあるだろうし、普通のサラリーマンになるのとは違った苦しみはあるだろうと初めの段階で覚悟したつもりでした。しかし、現実にそこに身を置くことと、単なる創造とは別物です。

ここで考えてみましょう。実はこの「会社を辞めたい」「親子の確執がしんどい」という今、私たちの覚悟が試されているのだ、という風に。

言ってみればこれまでは、味見のようなものです。説明されたとか、想像しただけではわからない、親の会社を継ぐという苦労を身体で体感してみました。このあと、本チャンでその道に本当に進むのか、ここで退くかを試されています。一つの「関門」が設けられているというイメージです。

近々新作が公開されるという映画「マトリックス」の一回目にはこんなシーンがありました。現実世界で可もなく不可もない人生を送るネオ。このネオにある日突然、いろんなトラブルが起こり始めます。そして、ネオはある事実を知らされます。それは、今まで「現実」と思っていた世界が実は、仮想現実の世界だった。本当の自分は機械に管理されて眠らされている状態で、その生命エネルギーが機械を動かすために吸い取られている。生命エネルギーを創り出すために、ネオをはじめとする人類は夢の中で今ある現実を見せられ体験させられているという事実。ここで、ネオの前に二つの薬のカプセルが差し出されます。青い薬を飲めば、今回知った真実はすべて忘れ、これまで生きてきたように作られた仮想現実の中で「平穏」な人生を全うすることができる。赤い薬を飲めば、目を覚まし、真実を受け入れ、平穏とは程遠い過酷な現実の世界で生きていくことになります。ここで主人公ネオは、赤い薬を手にとり、真実の世界へ足を踏み入れるのです。

私たち後継者にとって、確執や、会社を辞めたいという思いは、親の会社を継ぐという苦しみから逃れ、それを知らなかった人生ルートにもどしたいという思いの表れなんじゃないかと思います。「仕方がないから」とか「親のため」とか、自分の意志とは違う理由でここまでやってきたわけですが、ここではっきりと覚悟を決めるべきタイミングに来ているんじゃないかと思うのです。今目の前にあるツラい現実を遠ざけて、別の人生を歩むのか、目の前に起こる過酷な状況も含めて受け入れ、自分の意志として会社を継ごうとするのか。

私はどちらかを進めるつもりは一切ありません。辞めたいならやめればいいし、続けてみようと思うなら続ければいい。ただ一つ大事なことは、誰の意見でもなく、誰に遠慮することもなく、誰かに依存することなく、自分一人で決めてくださいということです。自分の人生の責任を取れるのは、自分しかいないのですから。

後継者・跡継ぎが「決めた」ら起こる事

rawpixelによるPixabayからの画像

人を責められなくなる

自分一人で、自分の責任で、自分が決めたとき、ある決定的なことがおこります。それは、他人や外的環境のせいにできなくなるのです。なにしろ、そういったことも含めて、「自分で継ぐ」と決めたのですから。
そうした時に、周囲を見る物の見方が少しずつ変わってきます。たとえば、社員が自分の考え通りに動かないことに、これまでイライラして時に頭ごなしにしかりつけることもあったかもしれません。あるいは、彼らを見下して、「どうしようもない奴」などとつぶやいていたかもしれません。しかし、そんな人たちがいる会社を継ぐと決めたのは自分です。

親は自分のいうことを聞いてくれない。これは、親のために会社を継いだ、という感覚で見ると「ほんっと、ひどい奴」という感想かもしれません。継いでほしいなら、後継者である自分の言う通りふるまえよ、というのが正当性のありそうな主張に感じられます。しかし、自分の意志で継となると、そういった自分のいうことを聞かない親もいる前提での決断です。

赤い薬を飲むというのはそういうことで、すべての責任を自分が持つという覚悟になってしまうわけです。こう書くと、とっても大変なことのように見えてきますが、実際のところは実はそうでもないかもしれません。なぜなら、周囲に対する期待が薄れるからです。今までは、請われてやっていたので周囲の人間は自分が動きやすいようにお膳立てすべきという前提を持っていたのではないかと思います。しかし、請われてない前提だと、自分が持ち上げられないのが当たり前。そこからスタートすることを正しく認識することができるのです。

関門を突破すると仲間とメンターがやってくる

すでにお気づきかもしれませんが、映画や小説のヒーローは必ずと言っていいほど、葛藤を抱え、青い薬と赤い薬のような選択というか覚悟を迫られるシーンがあるものです。そして彼らは、本気で覚悟を決めたとき、同じ志を持った仲間や、メンター(師匠のような人)と出会います。不思議な話に感じられるかもしれませんが、こういった物語の構成と現実は酷似しています。そういった物語でいうところの、親子の確執や会社を辞めたいという思いが去来するタイミングが、関門で、そういった思いが門番だとすると、その門番に打ち勝った時にメンターと出会い(これは新たな人との出会いであることもあれば、今までそうとは思えなかった人が自分にとってのメンターの役割を果たしだす場合もある)がある可能性が高いと思われます。そのあとのストーリーはさらなるピンチが訪れ、それに打ち勝つというなかなか大変な冒険物語。いま、私たちはその入り口に立っているわけです。この入り口を超えるか超えないかで、ステージ、つまり見る世界が相当変わってくるはずです。

少し話が散らかりましたが、まとめますと、覚悟を決めると、違う世界に足を踏み入れ、人生の師のような人と出会う、という流れが待っている可能性が高いと思われます。

悩みの内容や質が変わる

今までの親子の確執や、会社を辞めたいというのは、遠回しな責任転嫁であった可能性が高いと思っています。何かうまくいかないことがあるから親のせいにする。何かうまくいかないことがあるから会社を辞めたい。単純化するとそんな感じです。もちろん、親子経営の中においての親、つまり先代はけっこうエキセントリックというか、個性的な方が多く、付き合うのが大変なことが多いことは間違いないと思います。しかしそれははじめからわかっていたことで、そのうえで会社を継ごうと入社しているわけです。つまり、今更親子の確執というのは、厳しい言い方をすると上手くいかない理由を、そういった親の存在にあてこすっている可能性が高いと思うのです。逆にそうしなければ、自分の弱い部分、人に見せたくない部分を直視せざるを得ないので、痛いのです。だから、自分の心の痛みを見ないよう、誰かのせいにして自分を守ってきたわけです。

それが、覚悟を決めるということは、自分の心の痛みも直視するということでもあります。すると、周囲に見える問題や悩みの質がどんどん変わってくることを経験するのではないかと思います。びっくりするほどに、今まで気になって仕方がなかったことが、まったく気にならなくなったりすることも多いのです。最悪をイメージして、そうなった時のことを受け入れよう、と決めたらだいぶ図太く生きられるものです。人として、一段も二段も成長する機会になるのではないかと思います。すべての悩みがなくなるとは言いませんが、それらの内容や質は必ず変わるのではないかと思います。

関門の向こうにあるもの

Free-PhotosによるPixabayからの画像

関門突破のモチベーション

振り返ってみれば、私たちは恐らく、人生においてたくさんの関門を突破してきたんじゃないかと思います。
たとえば、クラブ活動。はじめのころは、ランニングと球拾いばかりで憤慨するかもしれません。横暴な先輩にうんざりしたかもしれません。しかし、やり遂げた先に例えば試合に勝った時の喜び、チームとしての団結といったご褒美も経験されたかもしれません。もしそうだとしたら、球拾いで先輩にいじめられてやめようかな、という関門を突破したから味わえた喜びです。

高校や大学受験も、わかりやすい関門突破ですね。
経済的な意味においても、学力という意味においても、それが突破できたから学生生活という喜びがありました。

楽器やダンス、手芸や英会話といった趣味や習い事も同様ですね。
初めのもどかしい時期は、もうやめてやれ!と思うわけです。
私自身、高校のころに始めたギターでは「F」のコードを頑張って抑えられるようになるか、それができる前に諦めるかが引けるようになるかの第一関門と言われていました。

私たちはその先にある喜びがあるから、関門を突破できるわけです。後継者・跡継ぎの立場も同様で、その先の喜びがなければなかなか今の関門を抜けることはできないでしょう。あるいは、後継者・跡継ぎの人たちにとって、その魅力が今一つということもあるのかもしれません。

誰かに認められたい、という思いは自分の意志ではない

ここで大事なのは、「誰かに認められたい」というモチベーションで仕事をしている場合です。サラリーマンなら上司、後継者・跡継ぎなら世間的に・・・と答える人は多いですが、私の見立てでは親に認められたがっているように思います。そもそも、経営者をやっている親というのは、他人を認めるのが苦手なタイプが多いのです。だから、後継者・跡継ぎを認めるそぶりはあまりしません。後継者・跡継ぎにとっても親からはダメ出しを受けたとか、叱られた思いでしか蘇らない人が多いのではないでしょうか。そういう関係ですから、「いつかは親に認めてもらいたい」を言う思いで後継者・跡継ぎは仕事を頑張ります。そもそも、親の跡継ぎになるということそのものが、親に喜んでもらいたいという感情の表れですし。

しかし、この思いはたいてい叶えられません。なぜなら、本当のところは自分が自分を認めていないからです。いつも自分のことを「足りない」と感じているから、「もっと、もっと」という思いにとらわれます。これは向上心とも言い換えられますから、大事な気持ちではありますが、この渇望感が後継者・跡継ぎの心を揺るがすことが多いのも事実です。

ですから、自分の評価を他人にゆだねないように気を付けたほうが良いのではないかと思います。そういった前提で、自分はどこに行きたいのだろう?ということを知っておく必要があるのかもしれません。行きたい未来がわからなければ、関門突破の先にある喜びを知ることもできそうにありませんから。

あなたは、この関門を抜けた先に、どんな未来を望みますか?

 

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