頑張った先に後継者の望む未来はあるのか?

家業の跡継ぎ・後継者が今の環境に悩みや憤りを感じているとき、何をするかという一定のパターンがあります。
それは自分の能力をあげて、認められるとか、
会社の業績を上げて、認められるとか、
そういった思いを強くします。

これは、向上心という意味ではとても力強く自信の能力の向上を後押ししてくれます。
しかし、一つ気を付けておきたいことは、その先に理想の世界はないかもしれない、ということです。

もし、頑張っても頑張っても報われない、というおもいがあるとしたら少しお付き合いいただけると幸いです。

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幸福学が明らかにしたこと

athree23によるPixabayからの画像

人は「幻想」に向かって走り続ける

幸福学という学問があるのはご存知でしょうか?心理学から分岐した、「幸福とは何ぞや」ということを追求する学問です。
考えてもみてください。
この世に生まれた人間は、ほとんどの場合、人生において「幸せに暮らしたい」という思いを持っています。しかし、「じゃあ、幸せって何?」というと明確に定義ができないのです。

一昔前は、収入が上がれば人間は幸せである、と考えられました。そこで、一人当たりGDPが幸せの指標となるという暗黙の了解があったようです。しかし、良く調べてみると収入の高さは、確かに一定レベルまでは幸福感との強い相関関係がありました。しかし、一定レベルを超えると、それ以上収入が増えても、幸福度は増えないことがわかりました。調査によってはむしろ、別の不安が増えるということで収入に幸福は必ずしも比例しないという考え方が現在は一般的です。

そこで、健康や、対人関係、所有している物など、様々な要素を加味して調査したものの、一定程度の傾向は見えつつも、「これこそが幸せの決定的要因だ」というものが見つかりません。ここである幸福学者が面白い発見をします。自分の研究室の助手の1人は、恵まれた生活環境にいたとはいいがたい状況でした。収入も、人間関係も、健康も、いろいろと問題がある状況だった彼は、すました顔でこういったそうです。「先生、私は要素別で考えると決して幸福とは言える環境にはいませんが、私、けっこう幸せですよ」。ここで、学者はハッとしたそうです。
「ああ、幸福というのは物事のとらえ方なんだ」と。

そして彼はその後、ある事に注目します。それは「こうなれば幸せになる」という思いで行動をとればとるほど、不幸になっていく人がいる事です。たとえば、「年収〇千万円にさえなれば、私は幸福になれる」と思っている人は、年収〇千万円になれないことに心を病み、また〇千万円になったところで癒せない「幸せになりたい」という思いに気付き、心が苦しくなるというのです。この時、「年収〇千万円ではまだ足りない」という渇望感が彼を支配し、もっと、もっと、と求め続けるのです。

どんな成果をあげても満足できない後継者・跡継ぎ

このお話を跡継ぎ・後継者に当てはめてみましょう。認められたい思いで、仕事を頑張ります。上手くいけば、自分の成績は上がり、会社の業績も上がるでしょう。それはそれで素晴らしいことですが、残念ながらそこで「ああ、自分はやり切った」と感じられるかというとそうとも限りません。今の目標をクリアしても、そこはかとなく漂う空虚感。そして新たなチャレンジ目標を定めて、上を目指します。行くとこまで生き詰めても、空虚感は埋まらないかもしれません。すると、まだまだ足りないとばかりに、もっと、もっとと上を求める。会社は業績を上げるのだから、後継者の仕事としては上々と言えるかもしれません。しかし、本人がそれで幸せかというと、どこまで言っても何かに急き立てられるように仕事をする。これはもしかしたら、身体を壊すまで続くのかもしれません。

一方、頑張っても頑張っても、業績につながらなければこれはこれでつらいですね。いつまでたっても今の仕事にこだわり続け、やっては見るけど成果は上がらない。そんな繰り返しを延々と続けることになり、しまいには「やってられるか」なんて言う風に投げ出すかもしれません。

どっちの道を行っても、後継者・跡継ぎ個人の「幸せ」という意味では、あまり喜ばしくはない状態が続きそうに感じられます。

手段と目的をはき違えている?

ここで考えられることは、私達、後継者・跡継ぎの人たちは、会社を強く大きくするというミッションを背負って親の会社に入社するという前提がある、ということです。私たちにとっての最も重要なミッションであることは間違いないと思いますが、ここで「仕事と人生」という天秤を思い浮かべていただきたいと思うのです。やってもやっても空虚な感覚を免れない状態は、人生として「幸福」とはいいがたいわけです。一方で、空虚な感覚を抱えたままであったとしても、会社が伸びればそれでいい、というのがビジネスパースンとしての考え方でしょう。仕事の前には、自分の個人的環境などは小さなものだ、という考え方です。

これはまさにジレンマで、仕事にすべてをかけた人生を送るのか、自分の幸福を追求する手段として仕事をとらえるのか、という人生の選択を迫られているのではないか?と私は考えています。空虚感を抱えつつも「後継社長として立派でありたい」と考えるのか、「たった一度の人生を、自分が満足するように送りたい」と思うのか。一見二者択一の物のように見えるのですが、実はそうでもない、と私は思っています。

なぜならば、先の不幸な境遇にいるけど、自分では幸福と思っている研究生の話がヒントになりそうだからです。彼は、現実的な環境は決して満足できる環境ではないけど、幸せだと言います。たぶん、私が彼の境遇だったらきっと「俺ってなんで不幸なんだ」と思うような気がするのですが、彼は幸福だという。それは目の前の事実をどうとらえるかの問題ではないかと思うのです。
例えば、先日、新型コロナウィルスへの医療従事者へのエールとして、ブルーインパルスが東京上空をデモ飛行を行いました。これを見て、「かっこいい!」と思った人、「うれしい!」と思った人、いろんな感想を持ったようです。医療従事者のインタビューを見ていると「自分達のことを見てくれてる人がいるんだ」と力がみなぎるという人もいました。一方、冷ややかな感想を漏らす人、政治的な裏事情を想起して誰かを責めるようなコメントをする人もいたりしました。

たった一つのことを見て、人の内面に芽生える感情や思いはまったく違うことがよくわかります。

この事からわかるのは、どうやら幸せというのは物理的な何かがもたらすというよりも、自分たちの物の見方にかなり強く影響される、ということなのではないでしょうか。
そこで、振り返ってみると、私達は「成果をあげれば幸せになれる」と思い込んでいるとすると、実はそれは幻想で「幸せにはいつでもなれる」にもかかわらず、そのために成果が必須であるかのように思い込んでいるのではないかと思います。この現象を、ノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマンは「フォーカシング・イリュージョン」と名付けています。

後継者・跡継ぎはどうすれば空虚感から解放されるのか?

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成果の果てにあるもの

成果をあげれば幸せになれるかも、と信じて突き進むけど、どこまで行っても空虚感はぬぐえない。そんな後継者の方はけっこう多いように思います。その結果、すごくしんどい思いをしている方を多く見受けます。その空虚感の原因が例えば、自分の甘えた心だと考える人もいるようです。こういった人は本当にストイックです。
たとえば、後継者・跡継ぎを取り上げた書籍やテレビ番組などでは、止まることのない前のめりな後継者が取り上げられることが多いと思いますが、彼らのうちの何人かは、まさに急き立てられるように前に進んでいる人がいるんじゃないかと推察します。幸せになれるんじゃないかと頑張るけど、幸せからは遠のいているパターンだと私は思っています。

この「もっと、もっと」に陥ると、業績は上がるけど個人的にはどんどんと心がすさんでいきます。こういった人は、体や心を休めるのが苦手で、行動を止めることができない人が多いので、身体を壊してはじめて違うやり方が必要ということに気付くことも多いので、注意が必要です。

さて、この「もっと」の先には何があるのでしょうか。ここで考えたいのは、成果を上げた先に、何を求めているのかを考えてみましょう。
ズバリお話ししますと、「もっと」を求め続け、それらを得ても空虚感が収まらない人の多くは、「誰かから認められる」ことを求めているのではないかと思います。そして、その「誰か」はおそらく親である先代であることが多いでしょう。つまり、ストイックに働く後継者・跡継ぎの人は、動き回り、業績を上げた結果、親に認められるというストーリーを無意識に頭に描いているのではないか、と思っています。だから、親から認められた、と自分が実感できるまでは「もっと」が止まらないのです。これは、失礼な言い方かもしれませんが、ハムスターが回し車のなかを駆け回るのと同じで、必死に駆けるけど、心理的な状況はまったく変わらないのです。親に認められたいという目的が達成されないのに、会社の業績を上げるという手段のことばかり考えているからです。

本当は認められていないわけではない

では、そうやって「もっと」を追求する後継者・跡継ぎのことを、先代である親は認めていないのでしょうか。まあ中には相当な変わり者の経営者もいますが、私の知る限り、大抵は親は後継者・跡継ぎであることどものことをそれなりに認めていることが多いようです。そもそも親が「もっと」と言い続け、誰かから認められなかったことに苦しみを感じてきた人であることが多いので、他人を認めるようなそぶりを見せるのはあまり得意ではないのです。自分にゆとりがあれば、部下を褒めることは簡単なのですが、自分にゆとりがないから他人を認められないのです。そんな不器用な親ですから、そこに期待はしないほうがいいでしょう。後継者・跡継ぎは、ずっと「親に認められたい」という思いが原動力で動くことが多いのですが、それはなかなかかなうことのない思い、ということになります。それは後継者・跡継ぎがふがいないからとかではなくて、そもそも親が後継者・跡継ぎを「認める」というコマンドを持っていない、というニュアンスが近いように思えます。

言ってみれば、「認める」というコマンドを持たないキャラである親に、「認める」という動作を求め続ける。これが後継者・跡継ぎが「精神的にキツくなる」大きな原因の一つと思われます。

ここで考える必要があるのは、後継者・跡継ぎが精神的に解放されるためには、「認められたい」という期待を手放す必要があります。行動の源泉を「認められるため」から、何かしら違うところに持ってくる必要があるのです。

「親を超える」の本当の意味

ここで大事になってくるのが、「親を超える」ということです。この言葉は一見、実業において親を超える事である、と理解しがちですがもう一つの意味があると私は考えています。それは、「親の期待を裏切る」ということです。もう少し丁寧にお話をすると、親に認められたい、と思っているあいだは「こうすれば親は喜ぶだろう」ということを積極的に行うという行動パターンになりがちです。これは自分が本当にやりたいこと、やろうと思ったことではないことが多いはずなんですが、私達はそれに気づかず自分の行動と思い込みがちです。後継者・跡継ぎがもちがちな空虚感というか、何かが足りないという感覚は、実は、自分が本心からやりたかったことを押さえて、親に忖度するような行動ばかりをとっているからではないかと思います。動けど、動けど、自分の本心は満足させられるような行動がない。そこに対して、無意識の自分が声を発しているのですが、自分たちはその声に蓋をしているわけです。それが「空虚」「何かが足りない」という得体のしれない感覚としてだけ、認識されているのです。

だから、その空虚感を払しょくしたいなら、私達はいったん「親の期待」から外れた、「自分の想い」で動くことが必要になってきます。

いきなり自分の想いで・・・と言われても、という人も多いと思います。それを表面化させるために、過去のブログでもいろんな方法をお伝えしてきましたがインスタントにわかるものもあまりないのが難点です。最近お気に入りなのは、天外伺朗さんがすすめておられる「判断しない」訓練です。これは、起こる物ごとに判断をさしはさまない、という練習。たとえば、雨が降り出したとき「ああ天気が悪くなってきたな」というのは、「悪い」という判断が入っています。これを単に「雨が降り出した」という事実だけをとらえる訓練です。これを行うことで、自分にどんな精神的なフィルターがあるかが自覚できるので、だんだんと自分の本来的な思いがつかみやすくなります。

後継者・跡継ぎの自分の幸せを考える

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宿命かのように語られがちな跡取り

ところで、後継者・跡継ぎといえば、家業がある以上避けられない立場というイメージがまだまだ残っています。たぶん今その地位に就いている人は、そこそこの確率で「物心ついたときには家業を継ぐのが当たり前」と感じておられたのではないかと思います。これはまさに宿命といったように、自分も周囲も受け取ってその道に進んできた、というのがこれまでの同族経営の事業承継と言えるでしょう。
一昔前のおとぎ話でいうと、かごの中の鳥というか、お姫様というか、そんなシチュエーションにも見えます。そこから抜け出そうとじたばたするとかしないとか、まあいろんな選択はあるかとは思うのですが、個人的な感覚で言えば、大事なのは事実をどう認知するかだと思います。

先に、不幸な境遇だけど幸せと感じている研究員の話が出ましたが、彼の話を聴いて感じるのは「幸せの達人は物事の受け取り方がうまい」ということじゃないかと思います。たとえば、親の会社を継ぐという状況において、それを不幸な宿命と考えることもできれば、会社のリソースは自分のおもちゃ箱と考えることだってできるわけです。ここは受け取り方次第なんじゃないかと思います。ただこのときに、「親から認められる」ちか「世間から良く満たれたい」というバイアスがかかると、さすがに会社をおもちゃ箱とは考えられません。きっとここなんですよね。どうやってもいいという感覚を持てたら、社内のいろんなしがらみもそれなりに乗り越えられそうな気がするけど、親の承認、世間の承認を前提にするとクソ面白くなくなってしまうという現実があるような気がします。

じゃあその枠を外せばいいんじゃないか、ということになると思います。誰にも認められなくてもいいから、好きに経営してやれ!ってことになると、俄然会社経営って面白いものかもしれません。面白くなければ辞めればいい。誰かに気づかいするからそういった選択肢が浮かばないだけで、できないことは何一つありません。あとは、その際の批判と称賛を受け入れる覚悟が自分にあるか、なんだと思います。

ところで、冒頭の幸福学に関する本を数冊読んだのですが、たまたまかもしれませんが結論は同じでした。
幸福というのは物事をどうとらえるかという、自分の内面的な現象であるということ。
極端な言い方をすれば、自分が「幸せ」と思えば、幸せなんです。
面白いですね。

 

 

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