申し訳ありません。
私は間違っていました。
何が間違っていたかというと、私が皆さんに答えを教えることが私のあるべき姿だと思っていたのです。
それは言い換えれば、思い上がりです。
そんな思いもあり、このブログと私の活動の目的を上方修正することにしました。
私の著書です。
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「学ぶ」という言葉にどんなイメージを抱かれるでしょうか?
教科書や情報を頭に詰め込む。
講演やセミナーに参加する。
ノウハウを自分のものにする。
こうすればいいのかな、と思う方法は皆さん持っておられると思います。
そしてそのことがあまりに当たり前すぎて、疑問さえ抱くことは少ないと思います。
私自身、まさにそんな状態でした。
この度、後継者倶楽部という世襲後継者のためのコミュニティを作り、いざスタートさせるということになりました。
会費を頂く以上、私が皆さんに何を提供できるかをしっかり考え直さなければ。
そんな考えから、あるセミナーに参加してきました。
それは、学習者が学び方を学ぶという状態の作り方を学ぶ学び方を学ぶというもの。
なんのこっちゃ、って感じですね(笑)
もう少し説明します。
まず本から知識を得ることを想定しましょう。
本から知識を学ぶことは普通に可能です。
従来の「学ぶ」のイメージだと思います。
ここで考えられる目標は、「知っている」状態を作る事です。
学生時代のテスト対策ならここまででもいいのかもしれません。
しかし、社会人が学ぶということは、知っているだけでは少し不十分と感じることでしょう。
本の内容を受け取り、発展させ、現実に落とし込む。
その過程で、すでに自分がもっている知識やスキル、能力と結合させて現実に現れる効果を作り上げる。
さらに言うなら、自分が望む結果を引き出すためにその知識を活用すること。
そこが目標になることが多いと思います。
その時点で、学生時代のテスト対策とは違ったスキルが必要になってきます。
それが、学び方を学ぶ、という言葉の意味する事だととらえています。
で、非常に簡略化した言い方をすれば、集ってくださった方がそこで得た知識を自身の目標に向って活用できるまでを範囲と考えたファシリテーションを行うことができるようになるためのセミナー、という感じといえば少しはイメージしやすいでしょうか。
話を振り出しに戻しましょう。
もともと、そのセミナーに申し込んだとき、そんな深い趣旨があるとは思っていませんでした。
私が想定していたのは、自分がもっている知識やスキル、ノウハウをいかに上手にお伝えできるか?という課題を解決するために参加していました。
こう表現すると、それなりに前向きな話に聞こえるかもしれませんが、それこそが思い上がりだということに気づかされたのです。
なぜかというと、自分がもっているものをいくら上手に伝えられたとしても、自分がもっているもの以上のものをお渡しすることができません。
つまり、私がもっているもの以上の価値を皆さんが受け取ることができないことになります。
自分を卑下するわけではありませんが、教える人と教わる人、という位置関係にある以上、そこに限界があらわれてしまうのです。
しかし、今回のセミナーの前半戦(このセミナー、今回の2日間に加え、月を変えて2日間の計4日間にわたって行われます)を終えて、帰路につく車中で今回の内容を反芻してみました。
講義の内容、ファシリテーターの方々の言葉、などが浮かんでは消えします。
(そもそもこのセミナー、頭の中をシャッフルするような設計になっているのでぼんやりしてると一時的に、頭の中に混とん状態ができるようです)
そこで、1日目に聞いたあるファシリテーターの方の言葉が頭にこだまするのです。
「田村さん、受講者を馬鹿にしてるとは思わない?」
その時はなんとなく聞き流してた感じなんですが、学びの場を離れてぼんやりしていた時、ハッとするものがありました。
自分がいろんなことを教えることができる必要がある、人より多く知り、人より多く経験することが役割である。
今まで私は、そんな風に無意識に思っていたような気がします。
これって失礼な話で、自分より知らない人、自分より経験の少ない人である前提であつまった人と接することになります。
そりゃあ、バカにしてますね。
言葉を変えれば、「俺は君たちより上の人間だ」なんていう前提がなければ成立しない話になります。
だから、わたしよりも知識も経験も豊富な人が間違ってセミナーに来ちゃったら、ジ・エンド(;^_^A
そもそも私自身をこえる人が出ない状況を無意識に作り出す可能性さえあります。
これは失礼とかいう次元をとおりこして、怖い事です。
じゃあどうすればいいのだろう…
考える必要もなく、頭に浮かんできたのは人は皆天才だ、という事実。
はい。その視点が欠落していました。
私の考え方に同意させようとするよりもむしろ、それぞれが持ってる天才性を開花させるきっかけを作る事が出来ればそれで十分じゃん。
むしろそのほうが、広がり感はあるよね。
そんな風にコロっと考え方が変わりました(笑)
単純ですね~
考えてみれば、一昔の前の知識がまったく使えなくなること、けっこうあると思います。
私が学生時代には、運動中に水を飲んだらバテるなんて言われていましたが、今時は、熱中症になるし、そもそも虐待やん、となってしまう。
固定化された知識にすがっていると、永続性は期待できない。
そんな知識やノウハウの探求ばかり一生懸命やってきました。
それが、悩みを抱える人たちの助けになると思って。
しかしそこに万全を期しても、期間限定の情報であることは否めません。
しかし、それを学習者ご自身が、自分で刷新しながら前進し続ける人となることをサポートする立場であれば、少なくとも私の枠組みといった限界は取っ払えてしまう。。
とすると、可能性は相当広がりそうなことに気づくわけです。
あやうく、「親の縮小コピーになるな」、なんていいながら自分の縮小コピーをつくろうとするところでした。
あぶない、あぶない。
ということで、私の今後の方針は、私が何かを授けるというより、集まってくださる方のあふれ出る才能をこの社会にぶちまけるお手伝い、としたいと考えを改めました。
となると、100年、1000年続く企業を作る人たちが現れてくるように思えてならないのです。
このブログをはじめとする私の活動は、スタート時点では、後継者の苦しみから救い出す、ということだったわけです。
マイナスの状況を、ゼロに持っていけたらいいな、という感じでした。
これからは、マイナスを大きくプラスに変えるきっかけを作る活動としたいと思います。
感化されやすい?(笑)
プラスへの変化なら、それもいいのではないでしょうか。(自己完結)
ところで、タイトルで謳った1000年企業を作るコツ、などというものがあるのでしょうか?
サンプルとなるのは世界最古の企業である金剛組(金剛組の発起人的立場の人は、聖徳太子!)をはじめ、数社しかありません。
その数社に共通するものはぼんやりとつかめますが、法則というにはちょっとサンプル不足です。
まあ、無茶ぶりなわけです。
けど、とにかく今の窮状を脱したい、という話より、ワクワク感は圧倒的に感じられますね。
100年企業でも、1000年企業でもいいのですが、学習のスタートはこのワクワク感が大事であることを今回のセミナーで身をもって学びました。
「今ある問題をいかにして解決するか?」
という質問を、
「100年、1000年栄える企業にするには、どうすればいいのか?」
という質問に変えた途端、現実の見え方は少し変わってくるかもしれません。
現実は変わってなくても、です。
つらいなぁ。
ストレス、感じてるよなぁ。
うるさいオヤジ、何とかできないかなぁ。
いつも否定されてるよなぁ。
この状態では、本来必要な情報が全く入ってこなくなる。
既に答えは持っているのに、それが見えない状態になっているのです。
そこにフォーカスすることをやめると、驚くほどの情報が流れ込んでくるようになります。
あなたの中にある答えが、パンっとスポットライトを浴びたかのように浮かび上がる。
どうやら、人間の頭のなかって、そんな仕組みになっているようです。
これを読んでいただいている後継者の方々にとって、今まさに引き継ごうとする会社は30年の歴史の会社もあれば、100年の歴史を刻む会社もあると思います。
今立っているのは、次の30年、100年へ繋がるスタートライン。
壮大な物語のはじまりです。
けどね、はたから見てて、平坦な物語ほどつまらないものはありません。
何の抑揚のない物語に惹かれる人ってそう多くはないとは思いませんか?
私なりの学びの中で強く感じているのは、どうやら目の前にある問題は乗り越えることが約束されたイベントにすぎない、ということ。
主人公が成長するためには、必要な儀式です。
最後のハッピーエンドを際立たせるための、物語の起伏の一つです。
今、私たちに必要なのは、ラスボスを倒し、限界を突破したときのハッピーエンディングを決める事なのかもしれません。
・・・ということで、順次過去のブログもすべてリライト(書き直し)します。
多分、小冊子も手を入れると思いますので、変化を見たい人は今のうちにどうぞ。
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