後継者

後継者が、事業承継の常識を全部疑ってみた結果・・・

世の中、会社をつくれば「持続可能」であるべきだと言われます。
親が会社をやっていれば、子どもが継ぐのは当たり前、という風潮は今でも残っています。
それって実際のところ、本当に意味のある事なのでしょうか?

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データ上の廃業を止めたい日本?

M&Aは中小企業を救うのか?

今、日本は国を挙げて、中小企業の廃業を止めようとしているように感じられます。
単純に、雇用やGDPの大多数を占める中小企業を減らすことは国にとって損失だと考えているからでしょう。
だから、引き継ぐ後継者がいなければ、手っ取り早くM&Aでもいいじゃないか。
そんな考え方も一部ではあるようです。

M&Aというのは、簡単に言うと合併と買収。
凄くシンプルに言ってしまうと、後継者のいない会社を売っちゃえ、という話です。
このことで、会社の資産や従業員を合併先で活かすことができ、ノウハウも継承される前提でしょう。
さらには、顧客との取引も守られるという意味では、たしかに事業承継の一つの手段として注目されるのもわかります。

M&Aの前と後、同じ会社なのか?

さて、こういったM&Aにおいて、合併された会社は同じ会社と言えるでしょうか?
従業員の雇用は常に守られるのでしょうか?
ノウハウは継承されるのでしょうか?
この辺りは、個別の事例ですから、一概に言える話ではありません。
実際に、企業グループの傘下で従来の企業の持ち味を活かし続ける会社はたくさんあります。

とはいえ、すべてが円満・・・というわけでもないように感じるのは私だけではないと思います。
場合によっては、設備を安く買うとか、人員を手っ取り早く確保するとか、販売網を簡単に取得するとか、買い手にはそういう考えがあるのも事実でしょう。
そういう意味では、感覚的ではあるのですが、これってどうなんだろう?と思うことがあります。
言葉を選ばずに言えば、廃業するために会社に残ったものを売り飛ばすことと、M&Aは、あまり大差がないように思えてくることさえあります。

そもそも事業承継って何?

そんな事を考えていくと、そもそも事業承継って何だろう?
そんな疑問の深みにはまってしまいます。
言葉通りに解せば、「事業」を引き継ぐことです。
しかし、中小企業が営む多くの事業はすでに賞味期限切れです。
だから、「事業」を引き継ぐつもりで事業承継を行うのは、ナンセンスではないでしょうか。
では、何を引き継ぐことができれば、事業承継の成功なのでしょうか。
そんなことを、社会、先代、後継者という三つの視点で考えてみたいと思います。

社会から見た事業承継

日本に残された唯一の技術伝承者の話

京都にある小さな企業。
ここでは、ある特殊な伝統的染色技術を持っています。
その会社の持つ技術は、実は今や日本国内で2人しかマスターた人は残っていないといいます。
そのうちの一人はすでに病に伏せており、実質的に活動しているのはたった一人です。
その方に話を伺ったところ、1人しかいないのでたいした仕事量はこなせない。
しかし、日本で自分しかその技法を使える人がいないから、たくさん仕事の依頼はあるそうです。

彼はこれまで後継者を育てようと頑張ってきましたが、何分非常に大変な仕事だけに、続かない。
そもそも、日本中の仕事がここに集まるとはいっても、仕事に対する報酬は決して高いとは言えない。
業界全体が冷え切っているので、工賃は非常に安いといいます。
いわゆる3K職場で、賃金も安い。
誰もいつかない。
そんな環境の中、自分一人では限界がある、と60歳を機に事業をたたむことを決断されました。
関係各所からは何とか続けてほしい、という要望があったもののだからと言って工賃を上げると、文句を言われる。
仕事をやってもやっても、豊かにならない。
これで後継者を育てよ、というのはさすがに無理でしょう。
彼はそんな風に肩を落とします。

失われる技術と消費者のニーズ

件の企業では、この技術を何とか後世に残そうと頑張ってきました。
しかしさすがに限界だといいます。
日本から一つの伝統的技術が失われていくわけですが、それがなければどれだけの人が困るでしょうか?
たしかに、その業界のラインナップが一つ減るのかもしれませんが、顧客はその状態にすぐに慣れます。

事業承継という文脈の中で、「顧客を守れ」という話はよく語られます。
一方で、これだけ特殊な技術を持った企業でさえ、なくなればなくなったように社会は動きます。
普通の中小企業であれば、これだけ希少な技術やノウハウを伝承しているケースはかなりまれでしょう。

私の父の会社でもそうです。
たしかに、この会社がこの世から消え去れば、数か月、お客様は混乱するかもしれません。
しかしその期間を過ぎれば、何もなかったかのように別の会社との取引を行っているでしょう。

「雇用」を守るのが使命なのか?

事業承継という話の中では、特に中小企業では「雇用を守れ」という話も耳にします。
一方で、大企業は大量リストラのニュースをちょくちょく耳にします。
銀行に至っては、数万人単位で人員削減を計画しているようです。
そんな中、そもそも従業員の雇用を守るため、無理して延命することが重要なこととはどうも思えないのです。
もしかしたら、投げやりに見える話かもしれませんが、今の時代雇用される側も自己責任が求められる風潮があります。
副業ブームもまた、会社の制度にすべての身をゆだねきれない部分があるからこそなのではないでしょうか。
終身雇用が幻想となった今、そのために会社の延命措置を行うことの是非は考えるべき課題なのかもしれません。

親(継がせる側)から見た事業承継

創業社長と二代目社長の定年退職

面白い傾向があります。
事業承継のタイミングに差し掛かった時、創業社長はなかなか経営権を譲ることはできません。
一方、30~40年前に親から会社を引き継いだ二代目が60歳代後半~70歳代に差し掛かるころには割とすんなり代を譲ります。
あくまで私が感覚的に感じているものなので詳しいデータがあるわけではありません。
しかしどうも、会社に対する執着は、創業社長と二代目社長では圧倒的に違う印象があります。

あたりまえと言えば当たり前かもしれません。
初代はその会社をゼロから作り上げたし、その苦労を体験しています。
しかし、二代目は会社を作る苦労はしていないけど、会社になじむ苦労を体験しています。
現在70歳に近いある二代目社長はこう言いました。
「僕は父から会社を引き継いで、定年退職できる日を心待ちにしていました」
息子に代を譲ってからは、すっぱりと会社に立ち寄ることもなくなったようです。

創業社長の「生きた証」

この違いについて、象徴的ともいえる私の父の言葉があります。
それは、会社の自社ビルを建てる際に言った言葉です。
私は借り入れを起こしてのビル建設には反対でした。
しかし、父はこういいました。
「自分の生きた証」

会社という入れ物であれ、実績であれ、自社ビルであれ、商品であれ、
何かしらの証をこの世に残しておきたい。
父は保険の販売で起業したので、実績と言った無形のものはあったとしても、形になるものがないわけです。
その象徴として、自社ビルを残したいと思ったのかもしれません。
そんな思いが、創業社長にはあるのでしょう。
そしてそれを守る守り人として、自分の息子や娘をあてがおうというのはわかりやすい話です。

「守り人」の資格を喪失する後継者

そういった考えがベースにあるとすると、その会社なり会社の物や商品を変えてしまうとすると、守り人失格です。
親の立場としては、親が手掛けたものをそのままの形で残したい、という思いがあるのでしょう。
これを変えようとする後継者は、守り人に適さなくなってくる。
結果として、親子は対立するという一面もあるのではないかと思います。

これがエスカレートすると、泥沼の親子の確執に向かっていくわけです。

後継者(継ぐ立場に立つ子)から見た事業承継

他人本位な理由で後継者の立場に立つ

後継者の視点にフォーカスを当ててみましょう。
後継者が事業承継する理由はどこにあるのでしょうか?
・世の中では親の事業を子が継ぐのは当たり前(といわれている)だから
・親がそうすることを希望しているから
・自分の立場上そうせざるを得ないから
・ほかに特にやりたいことがあるわけではないから親の意向をくんで
などなど。

たぶん多くの場合は、自分の意志で決めたというより、そうなるような状況があったというケースが多いのではないでしょうか。
私の場合も同様です。
父はどうやら(はっきりとは言葉にはしないけど)自分を跡継ぎにさせたがっているようだ。
そんな空気を、小学生のころから感じ取っていました。
自分としても、その意向には応えたい・・・
いえ、そうするのが普通だと思っていました。

特にほかにやりたいことがあるわけでもないし・・・
と思うわけです。
まあ、よくよく考えてみれば、他にやりたいことが出ないよう、自分で自分を抑えていた現実はあったのですが。

私たち後継者は事業承継に何を求めているのか?

社会は統計的な廃業を減らしたいというニーズがあり、
国力としての中小企業の生産性や雇用確保への期待があるようです。
継がせる側としては、自分の生きた証を刻み、自分の居場所を作るという期待があるようです。
それぞれに、彼らには、ある意味自分本位な主張があるわけです。
それぞれが自分の言いたいことを言っています。

じゃあ、後継者にとっての自分本位な主張はどこにあるのでしょうか。
この事業承継を通じて、何が何でも成し遂げたい、得たい、何かがあるのかないのか。
これを考える人は意外と少ないのではないでしょうか。
逆に、後継者として自分の地位や、状況を「利用」するのは悪とさえ言われかねないのが世間の眼です。

これって、周囲の要望・期待に応えるために、自分さえ我慢すれば・・・という自己犠牲のような気もするわけです。

事業は継続させるべきものという幻想

誰も言わない「事業を継続させる」ことの意味

実は、今回の記事を書くにあたって、あることを調べまくりました。
しかし、私の探した範囲において、「これだ!」と思える答えは見つかりませんでした。
それは、企業を廃業させてはいけない理由です。

誰もが、一旦事業を始めた以上は、続けなければならないと信じています。
たとえば、事業の中には「一代で終えてもいい」性質のものもあるのではないでしょうか。
よりによって、中小企業の多くは、事業としてはかなり色あせているものが多いと言われています。

たしかに、今の事業が多くの人に求められ、行列ができるようなものであれば、それを提供する意義はあるでしょう。
しかし、今や多くの商品やサービスは過剰供給気味です。
だから値段も安くなるし、ビジネスとして成立しにくくなってきています。
するとどの企業も、事業の転換を余儀なくされます。
それを親子の面倒なしがらみの中で、無理に続けていく理由なんてどこにあるのでしょうか。

顧客にとっては、かわりの業者がいるし、社員は自分で道を切り開くべき時代となっています。
これらを守るために、自己犠牲で会社を継ぐ人間を、いけにえのように差し出す必要があるのでしょうか?
そう考えていくと、親の事業を継いだ後継者が、自分の立場について説明するための理由を外に求めるのはナンセンスなような気がします。

親の会社は社会にどんな影響を与えてきたか?

後継者は、先代の「生きた証」の守り人にならざるを得ない状況を強いられる、という話がありました。
この「守り人」というやつ、様々な物語で出てくるのは、「社会に大きな影響を与えるスキルやツール」であることが多いと思います。
世界を破滅させかねない力を持った魔石とか、テクノロジーとかを、悪い奴等から守る、というパターンですね。

さて、先代は果たして、社会にどんなインパクトを与える秘宝を持っていたのでしょうか?

以前、私は父に「創業した理由」を聞いたことがありました。
父はそっけなくこういいました。
「そりゃあ、食べていくために決まってるやないか!」
しかし、もう少し考えてみました。
確かに食べていくために起業したかもしれないけど、なぜうちの父は保険屋さんだったんだろう?
「そりゃあ、初期投資がいらんからな」
なるほど、昭和40年代の時点で電話さえあれば始められるビジネスです。
(余談ですが、この業界は今も電話にプラスしてPCさえあれば始められるビジネスですから、ほとんど変化がない業界とも言えそうです)
ここまでの話だったら、この会社、継ぐ価値はあんまりなさそうです。

さらに聞いてみると、こんな話が出てきました。
「実際に自分がサラリーマンとしてあるメーカーの総務をやっていたとき、取引していた保険会社の対応が悪かったから」
お、いよいよまともな話になってきました。
私なりに要約していくと、
「きめ細かな顧客の要望に応えられない保険会社と、専門知識を持たない企業の間を取り持つ機関」
としての起業であったことがうかがい知れます。
もう少し突っ込んだ言い方をすれば、種々雑多な仕事で忙殺される総務の社外相談機関とでも言えるでしょうか。

これは、父から見れば戦略であり、ポジショニングと言えるかもしれません。
しかしそれが成立する以上は、顧客はそういったサービスを望んでいた背景があったということです。
社会の中で、求められるサービスだったようです。
つまり、父は企業の総務の社外相談機関として、この社会の中に居場所を作ったことになったんだと思います。

従来の私なら、こういった親がとった戦略である、「企業の社外総務相談所」というコンセプトは受け継ぐべき、と言っていました。
しかし、今は少し考えが変わっています。
なぜなら、こういった、社会にある問題もまた社会の変化とともに変わります。
前の世代で解決されてしまったこともあれば、今後、AIなどで解決できる事が予想される分野もあるでしょう。
だから、社会へどのような影響を及ぼすかさえも、一つの物にこだわる理由が見当たらなくなると思います。

こういったことは、ヒントにはなると思うので、自分の会社のルーツは知っておいたほうがいいと思います。
しかしそれはそれとして、自由に考えればいいんじゃないか、と最近思うのです。

これからの事業承継に対する後継者の考え方

警察に組織から考える会社の在り方

警察は古い組織ですが、その中で意外と使えそうなコンセプトがあります。
それは「捜査本部」というやつ。
刑事ドラマレベルの知識ですが、会社の役割をイメージとしてつかむときにこれはある意味理想のような気がします。

社会に何かしら事件が起こると、捜査本部というものが設置されますよね。
各部署で経験を積んだ人たちが連携して一つの、事件という「課題」を解決するために集います。
そしてその事件が解決されれば、その捜査本部は解散されます。
それでも、彼らは警察官であることに変わりありません。
日本の安全を守る警察という組織の一員です。

企業というのは、社会の中で暮らす人々のよりよい生活を提供するのが終極的な目的です。
これは警察でいうところの、日本の安全を守るということと同じレイヤーにあると思います。
そんな中で、たとえば株式会社Aというところがあれば、そのA社は捜査本部に相当します。
何かしらの社会の課題を解決するためのプロジェクトチームです。
警察の捜査本部ほどは、出来たり解散したりを頻繁に行うことはないにしても、課題はその時々によって変わります。
ある時は、父の世代で起こした事業で、何かしらの社会問題を解決に導いてきた。
しかし、後継者の代は、後継者が決めた課題にチャレンジすればいい。

もちろん、A社と同じ課題を扱うB社があるかもしれません。
しかし方法論はそれぞれに違います。
それがA社とB社をわける境界です。
集う人が変われば、技術も、能力も、設備も、仕事のスタイルも違う。
そういった無形の、チームとしての特質を作り上げるのが、おそらく中小企業の社長の仕事でしょう。
それぞれがそれぞれの経験を持った複数の人たちが集ったときに、そこには目に見えない独特の雰囲気ができます。
これはおそらく、企業文化と呼ばれるものではないかと思います。

そして捜査本部と一つ違うところがあります。
それは捜査本部は事件の解決とともに解散されますが、会社というチームはリーダーとそこに集うメンバーの意志でその存続を決定することができます。
ある課題を解決して解散するもよし、ある課題を解決すればその経験をもとに、次の課題を見出すもよし。
続けるも、辞めるも、その組織が決められるプロジェクトチームです。

企業文化は引き継ぐものなのか?

企業文化というのは、意識して引き継ぐものというより、そこに集う人たちの間で自然とできるものかもしれません。
もちろんそこに歴史として刻まれてきた会社の経験値が加味されて、今目の前にある文化として醸成されるのではないかと思います。
そういう意味では、先代から何かを引き継ぐ、というところとは少しイメージが違うかもしれません。
それらはすべて、会社というチーム、組織の中に埋め込まれているはずです。
この組織の一人一人が、まだ十分使いきれていない能力を開花させることがおそらく後継者の役割じゃないかと思うのです。

少し抽象的な表現でわかりにくいかもしれませんが、手っ取り早く言うとこうです。
後継者が引き継ぐべきものは、後継者の目の前にあるチームそのものではないか、ということです。
これは個別の社員をどうこうという話ではありません。
チームという集団という意味です。

そして最も開花させるべきは、後継者であるあなたの才能です。

後継者が「宿命」にどう対応するかで見える未来は変わる

避けられない環境はだれにでもある

この世界には、貧しく、まともに食事もとれない国もあります。
逆に日本では、飢えることのほうが難しい、という人たちもいるぐらいです。

生まれついて、身体にハンディを背負っている人もいれば、病弱に生まれつく人もいます。
逆に五体満足で生まれ、体力には自信がある人もいれば、頭の回転には自信がある人もいます。
そして、サラリーマン家庭に生まれつく人もいれば、親が事業をやっている家庭に生まれる人もいます。
これを仮に「宿命」というなら、その現実を受け入れて生きるしかありません。

貧しい国に生まれれば、その環境で精いっぱい生きますし、
ハンディを持って生まれれば、それを乗り越えて生きている人もたくさんいます。
サラリーマン家庭であれ、事業家の家庭であれ、そこに生まれたならそれを受け入れる必要があります。

そんな時に、二つの生き方があると思います。
今ある場所から遠ざかろうとする生き方と、今ある場所にこだわろうという生き方です。
その選択はまったく自由。

親が経営者である、という前提であれば会社を継ぐもつがないもあなたの自由。
その時にあなたを止める人がいるかもしれませんが、最後に決めるのはあなた自身です。

「常識」に惑わされてはいけない

会社は続けなければならないとか、
親の会社は継がなければならないとか、
そんな「常識」はクソくらえです。
だいたい、世の中の常識というやつは、
為政者が作り出したプロパガンダだったり、
企業のマーケティングだったり、
権力者(目上の人)が人を服従させるための根拠のない言い分だったりするものが多いものです。

誰がなんといおうと、自分はこう思う。
そういう気持ちを大事にするのが一番だと思います。
そんな中、自己犠牲で親の会社を継ぐことなど、とうていお勧めできません。
逆にそれでうまくいくほど甘いものではないようにも思えます。

あなたの人生を開くキッカケ

たとえば、身体的なハンディを持つ人の話を聞くといろいろと考えさせられる話があります。
ある方は、事故で体の自由を失い、絶望の淵にいたといいます。
何年も自分の不幸を呪うばかりの日々だったその方が、ある時にふと感じたそうです。
こういう事故にあったのは、社会の中では少数派だ。
だからこの自分の「特別な経験」を活かすことで、なにかできないだろうか?と考えたそうです。
そして今、彼は、同じような境遇の人が輝ける場を作るための会社を作って頑張っておられます。

身体的なハンディが、彼の人生の方向性を決めたと言えるかもしれません。

私たちもまた、経営者である親を持ち、会社を引き継がざるをえない状況があるとすれば、これはキッカケなのかもしれません。

制約は救いです。
制約があるからこそ、方向性が見えやすくなることはあるでしょう。
そして、後継者であることは、きっかけに過ぎないのだと思います。
このキッカケをどう活かすかは、私たち自身にゆだねられています。
キッカケをもらったことで、私たちの人生は何倍も濃いものになる可能性があるんじゃないかと思うのです。
少なくとも悩む機会を提供されているのですから。

悩みつまづくことは、変化への入り口です。
これまで誰かのロボットとして生きてきた自分が、本当の自分を取り戻すチャンス。
しっかりと悩み、自分なりの答えを出してみてください。

最後に言います。
事業承継は後継者にとって、親の遺志を継ぐことでも、事業を継ぐことでも、何かの義務を負うことではありません。
あなたがこれから創り出すものの土台となるキッカケを手にすることです。
ぜひ、あなたらしい未来を創ってください。

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