「右手をぐっと握りしめてください。思いっきり。」
そういわれて、右手に力を入れる時、左手の感覚を認識していますか?
夢中で右手に力を込めているとき、左手がどこにあるかさえ意識していないのではないでしょうか。
人は、力を入れる部分に意識を集中します。
逆に言うと、意識をしたところに力が入るわけです。
そうやって、「問題」に力を与えている事が少なからずあるものです。
私の著書です。
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何か問題が起こると、私たちはそこに目を向けます。
意識を集中して、解決に当たる。
まぁ、人間の本能みたいなものなのでしょうね。
お尻がかゆいとなれば、意識しないときは全く気にならなくても、
ひとたびかゆさに気付くと、気になってしょうがない。
そんなこと、良くありませんか?
後継者が、会社を引き継ぐ際にも、やはりそんなことが起こっています。
たとえば、「先代のあの行動、許せない!」と思い始めると、もう、先代の嫌な部分にばかり目が行ってしまいます。
本来、こうあるべきなのに、思うようにいかない。
これまた、気づき始めるともう気になってしょうがない。
そんな状況に、イライラし、ストレスを受けて、疲弊してしまう。
よくあるパターンです。
私も、そのおかげで、歯を一本失いましたからね(苦笑)
そんな時、やりがちなのが、ルールや強制で先代の動きを止めようとしたり、思い通りに動かそうとしたり。
それも悪い事とはいいませんが、大抵うまくいかないのではないですか?
ひどいときには、前より状況が悪くなった、なんてこともあります。
じゃあ、どうすればいいんだろう?
そんな悩みに頭を抱えてた時、ある人にこんなことを言われました。
「あなたは、先代を一生懸命変えようとしている。それって、先代があなたにやってることと同じなんじゃないですか?」
あはは・・・
図星すぎて、力なく笑うしかありません。
自分は、指図されたり、制限するのが嫌なのに、
自分の自由を確保するために人に、指図し、制限しようとしてたんですね。
これを認識したときには、少なからずショックを受けました。
やられたらやり返せ、的な行動だったわけです。
人間として成熟した人なら、こんな時、
「人を変えようとするのでなく、自分が変わろう。」
なんていうのでしょう。
それは確かに正しいと思うのですが、ストレスまみれの当時の私にとっては、キツイ話です。
そこで考えたのが、
自分でコントロールできることと、そうでないことを分ける
というとってもシンプルな動作でした。
目の前の問題を思いつく限り書き出し、一通りリストを作ったら、
自分がコントロールできる問題は、可能な範囲で対処する。
コントロールできない問題は、とりあえずは無視する。
ものによっては、コントロールできる問題とできない問題が微妙につながってるケースもあります。
しかし、気にしない、気にしない。
できる事を一生懸命やれば、大抵は何とかなります。
問題の先送りじゃないか?
と言われれば、自信をもってお答えします。
「ハイ、そうです。」と(笑)
けど、ストレスまみれで動かない重い足を引きずって、前に進めないより、
小さなことでも、今できる事をお気楽に進められたほうが良いと思いませんか?
なにより、精神衛生上、全然いいと思いますよ。
そうやって何かしらの動きがあれば、先送りにした問題もわずかばかりでもほぐれてきている可能性もあります。
往々にして、私たちは自分でコントロールできない問題を右手に持って、
そこに力を与えている事があります。
左手に握った今すぐできる事には、まったく無頓着なままで。
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