後継者は色んな苦悩、悩みを持っていると思います。
その中でも、自分が継ぐ親の会社の事業に関心が持てない、ということもあろうかと思います。
その理由と、対処について考えてみたいと思いまうs。
私の著書です。
Contents
後継者の苦悩 親の会社の事業に興味が持てない という問題を考える
親の会社の事業に関心を持てない理由
後継者・跡継ぎとして、経営者の家に生まれる。
すると、私たちは家業で得た糧で生活し、学び、成長していきます。
ある意味、親の会社の事業というのは私たちの生命線。
そういったことからすると、家業に対する感謝を持つべきなのは頭ではわかります。
けどじゃあ、それを自分の生涯の仕事にしていくとなると、ちょっとあとずさりしてしまう人もいるのではないでしょうか。
それはなぜでしょうか?
たとえば……
- 家業はあんまり格好良くない
- 自分の能力と仕事の内容がマッチしない
- 事業の将来性が厳しい
- 長時間労働にならざるをえなさそうできつそう
- 体質が古臭い
- もっと大きな仕事をしたい
- 大企業に努めたい
などなど。
色々あろうかと思いますが、これって、物事の側面をどう見るか、なんですね。
家業をどちらかといえばネガティブな側面で見がちなのは、そもそも、「自分で選んで家業に飛び込もう」という気持ちが乏しいからではないかと思うのです。
物心ついたときから、跡継ぎとして育つ
親から継いでほしいと言われた人も、言われなかった人も、
たとえば、家業を持つ経営者の長男に生まれたら、周囲は子どものころからこういわれ続けます。
- 跡取り息子
- 跡継ぎ
つまり、物心つく前から、後継者の未来はなんとなく「親の会社に収まる」という雰囲気が出来上がってしまっています。
素直に育った子供は、「自分の未来は、親の会社を継ぐことになるんだろうなぁ」なんてボンヤリ思うわけです。
正直、子どもとしてはそれは一部嬉しい気持ちもあります。
将来の社長でもあるし、親から期待されているわけですから。
けど一方で、無意識に、それ以外の道を閉ざしていきます。
子供のころ、「将来の夢は?」と聞かれて、好き勝手に話す友人を横目に、自分は親の会社を継ぐんだ、なんて発言する。
周囲の人は「偉いねー」と褒めてくれるから、なんとなくそれが期待に応えることだと感じる。
けど、やっぱり微妙な違和感はあるわけです。
なんか周囲がキラキラな夢いっぱいな話をしている中で、自分は親の○○屋さん継ぎますって、何だか小さい気がするわけです。
後継者候補に生まれると、無制限に見る夢を見る機会なく、気が付けば現実的な選択肢を子どものころからしている。
私に関して言えば、一番古い記憶は、小学校四年生の時点で「親の会社を継ぐことになると思う」、と友人に話していました。
無いものねだりではありませんが、今まで見れなかった夢と、家業という現実のギャップを見て、どことなく物足りない感覚を感じるのではないでしょうか。
「選択」することが苦手な後継者
もうひとつ、跡取り・後継者であるあるなのが、こういった立場の人は自分で選択することが苦手な人が多いと感じます。
なぜかというと、親が経営者、つまり自分で決めて、その決断を元に社員を動かすという仕事をしている人です。
これは、家庭内でも同じ癖が出てきます。
親は自分で決めて、子どもをある程度親のコントロール下に置く癖を持っている傾向が強いのです。
子どもである後継者は、そういった親との関係の中で、言われたことに従うことが平和であると学んでいます。
その時に、自分が違う本心を持っていると、「我慢」をしなければならない。
だから、自分の本心に気付かないような癖をつけがちです。
そうやって、自分の本心が見えなくなる後継者・跡継ぎはけっこう多いと思われます。
結果として、家業を継ぐのは嫌だけど、何をやりたいというわけでもない、という状況が起こりがちです。
家業が嫌いなら嫌いなことを認めよう
やったことのない事は評価できない
まず気をつけたいのが、私たちが抱く家業のイメージというのは、自分が持てなかった夢の反対側にある、という印象があるのではないかと思います。
夢はあるかどうかはわからないけど、少なくとも、そこに家業があるわけではない。
家業という無難すぎる選択意外に、何かわからないけど、もっとワクワクするもの、
もっと自分を活かせるものがあるはず、なんて考える傾向があるのではないでしょうか。
それを図示すると以下のような形になります。
将来の夢は、雲に隠れて見えませんが、見えないから余計にこっちのほうがよさそうな気がする。
また、「自分で選ぶ」という感覚も、自分にとっては嬉しい事です。
選べずに家業を継ぐことになったという結果より、
自分で選んでそれ以外の道を探したという結果のほうが、
なんとなく納得しやすいんですね。
もちろんそこに楽園があるかどうかは、都度都度の相性だと思います。
しかし、見えないものに憧れる、ということはあろうかと思います。
情熱を持てない家業を継ぐか継がないか迷うなら……
そんな風に情熱が持てない、という家業とどう付き合えばいいのでしょうか。
まずは、親の会社に入社するかしないかを迷っている、という状況の方についてお話します。
好きでもない仕事だけど、いろんな事情で、親の会社を手伝わざるを得ない、という状況が目の前に現れた場合です。
よくあるのは、家業を経営する両親の体調が悪くなり、急遽、家業に帰ってきてほしい。
よその会社に勤めたにもかかわらず、そんなオファーがあった場合です。
どうしても、自分がやりたい仕事があるのなら、自分の仕事を追求することがよいのではないかと思います。
つまり、継がない選択をすることも大事だ、と私は思っています。
親のためとか、親の会社の従業員のため、とかいう理由をくっつけると、ハッキリ言って、後々決心が揺らぎます。
そういった周囲の環境ではなく、自分の本心として、「継ぎたい」あるいは、「ついでもいい」と思えるなら継げばいいし、そう思えないなら、きっぱりと断ることも大事なことです。
それで、親や、親の会社の従業員から、きつい言葉を受けることもあるかもしれません。
けど、彼らの人生の責任を私たちが撮れるはずもありません。
それぞれの人が、自分の人生を一生懸命生きればいいのです。
逆に今の仕事に特別なこだわりがない場合は、ちょっと悩んでしまいますね。
私の知る中で、そんなシチュエーションでも、親の会社を継いで大成している人もいます。
今や彼にとっては家業が天職です。
一方で、親の会社に勤めて、親との人間関係に疲れ切って、会社を飛び出した人もいます。
今は親とも和解していますが、夫々が違う仕事を歩むことで、お互いが幸せになった事例です。
だから、一概には言えないんです。
けどハッキリ言えることは、上手くいけば天職になるし、上手くいかなければ辛くなる。
実は結果論なんじゃないかと思うのです。
そして結果はある程度水もの。
最終的には直感で決めるしかないんじゃないでしょうか。
ただ一つ大事なことがあるとすれば、はじめに「仕方なくやらされている」という思いを持っていてはずっとやらされ仕事になってしまいます。
自分でやると決めた、という思いを持てないなら、辞めておいたほうが無難ではないでしょうか。
家業を知るにつけ情熱を燃やせないときどうすればいいのか?
一方で、すでに家業に入って親の仕事を手伝っている、という人も多いでしょう。
そこで、だんだんと仕事を覚えて来たけど、自分の才能と仕事がうまくマッチしないとか、業界の色んなしきたりの中でやる気が起こらなくなったとか、色んなことが多ると思います。
そんな時に、まず知っておいてほしいのは、
世の中は誰に対しても結構理不尽
ということです。
大企業に就職しても、自分の望む部署に行けるとは限りません。
そもそもある日突然会社が倒産したり、リストラされたりという事態も良くある話です。
ケガや病気で働けなくなるとか、家族の介護で仕事が続けられないとか、まあ人生にはいろんなことが起こります。
そしてそれらの多くは避けきれません。
実は家業と向き合う、ということも、そういった生きて行く中の理不尽の一つと考えてみてはいかがでしょうか。
そうなった時、その理不尽の前提で私たちが何ができるかを考えてみます。
ある方は、下半身の動きを事故で奪われました。
結果彼は、パラリンピックという活躍の場を得、世界中を飛び回ったり、学校などで講演活動をしています。
彼曰く、五体満足だったら、今頃まともな仕事はしてなかっただろう、と。
かれは、ハンディを得たことで、活躍の場を変え、そこで輝くことを決心しました。
私たちもまた、親の会社を継ぐという、特殊な環境をさげすむのではなく、活かす方向に物事をを見る必要があるのではないでしょうか。
すると、今の会社の仕事は面白くないけど、その会社の技術を使って面白いことができるようになったとか、
もっている顧客層にまったく違う商品を売り込むことで、新たな顧客との関係が生まれたとか、
顧客とのつながり方を変えることで、新しい会社の方向性が見えたとか、
まあ、いろんな話が出てきます。
あらためて、はじめの不満ポイントを見てみます。
- 家業はあんまり格好良くない
- 自分の能力と仕事の内容がマッチしない
- 事業の将来性が厳しい
- 長時間労働にならざるをえなさそうできつそう
- 体質が古臭い
- もっと大きな仕事をしたい
- 大企業に勤めたい
これは、今足りないものばかりを見ている結果です。
格好良くない仕事を格好良くやっている人がいます。
たとえば、新幹線の清掃会社、JR東日本テクノハートTESSEI、通称「テッセイ」という会社の事例は、ハーバード大学のMBAで学ばれています。
清掃というどちらかというと、社会的な地位があまり高く感じにくい仕事を誇りある仕事に昇華したとのこと。
将来性については、イノベーションを興した中小企業は多数ですし、
長時間労働が嫌なら、超短時間の営業時間で高収益をあげている、佰食屋という飲食店があったりもします。
足りないものではなくて、あるものをどう活用しようか、という視点に変えてみてはいかがでしょうか。
一説によると、事業承継は事業そのものを承継するものではない、という考え方もあります。
今あるリソースを活用して、どんな価値をつくれるかは後継者の腕の見せ所。
そこそこ自由度がある選択というのが、家業を継ぐことだと思います。
大事なのは自分で決めるという事
結論めいた話をすると、後継者・跡継ぎが事業に関心を持てない理由の一つは、「やらされ仕事」という思いが頭の片隅にあるからではないかと思うのです。
決めるということ、選択することが苦手で、できれば避けたいという特質を持ちがちなのが後継者・跡継ぎです。
そんな中で、誰にどう思われようと、自分で選択する、という思いを持つということで、色んな事への関心の持ち方は変わってくると思います。
家業も、こうしたいという意志がうまれると、関心は増してきます。
業種その物にコミットできなくとも、「自分ならどうする?」という考えが芽生えます。
そんな思いをコンパスに、独自の道を歩まれることを祈ってやみません。
私の著書です。