同族会社の後継者・跡継ぎというのは何かと制約を感じることが多いと思います。
そもそも生涯の仕事選びでも、家業があるという事でそれ自体が制約と感じている人も多いでしょう。
けど、制約ばかりにフォーカスしていると何一つ動きが取れなくなってしまいます。
どんなに厳しい制約があったとしても、小さな小さな変化を起こす遊びはどんな状況でもゼロではないはず。
そんな変化をどう起こしていいのかを考えてみたいと思います。
Contents
24時間親と一緒にいるという後継者人生のスタート
後継者って息が詰まる!?
私は大学を卒業してすぐに親の会社に籍を置いて、しばらくは社外で過ごしたものの1年程度で親の会社で働くようになりました。
まだ20歳代前半ですから、結婚もしておらず親と同居です。
実家から会社へは親は早朝6時ごろに家を出て、車で30分ほどの距離の事務所へ出社。
夜はだいたい7時~9時くらいまで仕事をして、会社を後にする。
この間、実は両親と一緒にいるわけです。
早朝から夜遅くまで両親と一緒。
大人になってこれって結構きついものがあります。
私としては、通勤のルートを変えたいとか、そもそも家を出たいとかいう気持ちがないわけではないけど、「もったいない」といって却下。
これはうちだけではないようですが、同族企業の社長をやっている親って、自分の家計と子どもの家計を分離していない事が多いようです。
だから、同じ家族なんだから一緒にすればいい、というのが基本的考え方。
ウチはさすがにそれはありませんでしたが、結婚したりすると妻を会社に来させたがるとか、同居させたがる親というのは、発想のもとにとういった考え方があるのかもしれません。
良くいえば、親族はみな家族という共同体意識ですが、ストレスを生みがちなのはそういった家族への従属感といったところがあるように思います。
物理的な距離が取れればいいけれど…
少し過激な言い方をすると、親は子どもを所有しているかのように感じている場合がけっこうあります。
子どもは親の言う事をきくのが当たり前、という感覚だと思うのですが、やっぱりこれは同居しているとなかなかそこから抜けることは難しいように思います。
可能であれば、物理的距離を取りたいところ。
結婚するというのはそのいいタイミングですが、それでも二世帯住宅だったり、親の近くに住むと事を進めたりする親も多く、それに従うと安心感と親との距離が取れない感じとのトレードオフが生じます。
こういった中で、奥さんが心を病んでしまうケースもしばしばありますので気を付けてほしいところです。
逆に、30歳代に入って独身だったりすると、家を出るタイミングを逃してしまうが故、親との関係がかなりぎくしゃくすることも少なからずあるようです。
その時点で家を出ると言ってもなかなか受け入れられず、そもそも自分も鬱陶しいとはいえ楽なので離れられなくなってしまうことも多いのではないかと思います。
たいてい、「もったいない」という言葉で却下されることが多いと思われます。
小さな変化を起こしてみる
変化は変化を呼んでくる
こういった硬直化した状況があるとき、私たちは一気に状況を変化させたい思いに駆られがちです。その結果、親との強い衝突を起こしたわりには、得られる結果はたいしたものがなかった、なんて話も少なからずあります。というのは、こちらが強硬に出れば、相手も頑なになるからです。
ところで、木に釘を打ち付けたとき、打ち損なって曲がってしまい、抜かなければならないシーンを少し想像してみてください。
手元にくぎ抜きがないので、ペンチで引っ張ります。
いきなりグイっ!と引っ張って抜けるものではないので、釘の頭をペンチでつかみ、グイグイと左右に動かしたりしてみたり、釘でできた穴を広げようとするの絵はないでしょうか。
その釘の動きははじめは少ししか動かないのですが、だんだん大きく動いて、やがて抜けるくらいの緩さになってくる。
現実もそれに似ていて、今できる小さな変化を起こすと、次の変化を起こすゆとりができて、さらにその変化の揺れ幅を大きくしていくことというのは可能じゃないかと思うのです。
囲われた場所の外に起こす変化
たとえば、私のケースで言うと、朝と夜の通勤は親と一緒という事を抜けることは難しかったのです。
しかし、当時は親の生活に合わせているという状態だったのを、例えば起きる時間を少し早くしてみました。
あるいは、私より父である先代のほうがいつも忙しかったので、私はそれを待つのではなく、もうその時間を勉強の時間に当てることにしました。
いつもは暇なので、親である社長が帰る準備を始めるまで、ソリティアをしてボーっと時間を過ごしていたのですが、その時間を自由時間にしたのです。(こっそり)
おかげで勉強する習慣ができ、セミナーなどに出かける機会ができ、いろんな経営者との出会いが起こり、自分の意識改革が起こった、なんていう事が起こったりしました。
まさにはじめは、決められた範囲での時間の使い方をほんの少し変えた結果、最後にはそこそこ大きな変化につながったという例です。
今も意識しているのは小さな変化
こういった小さな、見えないぐらいの小さな変化というのは、もしかしたら「何の意味もないのでは?」と不安になるかもしれません。
しかし、小さな変化を小さな変化のまま置いておくと、残念ながら小さい変化で終わってしまいます。
そうではなく小さな変化を一つ一つ積み重ねていくと、その変化が変化を呼び、結果として大きな変化に至ることは思った以上によくあるようです。
未だにわたしはそんな小さな変化を意識しています。
なぜかというと、大きな変化をしようとしても結構大変だし、大変と思った瞬間、習慣になりにくくなります。
小さいから続けられるのです。
そんな事もあって、誰にも気づかれないレベルの変化を大事にしたいと思っています。