親の会社を継ぐ後継者から最もよく聞く悩みの一つが「自分に社長が務まるか」という不安です。
不安というのは、「出来るかどうかわからない状態」です。
逆にこの不安を払しょくするには、「出来るという確信」を持つことができればいいわけです。
単なる思い込みを、根拠のない自信と言います。そして、練習しつくすということで経験を重ねることで得る確信(自信)というのもあるでしょう。
後者は、実は「慣れる」ということになるのではないでしょうか。
Contents
根拠のない自信 最強説
思い込みには理由がある
自信があるとか、ないとか、という判断を下す背景にはきっと何かしらの理由があると思います。
たとえば、文章を書くのを褒められたことがあるから、一冊の本を書き上げる自信がある。
たとえば、いつも話が面白いと言われるから、人前でも話せる自信がある。
たとえば、肉じゃがは美味しいと褒められるから、煮物全般だいたい自信がある。
いろんなパターンはありますが、何かしらのきっかけがあったから自信がある、ということが多いと思います。
しかし、こういった自信はベースとなるエピソードが使えなくなるともろくも崩れ落ちがちです。
文章を書くのが上手くても、一冊の本を書くのとは違っていた。
普通に友人と話をするのと、人前で話をするのとは違っていた。
肉じゃがのコツと、他の煮物の作り方のコツは違っていた。
こんな風にリセットされやすいと考えられます。
根拠のない自信はどこから来るのか?
実は先ほどの「自信」という思い込みは、いくつかの特徴があります。
一つは、誰かとの対比で「自分なら誰かよりうまくできるだろう」という思いがベースにあるわけです。
もう一つは、自信を持っている行為に対して他者との比較でそこそこ上手にできたという結果を求めているということも言えると思います。
つまり、基準は他者にあります。
じゃあ、根拠のない自信というのはどこからやってくるのでしょうか。
私の観察によると、根拠のない自信を持っている方は、「うまくできた」という基準を必要以上にあげていないんじゃないかと思うのです。
傾向として、根拠のない自信を持てない人と、根拠のない自信を持っている人では、「成果」への評価の仕方が違うのではないかと思います。
根拠のない自信を持っている人は、そこそこできたら「うまくできた」と評価する。
だから「失敗」が少ない。
そして、次のチャレンジも軽い気持ちでできてしまう。
逆に、根拠のない自信を持てない人は、成果への期待値が高すぎて、ちょっとやそっとの出来では「やっぱり駄目だった」という評価になりがち。
結果として、次のチャレンジも、「また上手くいかなかったら嫌だな」ということで、チャレンジしづらくなってくるのではないでしょうか。
根拠のない自信 最強説
つまり、根拠のない自信というのは本当に根拠がないのではなく、自分をしっかり認めることができているということなのではないかと思います。
なにをやっても自分を評価できるから、多少の結果の出来不出来で心が折れたりすることが少ないのだと思います。
世でいうポジティブシンキングも、根拠のない自信を持てない人は、自分の成果を評価しない中でポジティブにムリヤリ思考を振ったところであまりいい効果がない。
むしろ、自己嫌悪に陥るだけなのかもしれません。
ポジティブシンキングとは、無理やり気持ちを上げることではなく、ちゃんと自分を受け入れる事なんじゃないかと思います。
それをやっているのが、根拠のない自信を持っている状態なのではないでしょうか。
「自信」と「慣れる」ということ
「出来る」という確信
根拠のない自信から少し話を外れ、もう少しミクロな話を考えてみます。
「自信」というのは、「出来る」という確信です。
「出来る」という確信を持つには、実際に「出来ることがわかる」という状態が大事です。
そのためには練習を積むのが一番だと思うのですが、体が覚えるくらいに練習をすると「出来るに違いない」と思い始めます。
こういった反復は、一つのことに対しての自信を持つという意味ではとても有効で現実的な方法かと思います。
ただちょっと気をつけたいのは、その自信は簡単に崩れることがあるということ。
事前のシミュレーションから外れたことが起ると、一気に自信を失うことがある、という心配もあります。
ところで、こういった流れから考えていったとき、すごくシンプルにとらえると、表面的な「自信」をもつ方法は「慣れる」ということになろうかと思います。
これが実は、メリットでもあり、デメリットでもある、ということになるのではないかと思います。
「自信」と「慣れ」のデメリット
慣れると自信を持てます。
しかし一方で、なれているところから違う行動を起こすには、またそこには自信を持てないゾーンが現れます。
そして人は、自信を持てるゾーンにいたいと考えがちです。
誰だって失敗するのは嫌だからです。
けど、その自信を持てないゾーンに踏み込むことこそが「成長」への第一歩ではないかと思うのです。
となると、私たちは「自信」を持てない場所にい続けたほうが、自己成長という意味ではよいような気がします。
ここが大事なところなんですが、後継者の多くは「不安」を嫌いますが、実はそれは正しい場所にいる証なのではないかと思うのです。
この時に発動できるといいな、とおもうのが、やっぱり「根拠のない自信」なのです。
そして前述の通り、根拠のない自信は、自分の行動結果の評価を甘くしてやることが大事です。
自己評価を甘くする、なんていうと自分を甘やかしているように聞こえますがそうではありません。
何をするにもどうせ結果は水ものです。
オリンピック選手は、自己ベストを出して、メダルを取れるように年単位で時間をかけて調整しますが、それがうまく行くとは限りません。
ビジネスパースンだって、思ったように行動計画を動かせたとしても、結果につながるとは限りません。
どんなに有能な経営者でも、感染症の世界的な万円を予測した人はほとんどいなかったでしょう。
努力が、結果に貢献できなくなることなんて日常茶飯事。
だから結果に対して執着しなくてもいい、と私は思っています。
それよりもむしろ、いろんなことにチャレンジできるマインドセットを持っていた方が人生楽しいんじゃないかと思います。
だから、「うまくできた」という基準を大幅に下げて、自分を認めてやってはいかがでしょうか。
未来の経営者足る後継者であるならばなおさらです。
誰も褒めてはくれませんから、せめて自分で自分を認めてあげてください。