事業承継で親の会社を継ぐ、という後継者・跡継ぎの方で、「何もかもうまく行ってます!」という人は少ないと思います。
まあ、事業承継を経験しようがしまいが、誰でも悩みの一つや二つはあるのでみんな同じということが言えるでしょう。
ただ、家業を持つ家庭に生まれた後継者は、その悩みから逃げにくいという環境があり、いろんなことを悶々と考えるケースが多いように思います。私はそのひとり。
そんな中で、ずっと自分に持っていた問いは、「自分の使命って何だろう?」ということ。
それは親の会社を継いで繁盛させることなのだろうか、と。
当初はそんなことも考えていましたが、なかなか熱中できない家業の仕事の中で、もっと違う使命を持つべきじゃないか?なんて悩んでいた時期もありました。
グルグル悩んで出した、現時点での結論についてお話ししたいと思います。
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Contents
やる気の起きない家業を真剣にやるために必要なもの……?
「やりたいこと」が見つからない
私が親の会社を継ごうと決めたきっかけは、「成り行き」でした。なんとなく親は会社を継いでほしいと思ってるようだし、別に他に強烈にやりたいこともなかった。人並みに就職活動もしましたが、それでもそんなに心動かされる企業もなかった。ならば、親が喜ぶ選択をしてもいいんじゃないか。そんな思いがきっかけでした。やる気満々という訳でもありませんが、まあ決めた以上は頑張って、そこそこトップに立ちたい、という思いもありましたから一生懸命でした。しかし、はじめの一年の段階で仕事でつまずいてからは目の前にはダメ出しされる連続。すべてが悪い方向へ行って、はじめの思いはどこへやら。営業なのにお客様と会うのが怖くなっている自分に、自己嫌悪の毎日です。
今の仕事は合わないかも、と思い始めるのに3年もかかりませんでした。しかしそうはいっても、他にやりたいことがあるわけでもなく、親の会社を辞めたいという勇気もなく、次第に何もやる気になることができませんでした。正しく言うと、やる気になるのですがいざ行動となると、嫌な思い出がよみがえり動き出せない状態がしばらく続きました。自分なりに考えたことは、「制止することが難しいような強い思いが必要」で、それを「使命」とういうのではないかと思い当たりました。たとえば、紛争地帯に命を懸けて踏み入るカメラマンやジャーナリストのようなモチベーションは、自分の使命を知ったからこそできることではないか?と思ったのです。
「使命」を知る方法はあるのか?
さて、この「使命」っていうのは何なんでしょうか。私の感覚としては、自分の心の奥深くにインプットされているもので、日頃はよくわからないけど何かの折にそれに触れた途端に、雷に打たれたようにその使命を果たそうと動き出す。そんなイメージを抱いていました。それを知るために、いろんなことをやってみました。ワークショップに参加したり、自分史を作ってみたり。過去の自分の関心ごとを書き出すとか、好きだったものや、キャラクターを書き出すとか。あとは、占いや、カウンセリング、霊能者まで、いろんなものを試してみました。しかし、残念ながら心の琴線に触れるものは見当たりません。
例えば旅をすることでそんなものと出会う人もいるようです。ママチャリで全国を旅する人や、ヒッチハイクで世界一周旅行をする人もいます。けど私はそこまでの根性はありません。ならば、それは「日頃の生活の中では起こりえないこと」を経験するからなのかもしれない、などと自分なりの仮説を考えて見ました。それでも、海外のヒッチハイクなら「逃げようのない予測不可能な事件」が次々おこると思いますが、日本で普通に生活する中で、そんな経験はできそうもありません。ここで思考は行き止まり。
結局本屋セミナーを漁って、いろんな考え方をインプットしてみますが、私のみに何も起こることはありませんでした。
「使命」って言語化できるものという都合の良いものだろうか?
ありがちな「使命」に自分を合わせてしまうリスク
もう長いこと、「自分の使命ってなんだろう?」と思ってきました。使命さえ明確になれば、力はみなぎり、迷いなく一直線に生きることができる。そのモチベーションさえモテれば、家業を継ごうが継ぐまいが、どうでもよくなるんじゃないか。そんな風に感じていました。ある意味、人生「使命」頼り。何年も自分の使命を知るべくいろいろ頑張ってみました。先にあげたようなワークもやってみたけどぴんと来ない。もう途方に暮れかけたのですが、ふとある思いが頭に浮かびました。
たとえば、「世界の環境問題を解決する」とか、「世の貧困をなくす」とか、そんな分かりやすい「使命」ばかりが使命なのだろうか?ということです。確かにそういうわかりやすい使命がいいと言えばいいし、わかりやすい。しかし実際のところは、たとえば、「自分と会った人が何かしらの人生に良い影響を受けるような刺激を与える」ということがその人の使命であることもあるわけです。そしてその人にとって、使命は大きなもの一つとは限らないということもあるでしょう。いろんな細かな使命をたくさん達成することが求められている人もいるかもしれません。なんにせよ、使命と言えば、「公共の幸福に直結しているそれなりに大きな命題」を持っているという思い込みは、ステレオタイプな思い込みでしかないのではないか、とふと思い始めました。
……となると、使命のために頑張るというか、行動の結果、使命を果たすとか果たさないという事が出てくるんじゃないかと思います。ある人にとっては、悪いことをして他人に悪い見本を見せるのが使命、なんて事さえもあるかもしれません。ここまで考えて、ちょっと暗礁に乗り上げてしまいました。こうなると、使命はモチベーションの源泉にはなりそうにないからです。そう、当初の私の目的は、使命が分かれば自分が活き活きと生きていけると思ったのですが、どうもそうでもないのかもしれない、と思い始めたのです。
一日一日を充実したものにする
将来に向かってやりたいこともわからない。しかも、今目の前のことをこなすということはとてもつらい。長いスパンで見たときに、自分の人生の目的が見えづらい。
そんな事を感じたとき、どうも振出しに戻る必要があるように思いました。
たとえば、小さな子供は将来の不安なんて考えず、毎日を精一杯生きて、精一杯楽しくする工夫をします。
しかし私たち大人は、将来のことを考えろと教育されて、現在は求められることをせよと言われて育ちました。
ここ、子ども返りしてもいいんじゃないかと思うのです。
今を精一杯生きる工夫をする。これが実は生きる中で一番大事なことで、その積み重ねが人生というものではないか、と思うのです。
だからやっていて面白くないことは、面白くなるように工夫する、あるいは面白いと感じるように仕向ける。まあどっちでもいいのですが、心の持ち方とふるまいをどう変えるかをコントロールすればいいのです。終局のところ、コントロール可能なのは自分だけですから、その自分をどう動かすか、というのが一番大事なことなのではないでしょうか。今までの自分はそのことを忘れて、社会に求められる姿に自分を合わせようとして辛くなってきていたように思います。
「使命」の全うに向かわなくてもいい
もし私たちの心の中にプログラムされた使命があるならば、きっと私たちはそれを全うするように無意識に動くのではないかと思います。だから、それを日頃のモチベーションに使うというのはちょっと違うのかもしれない、という風に最近思います。やる気の出ない仕事は、やる気を持てるように考え方を変えるか、いっそのこと思い切って楽しめるように変える。その軸を使命とかいうわからないものに求めるのではなく、ただ楽しめて、幸せであるという方向感を持つことができればそれでOKなんじゃないかと思います。
臨機応変に日々を楽しむ。しいて言えば、それが私たちの使命なのかもしれません。
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