後継者

問題はギフト

サーフィンをする人は、波を歓迎します。
そうでない人にとっては、あまり歓迎できるものでもないと思うのですが。

人生にも波があります。
多くの場合、そんな波は避けたいと思うものでしょう。
しかしあるいは、私たちもサーファーのように、「波に乗る楽しみ」を目的とした人生ならばあんが人生の波も楽しむことができるのかもしれません。

家業を事業承継で継ぐことになった後継者にとって、事業承継というのは問題の宝庫です。
私の場合、振り返ってみれば一番並みのない人生と思った選択が、割と大きな波に煽られる人生となりました。
その波に溺れそうになる中で悲壮感丸出しだったのですが、あるタイミングからソコソコそんなシチュエーションを楽しむことができるようになりました。
それは、波のない人生を求め続けることをやめ、波がある前提で未来を考え始めたからなのかもしれません。

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私が親の会社を継ごうと思った理由

PexelsによるPixabayからの画像

自分でもわからなかった選択理由

何度もお話ししている話ではありますが、実は私、親の会社を継ぐということに対して、特別な動機があったわけではありません。物心ついたころには、商売人の長男に生まれた以上親の会社を継ぐのが当然と思っていましたし、他の就職先の面接を受けてみましたが、どこにも特段感じるものもなかったので親の会社に入社することに決めました。当時、私は何も考えずそんな進路を取りましたが、あとから考えるとたぶん、親に認めてもらいたかったとか、親に喜んでもらいたかったとか、そんな思いが潜在的にあったのだと思います。

そういった思いがあるだけに、途中で「この仕事は自分に合わない」と思い始めたときの罪悪感というか、自分の至らなさに対する自分を責める意識はとても強かったのです。生きていることがツラいというか、自分の存在意義はないのかも、というくらい精神的に追い詰められた時期もありました。

今から考えるとわかるのですが、完全に他人本位の決定で、自分の意志を問うことなく「誰か(この場合は親)のご機嫌を取りたい」という理由で親の会社を継ぐと手を挙げたわけです。結果その考えではにっちもさっちもいかない状況に陥って、当時の自分の感情に気付いたわけですが、今、親との関係や、二代目という立場に苦しんでいる人は、まだそういった自分の心理背景が理解できずに、何が起こっているのかが見えない状態かもしれませんね。

事業承継のビフォー・アフター

すべての人に当てはまるかどうかはわかりませんが、私は事業承継の前と後でかなり大きく生き方が変わったように思います。先ほどの話の繰り返しになりますが、事業承継でいろんな悩みを抱える前、私は自分の決定よりもむしろ、親の意向を気にして生きてきました。当時はそのことにさえ気づかず、自分の意志で生きていたような気がしていたのです。しかし、自然と何かを決めるときに、「親はこんな風にするときっと反対するだろうとか、「こんなことをすれば親から批判される」とか、そんな思いが常に頭に浮かんでました。今から振り返れば自分の意志を抑え込んで親の意向ばかりを汲んでいたな、とわかるのですが、当時はまったくわからなかったのです。じゃあ、それがわかるようになった境目には何があったかというと、親の会社を継ぐ過程で起こった様々な問題でした。

具体的に「この問題のおかげで、こんな風に目が覚めた」と特定することはできません。ただ、あれこれ問題が山積する中で、今までのように解決策を講じても無理、となった時にふと思いついたのです。「ああ、自分が子どものころからずっと持っている思考パターンに問題があるのかもしれない」と。その思考パターンにメスを入れようと考え始めたきっかけが、「問題」だったわけです。おそらく当時、ツラい問題に追い込まれなければ、そんな考え方の転換なんて起こさなかったと思います。そういう意味では、問題というのは自分の変化を促す救世主だったと思うのです。

問題が解決しないのは同じ思考パターンが原因かも?

ElchinatorによるPixabayからの画像

同じOSでは同じ結果しか期待できない

よく言われることですが、人の行動パターンは、思考パターンに支配されています。人間の脳というのは割とズボラで、できる限り「考えずに済ませる」方向で、物事をパターン化して認識します。たとえば、食後にコーヒーが欲しくなるというのもパターン化された思考です。おいしいご飯を食べた後にはコーヒーを飲むという行動パターンを脳にプログラムしているので、ご飯を食べればコーヒーが欲しくなります。よく観察してみると、私たちの1日はほとんどがそういったパターン化、自動化された行動で出来上がっていることに気付きます。しっかりと立ち止まって考えることが果たしてどのくらいあるでしょうか。

たとえば、私はゲームの中で「ダンジョン」が超苦手です。方向音痴だからです。だから、感覚的に「ここを右」「ここを左」・・・という風にキャラクターを歩かせていると、何度も同じところをぐるぐる回ってしまいます。これがまさにパターン化で、きっと私はある景色を見ると右に曲がり、違う景色を見ると左に曲がり・・・という何かしらのパターンがあるのでしょう。普通にゲームをやってると延々と同じところを回り続け、ダンジョンから出ることができなくなるのです。単なる迷路の話だけでなく、リアルな環境の中で私たちは同じようなことを繰り返していることがけっこうあるんじゃないでしょうか。いつも私たちは誰かに叱られるときは「なんどいてもわからないのね!」なんて言って叱られたりします。人とのいざこざだってそうで、「また同じことをやってしまった」と頭を抱えることがあるんじゃないでしょうか。

このパターン化は、パターン化の中にどっぷりをはまっているときは気が付きにくいものです。気が付かないから修正できない。同じようなことで長い間頭を悩ませているとしたら、このパターン化の罠にはまっている可能性があります。では、そのパターンを抜け出すにはどうすればいいのでしょうか。ルパン三世はある映画で「気まぐれ」こそがそのパターンから抜け出す方法だと言っていましたが、私はその「気まぐれ」さえパターンの中でしかないと思っています。このパターンを変えるには、判断基準のもとになる思考を変える必要があるのではないかと思っています。

思考が行動を作る

良くも悪くも、何かの入力があれば、すかさず何かを出力する。そしてその出力には、一定のパターンがある。これは、人間の脳がもつ基本パターンなので、この流れを変えるのは難しいと思います。そこで変えられるとすれば、同じ入力があった時、違う出力をするというような変化を生み出せばいいわけです。あるボタンを押したときに出る効果を変えるというのは、機械で言えばプログラムの変更です。プログラムというのは人間の思考ですから、思考を変えればいいわけです。これはある程度意識的にできます。

もう少し具体的に言うと、何か自分の外で起こった刺激にたいしてどうとらえるかを変えるのです。たとえば、今までなら、自分が社内で「こういう取り組みを始めるぞ」といったとします。それとは違う号令を同じタイミングで親が社内でかけたとします。これまでなら「オヤジはなんで俺の邪魔ばっかりするんだ!?」と怒りに震えたかもしれません。その怒りから出てくる行動はたぶん、いつも一定のパターンなんだと思います。親を罵倒し、排除しようとするのか、親の行動にガッカリして落ち込んでしまうのかは人それぞれだと思います。しかし、その人のパターンをいつも繰り返している可能性は高い。だから繰り返し同じ問題が起き、同じ感情を発火させ、同じ結果しか得られないのです。

じゃあここで、かなり大胆に、「親が言うことをじゃあやってみたらええやん。けどうまくいかなかったら俺の方法試してみようよ」という提案をするもよし、「チームを二つに分けてそれぞれで競ってみよう」という提案をするもよし。あるいは「親のいうことに反しない範囲で自分の工夫を入れてみるというのはどうだろう」と考えるのもアリかもしれません。大事なのは、今までならカッとして親と自分がどっちが正しい!?的な二元論に陥っていたものを、もっと考え方にグラデーションをつけるようなことを考えてみるという感じですね。もちろん、これが全てではなく一例です。大事なのは今まではパターン化されていた行動を、あえて熟考して違うアイデアを出す、ということですからご自分で考えてみてください。

そうやっていつものパターンと違う行動がとれたら、明確に「いつもと違う結果」を手にすることができます。それが成功かそうでないかはわかりませんが、少なくともいつものパターンからは抜けた結果が目の前に現れます。あとはそれをもとに軌道修正していけばいいのですから、一歩前進です。

問題が解決しないときは変化のキッカケ

Wee Siang TohによるPixabayからの画像

夜も眠れない問題が目の前に現れた時

後継者・跡継ぎに限った話ではないとは思いますが、夜も眠れないような問題が現われたとき、私たちは「変化」を求められています。今までの方法論では限界だ、というシグナルが発せられているのです。その時に、今までと同じレイヤーで解決しようとすると、たいてい、同じ結果しか出てこないんじゃないかと思います。またこういう時に私たちは、「行動を変えてみよう」と思いがちなんですが、前述の通り行動を変えるだけでは、パターン化からはなかなか逃れられない。行動の背景にある思考、つまりプログラムを変えていく必要があるわけです。

それはけっこう大変なことなので、人はなかなか着手しようとしません。けど、その大変なことへの着手を後押しするのが「問題」です。とくに、夜も眠れない問題が自分に降りかかった時、人は行動パターンを変えますし、その変化は思考の変化から起こります。

少し極端なたとえ話をしてみましょう。借金取りに追われる人がいたとします。この人が、お金を返さなければ、と思うけどお金がない、という今の思考パターンを超えられなければその問題は解決することはありません。しかし、その人が例えば、「借金はもう返さない」と決めてしまえば例えば、自己破産などといった方法でいち早く再起する方法をとることができるかもしれません。さらに言えば、人に頼るという普通なら恥ずかしくてとてもできない事でも今の状況を打開するためなら、と前に進み始めるかもしれません。どんな方法でも、相応の葛藤を抱えざるを得ません。逆に言えば、葛藤があるからそこへ進むのを躊躇していたはずです。そこを乗り越えるかどうかで、人としての変化ができるかどうかの瀬戸際と言えるのかもしれません。

人の成長と波乗り

私が20歳代のころ、親の会社に入って、家業の仕事を学び始めて、いきなりつまづいたわけです。それから30年間唯一あきらめなかったことがあるとしたら、自身の成長です。たとえ歩みは遅くとも、より自分らしく生きられるような成長を常に意識してきました。そんな視点で振り返ってみたとき、当時呪った家業を持つ親元に生まれたこと、親の事業が自分にとって合わない仕事だと感じたこと、それらのことが簡単に解決しなかったことは、むしろ自分の成長にはとても役に立っているような気がします。

ところで冒頭で、波乗りになぞらえたお話をしました。
波なんてそんなに歓迎する人は多くないのですが、波乗りをする人にとってはとても大事なものなわけです。それは「波を楽しむ」というOSを持っているからじゃないかと思うのです。私たちもまた、自分の人生における並みを楽しむ、という心構えで臨めばあんがい問題の一つ一つも楽しむことができるかもしれません。いえ、楽しいというところまではいかなくとも、ジェットコースターに期待するようなスリルにワクワクすることはできるのではないかと思うのです。そうすれば、目の前の問題に対する解釈が大きく変わるのではないかと思うのです。

私に関して言えば、親との問題、二代目としての力のなさに悩んでいたころと現在、違うことは一つしかありません。今の波を楽しもうという心構えを持てるか持てないかだけです。

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