後継者

後継者は親の期待を裏切ることで自立していく

親の後を継ごうとした後継者の方に伺います。
あなたは、心の底から親の会社を継ぎたくて継いだのでしょうか?
ほかのどんな生き方よりも、親の会社を継ぐことが魅力的だと感じていたか、という質問です。

私の場合はそうではありませんでした。
親の仕事は誇らしくもありましたが、何がなんでもその仕事に次ぎたいというものではありませんでした。
今まで忘れていましたが、親の会社を継ぎたいと思うようになろうと、自分を説得していたように思います。

そうある“べき”という考えに、自分を合わせようと必死だったのです。

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親の会社を子が継ぐという当たり前

逆らおうという気さえ起らなかった自分

私が初めて、親の会社を継ぐ、と意識したのは中学生くらいのころだったように思います。
それぐらいの年になると、ぼんやりと夢物語的であっても、将来の夢みたいなものを友だちと語り合うこともあります。
実は私は、記憶をたどっていくと、小学校6年生のころには医者になりたいと思っていました。
夢中に読んでいた漫画、ブラック・ジャックの影響なので一過性のものだった気はしますが、その後漫画家もいいなとか、音楽家にもなってみたいとか、割といろんな夢を持っていました。

それが中学生になるころには、すっかりと落ち着いてしまって「親の保険の仕事を継ぐ」なんていうことを言い始めていました。
当時もいろいろやりたいことはあったのですが、あまり現実的でない、ということで自分で却下してました。
そこで、現実から考えたとき、ほかにやりたい職業も特にないので(いろいろやりたいことがあったにもかかわらずなぜかこういう認識でした)、とりあえず聞かれれば親の仕事を継ぐ、といっていたように思います。

ただ、自分の中にずいぶん葛藤があったのは事実で、聞かれれば親の会社を継ぐと答えるものの、自分の中に決め手がない状態でした。
誰にも言いませんでしたが、心の中では、あれもやってみたい、これもいいかも、なんていう風に揺らいでいました。
だから、決め手が欲しかったんです。
親の仕事を継ぐ決定的な理由が。

逆に言うと気乗りしない自分がいて、それよりももっとやりたい、一生懸命になれそうな仕事ってないだろうか?なんて常に頭の片隅に持っていたように思います。
無意識の自分は違う仕事を探したいと思うけど、意識している頭は「親の会社が自分の役目」と無意識の自分に言い聞かせているようでした。
表面的な反抗は起こさず、ただ運命に身をゆだねているふりをしながら、今振り返れば、心の中はずいぶんさまよっていたように思います。

親の期待にこたえたいと思い続けた40年

父は田舎の農家出身の人だったので、長男である私の誕生をずいぶん喜んでくれたようです。
農家にとっての長男は特別な存在ですから。(父は末っ子だったので農家を継ぐことなく大阪に出てきて丁稚奉公からのスタートでした)
私も2歳まではずいぶんと愛情を注いでもらっていたようです。ただ、その後、2年違いの弟が生まれるのと同時期に、父はそれまで勤めていた会社を辞めて起業します。
早朝から夜中の2時ごろまで働いたという話は何度も聞かされた記憶があります。
そんなことですから、父は家に帰るのは夜なかで、母は弟の世話と父の手伝いててんやわんや。
当然私はわがままも許されず、弟のミルクなどの世話を手伝っていた記憶があります。

4歳のころだったでしょうか。
父は仕事、母は買い物に出かけ、留守番だった私と弟だけが家にいるとき、2歳の弟が泣き止まず、涙がなくなってしまうのではないかとオロオロしたのを今でも思い出します。その時は、近所のおばさんを呼びに行って事なきを得ました。今から考えると、引っ込み思案だった自分がよくそんなことをできたものだと感心してしまいます。

この時にすでに私は、自分はおとなしく親の言いつけを守り、弟たちの世話をすることが自分の役割だと身をもって感じていたように思います。
そうしないと、親に見放されるかもしれない、と自分の脳にプログラムしたのかもしれません。
私は聞き分けのいい子であり、一日も早く大人になることを、両親から期待されているのだというプログラムが起動したのです。
逆に、そんな自分でなければ価値はない。
なぜかそう感じていた自分がいます。だから私は、強迫観念ともいえるほどに、何事もそつなくこなすように自分に課しました。

だから失敗するようなことはやらない(未経験のことはあまりやらない)ように自分を律し、好奇心を押さえて完ぺきにできる事しかやらないように自分を教育しました。
それが自分にとっての普通。
40歳あたりまで、私はそんな風に思っていたように思います。

親の期待に沿える進路を目指す

大学受験は、法学部と経済学部。
本当は、心理学を学びたかったのですが、それを親に言いだすことはできませんでした。反対されるか、がっかりされるかのどちらかは明らかだったからです。「どうせ受験するなら、法学部か経済学部。それも最低でも関関同立クラス」なんて言っていた父の言葉を思い出し、それがあたかも自分の思いであるかのように口にするようになりました。

大学に入るまでは、飛び込み営業のフルコミッションのアルバイトをしました。
セールスを重視する仕事をしている父に評価してもらえると思ったからなんですが、逆に叱られました。
そんな怪しげなアルバイトをするなんて、世間知らずにもほどがある、的なことを言われた気がします。
まあ確かに、後から考えると、ちょっと怪しい会社だったかもしれませんが…

これらの私の行動の傾向を振り返ってわかることがあります。
それは、私が常に父をはじめとする他人に認められたいと思い、それが行動のベースにあったということ。
そして残念ながら、その思いはどこまで行っても満足することはない、ということも悟りました。
先に結論を言うと、他人に認められたいと感じる気持ちは、自分で自分のことを認めていないから出てくる思いです。
どれだけ人に認められたところで、一時的には気持ちよくなるかもしれませんが、永遠には続きません。
つねに、自分で自分を受け入れてない乾きが心の奥底にあるからです。

そして、認められたい最も身近な対象が親。
特に親の会社を継ごうとする後継者は、先代と後継者という関係もあり、その「認められたい感情」から抜け出すことは難しくなります。

後継者の辛さの元凶

後継者が「自信がない」

親の会社を継ぐ後継者が口にする言葉で最もよく聞く言葉が「自信がない」というものです。
この「自信がない」というのは言葉の通り、自分を信じることができないということです。
自分を信じることができないから、誰かが自分を信じさせてくれることを期待しています。
つまり、他人が自分を評価してくれたら、自分でも自分のことを信じられるかもしれない、という回路で動いている可能性が高いと思います。
しかし厄介なことに、こういった人は、「君ならできる」といわれても、それを受取ろうとしません。
なぜかというと、自信がないほうが都合がいいからです。

なぜ自信がないことが都合がいいかというと、何か問題が起こった時にこういえるからです。
「ほら、自信がないって言ったじゃないか。なのに、俺にこんな大役をやらせるから…」という逃げ道を無意識に作っているからです。
こんな逃げ道があったところで、大失敗して経済的な損失を垂れ流してしまえば、何の現実世界での助けにもならないのですが、自分で納得しているからそれでいいのでしょう。
とにかく何かがあっても、自分のせいじゃない、という責任回避がしたい現れです。

また別のパターンでは、親や社員が、自分の意志通りに動かない、というのもよく聞く話です。
確かに私も一時期そんな思いにさいなまれたことがあるのでわかるのですが、これも自分の責任回避なんです。
自分ができなかったんじゃなくて、親や社員がうまく動かないからうまくいかないんだ、という言い訳づくりなんです。

ほかにもいろいろありますが、これらは意図してやってるわけではないのです。
自分の無意識が、自分を守るためにそういう感情を湧き上がらせて私たちを操っているのです。
何のためかというと、自分の心が傷つかないためです。

自分が傷つかない安全地帯にいながら、外側だけを変えようとしていると、全くうまくいきません。
世の中というのは、傷つく覚悟をもって前進したほうが、現実は改善するようにできているようなのです。

親の期待を裏切るという行為

先述したとおり、私は親の期待を背負っているような錯覚を持っていました。私の多くの行動の背景にあるのは、親の期待に添いたい、というものでした。
これを改めて考えてみると、こういうことだとわかりました。
結局私は、親との関係の中で、自分が傷つきたくないだけなんだ、と。

自分が傷つきたくないから親の期待に応えようと頑張るし、
自分が傷つきたくないからいやになっても親の会社を辞められないし、
自分が傷つきたくないから親と違う方向へ走り出せない。
自分の中にはきっと何か別の動機が潜んでいるだろうに、そこに蓋をして親の期待に沿うことを重視して自分の動機を見ないようにしてきたのです。
医者とか、漫画家とか、心理学の勉強とか、やりたい気持ちが育たないうちにその芽を摘み取り、親の会社を継ぐことに対してフォーカスしました。
けど、人間は他人の承認では絶対に満足できないようにできているようです。
それではなかなか思い通りの人生を過ごすことができないのです。

後継者の悩みの相談を受けていると、やはり「親の会社を辞めたい」という人はたくさんいます。
たぶん、第三者が見るとバッサリとこういうはずです。
「じゃあ、やめればいいのに」
けど本人や、同じ境遇にいる人たちの中ではその痛みがわかるから、「そう単純じゃないよね」という話になってしまいます。
ところがなぜやめられないかを深く考えてみると、結局、自分が傷つきたくない、という一語に集約できるんじゃないかと思います。

だからといって、親の会社を即辞めてくださいというわけではないんです。
後継者という立場だからできることがたくさんあるのも事実です。
ただ、小さなことからでいいので、親の期待を裏切ることをやってみてもいいのではないでしょうか。
その時に、一抹の不安や、罪悪感は当然出てくると思います。
しかし一方で、なんだかびっくりするようなすっきり感を感じることをお約束します。
そのすっきり感というのは、親に反抗したことそのものではなく、自分が傷つくかもしれない恐れに打ち勝って自分の心に正直にあれたというすっきり感。
私は親離れ、子離れ、というのはこういうことから始まるのではないか、と思うのです。

親の価値判断から自分の価値判断へ

かつて、いろんな仕事に関心を持ち始めては、「いやいや、自分は親の会社を継ぐんだから」と自分を律していたというお話をしました。
これは何ともスムーズに行われていて、そんな事を考えていたなんて言うことを、あとから意識しなければ思い出せないくらい普通に脳のプログラムは動いていたように思います。
もし現在、精神的にしんどいな、と思っているとしたら、あなたの頭の中ではかつての私と似たようなプログラムが動いているのかもしれません。
それは頭の中にある、親の人格プログラムです。
親が持っているであろう価値基準をもとに、親がするであろう価値判断を自分の脳というOSで演算している状態です。
それは、親に認められるために搭載したアプリです。

このアプリをアンインストールするには、まずはその存在を知らなければなりません。
これをメタ認知といいます。
自分が今どんな風に物事を判断しているかを、少し離れた視点でとらえる必要があります。
そのうえで、意識してこのアプリを削除する。
そうすることで、徐々に自分の価値判断を取り戻すことが可能になってきます。
しかしすぐには慣れないかもしれません。
なにしろ、生まれて2~3歳のころから何十年もこのアプリを搭載した状態で生きてきたので、自分の価値観を取り戻すのは少し時間がかかるかもしれません。
それでも気長に、自分を取り戻していくことで、いろんなことが楽になってくると思います。

親を超えるという言葉の本当の意味

仕事で超えるという誤解

私達は多くの場合、親の会社を継ぐ以上は仕事で親を超えるべきと教えられます。
誰が教えるわけでもないのかもしれませんが、なんとなくそういう気になります。
そうしないと、認めてもらえないからです。

おっと、ここでも出てきましたね。
「認めてもらう」という言葉が。

この言葉、深く考えて行くと結局、私達をジャッジする人がどこかにいるわけです。
それは、私達の外側にあるようです。
親に認められるとか、社会に認められるとか、同業他社や、ビジネスパートナーや、社員やあれこれ・・・と。
つまり自分以外の誰かに認められるために、私達は親の会社を継ぎ、そこで自分の能力を試されます。
これ、自分の意志とは言えないですよね。
他人の期待(・・・というか、他人の多くはわたしたちに期待してるわけではないと思うのですが)にこたえようとしているわけです。
なんとけなげなことでしょう。

自分以外の他人は、自分を評価できるほどに偉い人たちばかりで、肝心の自分は彼らより低い位置にいる。
なぜなら、評価というのは目上の人が、目下の人に対して下すものだからです。

だから、親の歩んだ道で、親のスキルをコピーして、親の代わりとして評価されたいならそれは自由ですが、そうしているうちはたぶん永遠にモヤモヤすると思います。
なぜなら、自分自身をないがしろにしているからです。

親を超えることの本当の意味

親の言うなりになって、親の期待に沿おうとする行為は、自分が傷つきたくないからだ、と言いました。
最近私が思うのは、親の期待に沿うことができずとも、自分が本当に欲する思いをこの世に実現することじゃないかと思うのです。
親の期待に沿おうとするのは、最悪親がこういったから、という責任転嫁でもあります。
そういった責任転嫁を行うことなく、自らが傷ついてでも進みたいと思う道、これを見つけすすむことこそが「親を超える」ということの本当の意味だと思っています。

だから、会社としては、結果として親と同じように会社を続けるかもしれないし、
とんでもない方向転換を行うかもしれない。
あるいは、まったく別の起業を果たすこともあるかもしれなければ、
会社を去って別の人のところで働くこともあるかもしれません。

結論としての行き先は無数ではあるのですが、その判断の前提に「親の期待に沿いたい」という思いを捨て去った状態であることが重要だと思います。
これこそが本当の親離れであり、親はそのような子の成長により、子離れの必要性を自覚するようになります。

きっと、こういったメンタリティを手にすることができれば、後継者の悩みのほとんどは霧のように消え去っていくはずです。
私達が目指すのは、親子の経営継承という一つのきっかけを利用し、人としての成長を果たすことだと思っています。
会社を存続させるとか、より良い会社にするのはあくまで手段。
そう考えると、会社を継ぐことなんて小さな小さな出来事の一つなのかもしれません。

PexelsによるPixabayからの画像

 

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