トヨタの終身雇用限界発言と後継者の職業選択

昨日、トヨタの社長がこんな発言をしたことがメディアに取り上げられました。
トヨタ社長が「限界発言」終身雇用の継続は難しいとの認識

という記事の中での

「雇用を続けている企業にインセンティブがあまりない」

というコメント。

今までなら、当たり前のように、長く務めた社員は優遇されました。
いったい何が変わったというのでしょう?


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仕事をしない?できない?管理職

社員の仕事の成長を考えてみる

まず企業に新入社員が入社すると、基本的なビジネスマナーから教育が始まります。
その業界の用語や、考え方、歴史や基本となる知識をおぼえます。
さらにはスキルを習得していくフェーズもあるでしょう。
事務員なら効率的に事務をこなすスキル、営業なら営業スキル、開発関係なら企画やプロジェクトの進め方など。
それがそこそこ最低ラインをクリアするのに半年くらい。
そこそこ使えるようになるのに、1年~3年くらいというのが一つのサイクルじゃないかと思います。

で、現場の仕事をそこそここなせるようになると、だいたい10年くらい経験が蓄積されるとある能力が備わるようになります。
基本パターンから外れたイレギュラーな処理をうまくやる知識や技術です。
恐らく、一部の職人仕事を除けば、経験値が仕事に与える大きな要素がこの「イレギュラーな処理への対処」ではないかと思います。
マニュアルに載っていないようなことで困り果てた新人社員を先輩がフォローできるとすれば、こういった部分が中心でしょう。

その先にあるものは・・・?

ここまではあくまで、個人技量や知識の問題です。
本来、管理職にどんな仕事が求められているかというと、部下を成長させることです。
つまり、自分と同等以上の仕事ができる人間を多数輩出せよ、というのが会社が管理職の人間にもっている期待です。
これが可能になると、会社としての”インセンティブ”はあるわけです。

たとえば、トッププレイヤーとして君臨したAさんがいたとしましょう。
このAさんが自分で頑張ってできる仕事量が100だったとします。
若いうちは、100を110とか120に伸ばすことが期待されていました。
しかし、部下を持つようになってからは、会社が期待するのは「80しか仕事ができない若手を100にせよ」ということです。
そして、100の能力を持った部下を多数輩出せよ、ということだと思います。
部下一人当たり「20」伸ばすとすれば、10名の部下を担当すれば200の伸びしろです。
Aさん一人の実力の限界値が100だとすると、部下を10名成長させることで、Aさん二人分のポテンシャルを会社に提供できるようになります。
だから、管理職によりたくさん給与を払っても会社としては、つじつまが合ったわけです。

談合的業界が終身雇用を守った?

価格における弾力性

もうひとつ、日本の経済市場の中では、そこそこありがたい関係性がありました。
なあなあの価格維持システムとでも言いましょうか。
いってみれば、業界内の談合みたいなものがあったわけです。
私の良く知る保険業界とか、あと最近やり玉にあげられる通信業界、その他多くの業界で、
「頑張ればもっと安くできるけど安くしない」とか、
「頑張ればもっといいサービスができるけどしない」とか
そういう風土がありました。

まあどの業界も、業界縛りの中で「まぁまぁ」という価格設定やサービスの制限を作っていたわけです。
そうやって、雇用を守っていたし、会社の利益を守っていた。
そんな「まあまあ、という談合文化」で余力を持って運営していたのが多くの大企業です。

だけど、そうもいかなくなってきたのがこの数年の流れ。
何しろ自動車産業にIT産業がプレッシャーをかける時代です。
業界内で談合的なことをやっていても、
業界で官庁を巻き込んでムラを作っていても、
よそ者がすんごい勢いでやってくるわけですから、さすがの大企業も危機感があります。

「ゴルフ接待」の生産性

ある金融機関の支店長の日々の仕事のうち最も重要なことがゴルフ接待でした。
まあさすがにこの10年はそういう雰囲気ではなかったと思いますが、バブル以前は普通だったと思います。
基本、定時退社の「えらい人」は、夜残るとすれば接待のお酒か、平日に行くゴルフか。
この世の春を謳歌していた人たちがけっこういたわけです。
その生産性は、良くない意味で計り知れない(笑)

社員も「いつかは俺もあの立場に・・・」なんて思えると、ちょっぴり歪んでいるとはいえ夢はもてた。
今はその夢さえ持てないから、大企業に勤めている人のモチベーションは、どこに置くべきかわからなくなってきてるんじゃないでしょうか。
だから、冒頭の終身雇用がなくなる!的ニュースも、案外、「まあそうだろうね」という受け止め方をされてる方も多いような気がします。
経団連のメンバーが60歳代ばかりということを見た人は、
「アイツら、自分達だけ甘い汁を吸って、逃げ切るのかよ」
という反発心は強く持つわけなんですが・・・。

彼ら世代が40歳後半以降は、生産性のない仕事ををしてきた世代なんじゃないでしょうか。
それを社内から見ていると、やっぱりムカつくわけですね。
自分達は終身雇用の恩恵を受けてきた癖に、って。

管理職本来の仕事に戻ったら?

あいまいだった管理職の役割

「雇用を続けている企業にインセンティブがあまりない」という言葉、私なりに訳せば
「長く務めたからと言って高い給与を払う価値を感じられない」ということになるんじゃないかと思います。
これが、仕事の質が変われば話は別になるわけです。

普通に、新入社員の年収が250万円で、管理職で1000万円となったとして、たいてい生産性は4倍にはなりません。
チームを率いて、チームの業績ということを言うなら、そこにはチームメンバーのコストもかかっているので、管理職自身の生産性ってあいまいなんですよね。
さっきの例のように、実力80の社員を10人100に育てたら、って話もあるのですがこれは時間もかかるし、判定が難しい。
だからそのチェックをサボってきた結果、管理職の仕事ってなに?状態になり、部下を顎で使って自分の数字を満たす仕事こそが管理職の仕事みたいになっちゃいました。

ただ、ここの管理職の生産性があるていど明確に算出できるようになって、その業務にコミットできる管理職の人間が増えれば、終身雇用も悪くない、という流れはできそうです。
しかし実際は、終身雇用したい人と、そうでない人に企業側の考えはわかれます。
だから結局は、制度としての終身雇用は崩壊するわけですね・・・きっと。

社員を育てる仕組みが、実はない

企業において(特に大企業)、仕事の上の知識やスキルを育てる仕組みは沢山あると思います。
それはそれで大事なんですが、問題は、人が人として育つ仕組みがイマイチ確立されていないように思います。
だからうつ病が多いし、パワハラ、セクハラが起こるし、不祥事が起こる。
なんだか、「仕事だから」という言葉で人間性を別物に考えがちですが、人はそんなに合理的にはできていない。

好きな人から頼まれた仕事を優先したいし、好きな部下を昇進させたいし、好きなアイツを育てたい。
そういった好き嫌いは絶対に排除できないのは、数々の心理実験が証明しています。
だから、好き嫌いという前提で経営しなくてはなりません。
なぜならば、会社というのは人と人の集まりだからです。

そしてその人が成長すれば、会社は成長する(はず)です。
だから管理職は、ちゃんと管理職の仕事をし、人としての社員を育てる必要があります。
そして当然のことですが、管理職の人間は、彼ら以上に人として成長する必要があります。
しかし実際のところはどうでしょうか。
仕事に対する専門知識を学ぶというのは一生懸命なんですが、人としての幅を広げるような学びを果たしてどこまで積極的にやっているでしょうか。
いろんなセミナーや読書会に行きますが、若手サラリーマンや、中小企業経営者はよく見かけますが、大企業の管理職を見かける機会は少ない。
彼らは社内の学びですべてが完結するような思い込みがあるのかもしれません。

もし管理職の人が人としての成長に際してそれなりの前向き度を示していないとすれば、終身雇用が企業にとってのインセンティブは見当たらなくなります。
社内の「ヨーダ」的人物になれるかなれないか。
これ、結構大事だと思います。

普通の人の感覚としての終身雇用の終焉

使えるヤツ以外は使わない

ここまでは、どうすれば終身雇用がそれなりの価値を持つかを考えてみました。
しかし一方で、普通の感覚として、「終身雇用なんてもうないよね」というのが雇われる側にとってもあるんじゃないかと思います。
そもそも、会社が社員を守ってくれる。
それ幻想じゃないかと思うんです。
なぜかというと、会社と社員は「契約」の関係だからです。

労働者団体がそういう風にしちゃったんですね。
だから会社と社員は、対立する関係。
社員はいかに緩い条件で報酬を得られるか?がテーマだし、
会社側は、いかに安い給与で社員を働かせるか?がテーマ。

この背景には、「会社というのは多少無理を言ってもゆるぎない基盤がある」という前提があります。
ちょっとやそっと給料を上げても、会社の懐は痛まないんでしょ?
そういう考えをベースにしないと、労使の交渉なんてなかなかできるものではありません。

会社としては確かにかつてはゴルフ三昧の使えない管理職を雇う余裕がありました。
けど今はそれがなくなってきたから、会社の業績も上げずに給料増やせという労働者なんてウザイわけです。
そんなこと言うなら、もう制度から変えようや。
終身雇用なんてナシな。
で、出来るヤツだけは、いい給与払ってやるよ。
そうじゃない奴は、全員、やめてくれよな。
これ、企業側の本音じゃないかと思います。

お金も労働も、シビアにソロバンはじこうや、という話だと思います。
ちょうどそんなタイミングでこんなニュースも出てきました。

解雇規制の緩和を 関経連が提言

使えない奴は、解雇したいな・・・。
結局、当たり前の話ですが、終身雇用崩壊というのは、会社に必要ない人間を会社から去ってもらおうという話です。
それは別に好例だからというよりも、使えない社員なら年齢は問わないと思います。
そして給与体系だって、今まで家族手当なんてものがありましたけど、そういうのは「自分で考えてやってください」って話だと思います。
共働きありーの、副業ありーのの現代。
個人の生活を保障するのは、会社じゃなくて、自分でしょ?って話です。
自立してくださいというメッセージです。

労働者はいつまで「弱者」であり続けるのか?

こういった話が出ると、必ず出てくる話があります。
「弱者である労働者を守れ」という話です。
しかし、この話にはどうも違和感を感じるのです。
労働者はいつまで弱者を続けるの?
と思うのです。

たとえば、YouTuber。
稼いでるやつは、億円単位で稼いでるわけです。
彼らの多くは普通にサラリーマンだった人がけっこういるわけです。
彼らは弱者でしょうか?
まあYouTubeの運営から見れば弱者ですが、社会的な弱者ではないと思います。
ある友人は、編み物をやってる姿の動画を上げるだけで、フルタイムパートぐらいの収入は得てるとか。

YouTuberに限らず、普通の人から、一躍有名人になる人もいます。
その確率は、昭和時代よりは確実に上がっているでしょう。
だから企業=強者で、労働者=弱者とは言い切れないと思います。
会社で30万円のサラリーをもらっているけど、副業で月50万円稼いでる。
そんな人が、会社にクビを言い渡されて困るかというと、たぶん困らない。
会社が評価してくれなくとも、副業において少なくとも月50万円の評価を得ているのです。
彼はこれ幸いと、副業により精を出すかもしれないし、もっと条件のいい会社を探すかもしれない。
いずれにせよ、他に必要とされない人が弱者なのであって、労働者が弱者なのではない、ということ。

雇用の流動化は誰にとっても吉

ここまでの話は、なんとも冷たい話に感じられる人もいるかもしれません。
しかし私は雇用の流動化は、世の中にとっても、雇われる人にとっても「アリ」だと思っています。
とにもかくにも「転職」が当たり前な世の中になると、「天職」に巡り合う確率が高まるからです。
考えてみれば、20歳代なんて言う何の経験もない時代、自分のことを何一つわかってない時期に、生涯の仕事を決めるというのがおかしいのです。
だから、数年でもシビアな環境で仕事をしてみて、自分の才能に気付いたり、自分の適性に気づいたりすればいい。
そして今の場所に、上手くなじめなければ、場所を変えてみればいい。

「終身雇用」なんて言う言葉がこの世から忘れ去られることで、私たちは「自分の強みが活かせる場所」を探すことができるようになるわけです。
まあ私なんかは、親の家業がイヤでしょうがなかったので、まさに30年前にすでにそんな社会だったらいいよなぁと思います。
気軽に会社を変えられる時代が来れば、会社も来てほしい人に対する魅力を作ろうと意識するはずです。
採用活動はマーケティングと言われますが、まさにそんな雰囲気がますます強まるんじゃないかと思います。

そうやって生涯関わることができる仕事を見つけられれば、それはラッキーだと思うんですけどね。

後継者の職業選択の自由はどこに!?

中小企業が大企業のマネをする必要はない

さて、中小企業である家業を引き継いだ後継者について考えてみましょう。
世の中は終身雇用はやめざるを得ない、という風潮が漂い始めました。
けど、だからといって、それに従う必要はありません。
終身雇用でやれる、と思えば貫けばいいのです。
逆にそれを貫くための工夫を思いつくなら、その工夫を試してみればいいのです。

大企業のマネをする必要は一切ありません。
さらに、リクルーティングも大企業と同じ戦略とっても上手くいくはずがありません。
だから、大企業ではやってることを取り入れたって、大企業と同じ土俵で勝負するだけです。
IBMやAppleのパソコンを前に、同じ機能の無名のパソコンを同じ値段で売ることはできません。
無名のパソコンこそが、名もなき中小企業です。
しかし、この無名のパソコン、実は滅茶苦茶3D映像の作成に特化しているとか、マニアックな特徴もってたら売れます。
これと同じで、中小企業のリクルートも大企業と違う要素をアピールする必要が出てくると思います。

要は、好きなようにやりましょうよ、ということです。

会社だって小難しく考える必要がない

もし親から引き継いだ会社が、上場していない会社だとしたら。
おめでとう。
とりあえず、何でもアリじゃないでしょうか。
まあ、変な株主がいたら厄介ですけど、ある程度、話ができる範囲に株主がいるなら、
割とムチャしても大丈夫です。

売上だって、何で作ってもいいし、
社員の雇用契約をバシバシ変えてもいい(まあ不利益変更はそれなりの話し合いは必要ですが)。
経営者に許される数少ないものは、自由なんじゃないでしょうか。
で、その自由を確保するために何をすべきか?を考えていく必要があります。

実は後継者はいろんなリソースを持つことができるから、逆にいろんなリソースに縛られます。
しかしこれらのリソースから上手く手を離したり(やめるとか捨てるという意味ではない)、操ることで、やりたいことをやるためのガソリンにすることは可能かもしれません。
ある後継者は、家業で稼いだお金を、自分がやりたい事業につぎ込んでいます(笑)

後継者も「終身雇用」である必要はない

後継者という立場も、いろんな建ち方ができるような時代になってきたと思います。
家業を継いだ後継者だからと言って、終身雇用で頑張る必然性はないんです。
たとえば、早々にセミリタイアするもよし。
一旦その仕事は人に任せて、自分の起業をするもよし。
別にまじめに考えすぎる必要はないんだと思います。

終身雇用じゃないから、会社つぶしたって別にいいじゃん、っていう世界が訪れるかもしれませんし。
だからまあやり始めた以上は、それなりの区切りが見えるところまではやったほうがいいと思います。
しかし例えば、40歳までには退職しようとか、そういう考えをもつのもアリだと思うんですね。
(私は実はそんな風に考えていた時期がありました。準備が整わず、今もやってますけど・・・)

だからというわけではないですが、あんまりこだわりすぎなくてもいいんじゃないかな、と思っています。
逆に言うと、親がやってきた事業を手放しで回せるくらいのシンプル化をすることが、実はその事業を生き永らえさせることつなのかもしれません。

大企業のところでお話ししたとおり、日本の企業はだんだんと「ゆとり」がなくなってきました。
すべてが効率の世界に入ってきています。
そういったときに、ルーチン業務は徹底的に効率化が必要なんですが、一方で、「ゆとり」を渇望するシーンも出てくると思います。
ルーチンを効率化し、ゆとりをどう作るかが、たぶん中小企業の勝負どころ。
そしてゆとりに何をやるかが、後継者が行う必要のある方向付けじゃないかと思います。

そこに後継者の職業選択の自由がありそうな気がするんですけどね。

 

・・・ということで、取り立てた結論もないままうだうだ語ってしまいましたが、世の中の変化のシグナルはあちこちから出てきています。
それにどう反応していくか。
意識しておきたいなぁ、と思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

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