今の時代、ゼロイチ(0→1)ともいえる、起業がもてはやされています。
なにもないところから、新たな価値を生み出すというですね。
もし、親がこのゼロイチを手掛けたとして、その子供が会社を引き継ぐのであれば、後継者の役割はイチジュウ(1→10)です。
この時に使う能力は、同じものなのでしょうか?
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親子で経営に当たると、とかく子は親と比較されます。
親が手本で、子はそれを見習う。
親が正しくて、子はそれを学ぶ。
世の中での常識的な思い込みはそんなところにあると思います。
最近、起業をゼロイチと表現することをよく耳にします。
ゼロ、つまり何もない状態に、何かしら創り出すというところがこの言葉の由来なのでしょう。
親がゼロイチで、無から有を創り出したとしたら、さしずめ後継者は、出来たものを育てるのが役割なのでしょう。
とすると、親が経営者として取る立場と、後継者である子が経営者として取る立場、
同じである必然性はないし、むしろ同じでいることは危険とさえ感じてしまいます。
ネットでこんなようなことが書いてあるのを見つけました。
ゼロイチである創業者が意識するのは、自分と時代。
イチジュウである後継者が意識すべきなのは、人。
なるほど、と思うとともに、真理を突いているんじゃないかと感じました。
この考えが正しくとも、そうでなくとも、大事なのは持つ役割は違う、ということです。
となると、「親のようになれ」という言葉は、うのみにするのは危険な気もします。
逆に、違う能力が求められるのですから。
もちろん、親の本質的な考えを継承することは間違いではないのでしょう。
しかし、方法論というか、行動・アウトプットは同じはずがないのではないかと思います。
要は、やり方は同じである必要がない、ということです。
普通、ゼロイチで発揮した能力と、
イチジュウに必要な能力は、ぶつかることが多いと思います。
なぜなら、組織としての効率化は、一極集中的支配では実現しにくいからです。
「オレについてこい」的マネジメントを卒業しなくてはならないわけです。
そういったフェーズで求められるリーダー像は、必ずしも人の先に立って引っ張っていくことではありません。
さて、世の中においては、自分の思い込みを後継者に刷り込みたがる人はけっこう多いものです。
親のようになれとかいうのも、その一つじゃないかと思います。
そんな周囲のアドバイスは、排除せよとは言わないまでも、
取り入れるならば「本当なのか?」という精査はする習慣をつけたほうがいいと思います。
大事なのは、無条件に信じ込むのではなく、自分の頭で考えてみる習慣を持つことです。
私は、後継者の持つべき役割は、親とは違う。
従って、同じやり方をとるべきではないことのほうが多い、と感じています。
皆さんはいかがですか?
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