なぜこれだけ言ってもわからないのだろう。
例えば社員に対して。
例えば先代に対して。
自分の想いを伝えているのに誰一人としてそれを理解してくれる人はいない。
そこには果たしてどんなギャップが潜んでいるのでしょうか。
——————————————
後継者向けセミナー開催日程はこちら
小冊子無料ダウンロードはコチラ
Fecebookページに「いいね!」をお願いします。
後継者の社交場「後継者倶楽部」のご案内はこちら
Contents
本当に伝わっているか?
わかったようなわからないような話
時折いらっしゃるのが、話の長い人。
一つの事柄を説明するのに、20分、30分、1時間とかけてしまう。
会議などでも演説を打つ人はけっこういます。
創業社長の場合は、自分の演説に酔っていたり、後継者であれば誤解の内容くどくど話す。
聞いているその時は、聞き手はその話を理解している気になるかもしれません。
けっして、聞いていないわけではないのでしょう。
たぶん聞き手はこう思うのです。
「いろいろ話を聞かされたけど、で、どうしてほしいの?」と。
ようは、聞き手からすれば何をどうしてほしいかがわからないのです。
こういう話の仕方、説明が長くなる人、いろいろと言いたくてしようがない人は、これだけを注意刷ればいいのではないかと思います。
話の最後に、
「今から結論を言います。・・・少しの間・・・(誰)に、(何)を、(どのよう)に、(いつまでに)やってほしい」
この一行を加えてください。
これ以上は話さない。
ポイントは多くても三つまでに絞る。
そのことに注意したうえで、結論と、枝葉の話を区別するよう気を付けてください。
さらに、聞き手に配慮するなら、これを冒頭に行ったほうが親切だとは思います。
文頭はこう変えればOK
「結論から言います」
これで、あなたの話を聞いて、何を伝えたいのかが明確になります。
人は忘れる生き物である
人は話を聞いて、たった20分の間に42%のことを忘れているといいます。
1時間で56%のことを忘れ、1日たてば、67%が忘却の彼方。
このことを考えると、1時間の説明をしていれば、その間に半分以上が忘れ去られます。
つまり長々と話をしているあいだに、はじめのことはもはや覚えちゃいない。
人間とは、そういう生き物なのです。
だから短くシンプルに伝える。
このことがとても大事です。
そして、繰り返し繰り返し思い出さないと、長期記憶にはつながらない。
つまり、繰り返し伝えなければ、人には伝わらないし、人の行動を促すことなどできません。
Linkedinのジェフ・ウィナーさんはこんなことを言っているそうです。
「言い疲れた頃に、人は耳を傾け始める」
言いつかれるほど繰り返さなければいけないのです。
60分の話の内容を一瞬で思い出させる工夫
メタファー(隠喩)
私の経験を一つお話しさせていただきます。
ある依頼を受けて、60分ほどの講演をさせていただきました。
内容は多岐にわたるのですが、大まかなあらすじを一行で表すと、
「このままでは会社が危ない。だから、あたしい考え方で経営しよう」
というものです。
で、その新しい考え方を「ノアの箱舟」になぞらえて話をしました。
けっか、何が起こったか。
彼らとの会話の中で「あの、ノアの箱舟の話ですよ」なんていうとパッとその時のストーリーが思い出される。
こういった比喩・隠喩を話の中に織り交ぜることで、その話を思い出す手掛かりとなります。
「繰り返し話す」と先のセクションで言いましたが、60分の話を何度もするのは大変。
だから、「箱舟の話を思い出してよ」と一言でイメージできるのはかなり強い味方です。
高齢者の特質~先代とのかかわりにおいて
脳の機能を考えてみる
記憶というのは、脳の「海馬」というところが密接に絡んでいると言われています。
この海馬には、五感で感じる刺激が送り込まれ、そういった感覚で活性化されます。
しかし、年齢を経るにつれ、その五感のセンサーとなる耳、目等をはじめとした器官が弱くなり始めます。
また、新しい体験を通じた刺激が、海馬を活性させるという側面もありますが、年を追うごとに「初めての経験」というものは少なくなります。
そもそもそういった経験を遠ざける傾向があると言えるでしょう。
新たな経験を避け、新たな刺激が減少し、脳の機能が低下する。
つまり、脳内を支配するデータは新たなモノに更新されることが少なくなります。
結果として、古い、過去の記憶をもとに価値判断を行います。
そこで起こるのが、合理的な判断とは思えない頑固さが表面的になってくるのではないでしょうか。
経験の少ない後継者と経験に基づいた先代
比較して考えたとき、後継者は先代より、経験が少ない。
そうすると、経験から得た知識のみならず、新たな知識と想像力を駆使して物事を判断しようとします。
一方先代は、年齢とともに新たな知識ではなく過去の経験から判断する傾向が強まります。
これをかたくななまで貫こうとするのは、もしかしたらこういった記憶のメカニズムと関連があるのかもしれません。
で、何を言いたいかというと、先代というのは「そういうものだ」ということです。
もちろん、本人が変わろうという強い意志をもてば別ですが、たいていはそのようなケースは少ないと思います。
なぜなら、今までそこそこうまくいってきたからです。
またこれこそが自分である、という思い込みに完全にとらわれてしまっているということもあるでしょう。
先代を変えるのは不可能か?
じゃあ、その先代を変える事は可能なのでしょうか。
決してできないことではありません。
たとえば、こんな実験があります。
高齢者の方に、携帯電話の使い方を教えたとき、Aグループはただやり方を教えた。
Bグループは、「写真を送ったり、メールのやり取りで孫とつながれる」という前提で教えた。
Aグループは相変わらずやり方をおぼえられなかったのに対し、Bグループの成績は圧倒的に良かったそうです。
これでわかる通り、自分が変化することで求める素晴らしい未来があることを信じることさえできれば、高齢者でも新たな学びを得たり、変化をすることができます。
そういった状況をうまくアレンジできるかどうかが一つの肝になるでしょう。
残念なお知らせ
ストレス下では海馬は働きを弱める
じゃあ、メタファーを使って説明し、たびたびそのメタファーを思い起こさせる。
さあさあ、僕の言うとおり、私の言うとおりやってよ。
後継者が先代を動かそうとしたとします。
しかし、そういった強制は「ストレス」です。
特に長年経営者として最高決定権者として君臨してきた先代にとってこれは大いなるストレス。
一方、海馬はストレス下ではなりを潜めます。
つまり、あなたが繰り返し言えば言うほど、どうやら脳はシャットダウンしてしまうように思います。
少なくとも私の経験上、そう感じることがたびたびありました。
私の話を聞いているようには見えるし、わかったようにうなずく。
けど、身体は違う方向に動くのです。
一時期私はこれにずいぶん腹を立てたものですが、「そういうものなんだ」と理解してからはあまり気にしなくなりました。
丸含みで考えてみよう
アインシュタインは、問題は発生した次元では解決しない、的なことを言っていたように記憶しています。
今ではなるほどなぁ、と思います。
私が親子関係で最も苦しんでいた時、主権の取り合いで綱引きをしていたんですね。
自分の時代だから、自分にまかせよ。
自分に従え。
そんな風に考えてきたわけです。
征服しようとすれば相手は抵抗する。
そもそもこれまで書いてきたとおり、もはや抵抗の意志さえなくとも身体が抵抗するのが先代の年代かもしれません。
そのことに目くじら立てるからしんどいのであって、もうそれも丸抱えで会社のことを考えていこう。
ただたんにそんな風に視点を変えただけで、ちょっと後継者としての心が軽くなる思いはあるわけです。
実は自分の心の持ち方の問題だったのかも、と思うこともしばしば。
そこで気を付けなければならないのが「思い込み」です。
「今すぐ〇〇しなければ会社は傾いてしまう」
「今こういう手を打たなければ自分たちの将来はない」
「いち早く経営を掌握しなければ会社は崩壊してしまう」
そんな思いは、多くは起こらないし、避ける方法はいくらだってあるはずです。
「AでなければB」という単一の考え方は、ある意味危険でそこにとらわれるがゆえに、いろんなものを失ってしまうこともあるようです。
ここで少し客観的に見てみましょう。
「AでなければB、と思っている自分」を俯瞰してみてください。
少し、見方が変わるかもしれません。
そのために、今の自分の想いや考え、出来事を書き留める、というのは非常に有効です。
簡単な日記でも、ブログでもつけてみてください。
書いている過程で冷静になって、違う視点で自分を見ることができます。
変わるのは誰か
・伝え方を変える(シンプルに、メタファーの活用、繰り返す)
・捉え方を変える(高齢者の行動パターンを知り、自分の思考パターンを知る)
これをだれがやるかというと、後継者・・・ですね。
「なんで俺が合わせなきゃいけないんだよ!?」と思うかもしれません。
そこに我慢ができないなら、今すぐ会社を飛び出して、どこかに就職するなり起業するのがいいかもしれません。
それでもなお、会社を背負っていくとするならば、誰かが、何かが、変わらなければなりません。
それをするのは、後継者をおいてほかにはないのではないでしょうか?
——————————————
後継者向けセミナー開催日程はこちら
小冊子無料ダウンロードはコチラ
Fecebookページに「いいね!」をお願いします。
後継者の社交場「後継者倶楽部」のご案内はこちら