同じ思考をぐるぐる回ること、ありませんか?
たとえば、家業はもうやめたい。
けど辞めると家族に顔向けできなくなる。
けどもう我慢の限界。
だから辞めたい。
けど辞めると・・・
良くある話で、私自身、同じようなループにはまったことは、
一度や二度ではありません。
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私の著書です。
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どんな人も思考のループにはまってしまうことはよくあると思います。
このセミナーに行けば、何かが変わるかもしれない。
けど、受講料はけっこう高い。
これだけ払って何も得られなければがっかり。
しかも、会社の経費で出すには親である先代の承認が必要。
きっとあれこれ聞かれて、口出しされるのは嫌だなぁ。
だけど、今の状況を変えるには、絶対必要な知識。
よし、行ってみよう!
え、これって、地元であると思ったら東京!?
ちょっと遠いな。
しかも、宿泊しなきゃいけない。
後泊して2日間も会社をあけることになる。
やっぱり、ごちゃごちゃ言われるんだろうなぁ。
現場の仕事に戻ると、目の前に見えるのは殺伐とした職場。
ああ、やっぱりこのままじゃいけない。
あのセミナー、やっぱり行こうかな。
・・・延々とそんなことを繰り返し、挙句の果てにWEBサイトを見ると完売の文字。
ちょっと残念なような、ほっとしたような気持ちで現場に戻る。
はたから見ると「はっきりせえ!」と突っ込み入れたくなるんですが、
自分でも結構やってることってありませんか?
私はあります。
特に、冒頭にご紹介した、家業を辞めたいけどやめられないという話はかなり多いです。
この背景には何があるかというと、前に進む意志の力が不足しているという事です。
逆に言えば、嫌なことを遠ざけよう、遠ざけようとして、検討するけどどこに行っても嫌なことがあるから決められない。
「やりたい」がベースではなくて、「やりたくないこと」を遠ざけています。
私の経験上、やりたくないことをやらない方法を考えるのは悪いことではありません。
これはこれで、やりたくないことをやらずに済ませる解決方法を探っているからです。
しかし、やりたくないことをやらずに済ませる方法を考えるのではなく、
単にやりたくないことを避けようとすると、決められない無限ループにはまり込んでしまいます。
これを、嫌なことがどちらにもあるという事は置いておいて、どっちがより良い選択か?という視点で見ると「どっちでもいい」という場合が多い。
家業をどうしても継ぎたい!という思いもなければ、
別の事業なりサラリーマンとして頑張りたい!という思いも希薄という事。
早い話が、やりたいことがわからない状態、と言えるでしょう。
この状態はけっこう厄介です。
なにしろ、何がやりたいのかがわからない以上は、延々とやりたくないことを避け続けてしまう。
選択することも苦痛だから、最後の最後は時間切れになって、否応なく残り物選ぶしかなくなる。
たとえば、家業を継ぐか継がないかで言えば、年齢的に再就職が困難になり、家業を継ぐ羽目になる。
そして、延々と「家業なんて継ぎたくなかった」なんていう思いを持ち続けてしまうわけです。
こういうループにはまってしまうと、抜け出すには「エイヤ!」で決めてしまうしかない。
だってそうじゃないですか。
どっちに行っても嫌なことがあり、どっちに行っても特に望む状況じゃない。
もし二択なのだとすれば、最後はどちらかに決めなければならないわけです。
ここまで悩むことって、結局どちらを選んでも、いいこともあり、悪いこともある。
だとすれば、サイコロでも振って決めるしかない(笑)
少なくとも「自分で決めた」という過程を経たことは、時間切れで選択肢が消えるよりかは100倍マシだと思います。
ここで次に出てくるパターンは、二択ではなく三つ目の選択肢がないかを探し始めます。
そして、三つ目の選択肢は、すべてが快適に解決できる、目の覚めるようなものかもしれない、と期待します。
けど、これも私の経験上ですが、ほとんどの場合、そういった選択肢は出てこない(汗)
探してみるのはいいですが、見つかりそうになければほどほどでケリをつけたほうがよさそうです。
きっとここでも「いやなことをさける」病が出てるはずです。
もしとてつもなく素晴らしい三択目を見つける前に決めてしまうという失敗をやらかすリスク。
それこそが、想定する「いやなこと」です。
しかし、不思議なもので、三択目はたいてい二択のどちらかを選んだ後に見つかるものです。
だからあきらめて(?)さっさと決めてしまうことが大事なのだと思います。
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