親が事業を持っている家庭に生まれた子供は、かなり小さなころから家業を継ぐことを意識されてることが多いと思います。そんな後継者・跡継ぎにとって、けっこう複雑な心境があります。その家業を継ごうと親の会社に入社した際、親の会社があり、顧客があり、売り上げがあるから自分がある、ということが頭ではわかります。それでも、自分は家業を守るために犠牲となって頑張っているとか、親の希望をかなえてあげてるんだとか、自分だって感謝されるべきことをやっている、という風に感じている人も多いと思います。無意識に私たちは、感謝を相殺しようとしているように思うのです。しかしたぶん、感謝ってそういうものではないような気がするのです。
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私的には、感謝っていうのは一方通行なんだと思います。もちろん、感謝をすればそのエネルギーが相手に伝わり、相手も自分に対して感謝をしてくれるかもしれません。けどそれは、感謝のエネルギーを打ち返してるわけではなく、感謝によって相手の気持ちが変化し、相手の自発的な感謝の気持ちが発せられたのだと思うのです。
しかし私たちは、感謝を相殺しようとしがちです。親は自分を育て、会社を育て、今があるわけです。そこに対する感謝と、例えば会社においてしんどい思いをして頑張ってるとか、事業として傾きかけてる会社を継いであげたとか、そういう親に対しての自分の行動は全く別物ととらえるべきではないか、と私は考えています。自分を育て、会社を育て、今の自分の足場があることについて、私たちは最大限の感謝を親にすることが大事です。一方で、私たちは親に喜んでもらえるよう、期待に応えるよう行動しているわけですが、自分が親に感謝をしているからといって、親からも感謝をされるべきという期待は持つべきではないと思うのです。感謝はあくまでその人本人の自発的な感情。それを「もっと感謝してほしい」というのは少し変な話です。それって、口先だけのありがとうで終わってしまう可能性が高いわけで、それを見た私たちは結局はがっかりしてしまうのではないでしょうか。
だから、親が自分の期待に応えてくれないから、親への感謝を辞めてしまうというのはちょっと違うのかもしれません。繰り返しになりますが、感謝の気持ちは本人の自発的なものであり、一方通行なものなのです。だから相手がどう反応しようと、感謝すべきは感謝すべきで、相手からの見返りがない方感謝するのをやめるというのはちょっとおかしい話になってくるように思います。
とはいえ、自分だけ相手に感謝して、相手は自分に対して感謝がないというのがなんか不公平じゃないか、という思いが沸き上がってくるかもしれません。けどよく考えてみると、案外そうでもないんですね。
感謝できることがあるということは、そこに自分に対する何かしらの愛情なり、良い感情や行動が向けられているという前提があるんじゃないかと思うのです。それは、自分の住む世界が自分に優しい、ということの証ではないかと思うのです。親であれ、ほかのだれかであれ、感謝はすれどむかつく言動に接することは多々あります。そういう時に、むかつくから感謝をして損した、と感謝の念をゼロにしてしまうと世界のやさしさを受け取ることを拒否していることになるような気がするのです。だったらむしろ、感謝をすることで、世界が自分にとって優しいことを認めたうえで、むかつく言動には別回路で対処していくというほうが、良いように思います。結果としてそのほうが自分的にも得になると思います。
特に人を評する場合、好きなところと嫌いなところを相殺して嫌いな部分が上回ると、「この人嫌い」と判定しがちです。けどみようとしなくなった「好きなところ」は捨ててしまっていいのでしょうか。それが仮に、親子という決して逃れられることのできない県警にあった時、やっぱり感謝すべき部分と、不満な部分は別枠としてとらえたほうがかなり付き合いやすくなると思います。
多少の憎まれ口はいいとしても、それで感謝の気持ちを完全に捨て去るのではなく、感謝しつつ憎まれ口をたたくようにしてみてはいかがでしょうか。きっと、付き合い方が変わると思います。
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