後継者

ないものねだりから、あるものを活かすへ

親の会社に入社して間もないころ、私頭の中を占めていた思いは、自分の仕事をどう作るか?でした。
営業会社だったので、ほとんど個人技能の寄せ集めのようなものでしたから、仕事は自分で作る。顧客リストもなく、訪問先もない状態で「自分の仕事を作る」というのは今でも重要な原体験のような気がします。

で、何が言いたいかというと、どんなこともなんだかんだ言って、今の自分を作る伏線として機能しているんじゃないかと思います。
そんな私の心境を、ポエムチックに語ってみました・・・笑

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社会人としても後継者としても出遅れた私

David MarkによるPixabayからの画像

1年たっても実務を覚えられなかった環境

多くの後継者の方と違い、私はほかの仕事を経験することなく、大学卒業と同時に親の会社へ入りました。申し訳程度に、同業他社の大手で半年ほど研修生をさせてもらいましたが、経験のうちにも入らないレベルです。保険の代理店という、保険の営業会社なので保険を売るのが仕事。この仕事は、店舗にお客様が積極的に買いに来てくれる商品ではないので、どちらかというと押しかけ営業的な流れが一般的です。私もご多分に漏れず、たった一つの保険商品の勉強だけ受けさせられて、入社1週間後には町に営業に出ていました。

大学時代の友人がまだ入社式を迎える前の3月後半には営業現場に出ていた、といえば聞こえはいいのですが大した教育も受けず野に放たれた素人。訪問客のリストもなく、知識も経験もなく、具体的な指導もないまま我流で次々と見知らぬお宅や企業を訪問する日々です。そんな状況が1か月も続くと、さすがに焦り始めます。毎日、朝から晩までだいたい200件のお宅のインターフォンを押しました。そこで在宅されているケースが、2割くらい。そのうち話ができるのがだいたい1~2人。この確率はほかの商品の飛び込み営業のバイトから考えても、格段に低かったように思います。保険屋さんって嫌われてるんだなぁ、と感じたのはずいぶん後になってからですが、その洗礼を受けていたわけです。

一応の商品の勉強はしたのですが、実際にその手続きはどうするのかとか、途中で解約したらどうするのかとかは、商品の案内書類にはほとんど書いていません。こういったことはお客様とのやり取りの中で学び、解決していくことが多いのですが、そもそもお客様との対話が持てない。となると、1か月たっても、3か月たっても、私はたった一種類の商品の販売実務さえまともにできない状態だったわけです。私は、大学卒業後1か月で、自分を社会の落ちこぼれだ、と感じるようになり始めました。

生産性0(ゼロ)の自分を責める日々

例えば私が、ただのサラリーマンとしてたまたま入社した営業会社で仕事が会わないと感じたら、どうするかと考えてみます。きっと、給料がもらえるところまではぎりぎりそこに居座るかもしれないです。成果が出ようが出まいが、会社の求めることをそれなりに一生懸命やってるのだから、給料はもらえて当たり前、と考えたかもしれません。しかし、私は会社の次代を担う後継者です。だから、自分の生産性が限りなく0に近いことがあまりにつらいし、恥ずかしいし、悔しかったのを覚えています。当時は独身でしたから、収入の多寡は別にどうでもよかったんです。しかしそんなことより、これから先、生産性がゼロの自分がどうやって会社を継ぐことができるのか?と不安と絶望しかありませんでした。

自分にあわない仕事が親の会社の仕事だったら、なかなかに悲惨です。当時の私は常に転職という文字が頭の中にちらついてましたし、あるいは明日朝目が覚めたら、全く違う世界に自分がいた、みたいなファンタジーな展開を待ち望んでいたようにも思います。そして、自分が生きていることの意味ってなんだろう、なんていうこともよく考えるようになりました。

自分の仕事は自分で作るという感覚

Florian PircherによるPixabayからの画像

結局稼げばいい!?

こういった悲劇の主人公になっていた私がその時に気づいたことがあります。それは「自分の仕事は自分で作るべし」という考えです。たとえば、大企業のサラリーマンなら、手取り足取り研修を受けて、決まった部署の決まった仕事があるからそのマニュアルに従って、先輩からのOJTをうけて仕事を覚えることが多いと思います。これは、すでにある仕事を、今までは違う人がやっていたところを自分が代わりにやる感覚ではないかと思います。まさに、ビジネスという仕組みの中に組み込まれた仕事を引き受けているのだと思います。しかし、私のような零細企業の中に新人として放り込まれると、マニュアルもなければ丁寧な説明も、やり方の解説もない。それを、私はどちらかといえば「損をしている」と考えがちでした。しかし、今から考えると、それはある感性を磨くのにとても役立っていたように思います。

行先のない営業マンが一番つらいことは、なんだと思いますか?一つは、思い通りに売り上げを作れないこと、そしてそのことで責められたり、自己嫌悪に陥ることだと思います。しかしそれと同じくらいつらいのは「やることがない」ということではないでしょうか。一昔前には、辞めさせたい社員から仕事を奪うことで、会社に来づらくさせて自ら辞めるように仕向けるといったいじめのような人事があったとかなかったとか。人にとってはそれくらい、やることがないことはつらいことなのです。

私は入社1年目でこの感覚に陥りました。朝出社したら、すでに決められた自分の仕事があって、その仕事をとりあえずかたずければ会社に貢献できた気になれるという状態にどれほどあこがれたことか。だからふつう、人は時間の空白を埋めるために、あまり意味のない仕事を作り出します。営業社員だって、さほど意味のない顧客訪問を行ったりすることがほとんどで、就業時間の3割以上をそんな時間つぶし(時間つぶしだけど本人は仕事をしてるつもりになれること)に費やしているのではないでしょうか。

私が一サラリーマンなら、そんな時間つぶしを考えるかもしれませんが、いずれ自分が社長となる以上はそれが生産性を産まないものであれば、会社の将来は真っ暗です。だから、何かしらの仕事を作り出さなければいけないし、その仕事は儲けにつながらなければなりません。それは結構難しいことでもあるのですが、今から考えるとこの感覚を持てたのは、自分にとってのとても大きな収穫だったと思います。なぜなら、「今までやってきたことと違うことを考えだす」習慣がついたからです。単に過去のやり方をトレースするのではなく、新しい方法や、新しい方針を生み出すことが必要、という感覚が染みついているのはこういった苦しい時代があったからこそ、と今なら思うのです。

それは逃げではないのか?

自分ではそう考えたとしても、すぐにうまくいくとは限りません。こんな葛藤も出てくるからです。自分ができないことを避ける単なる逃げ口上ではないのか、と。確かにそれはあるかもしれません。できないことを避けて、別のことで代替する。あるいは、先代と比べられないように、先代と違うことを始める。私のみならず、多くの後継者が考えることではないかと思います。親である先代にしてみると、きっとまさにこの「逃げ」を後継者の中に見るから、「そんなやり方はダメだ」というダメ出しを出すこともあるのでしょう。後継者はまたもやここで疲弊する(苦笑)

私の場合はどうだったかというと、実は意外と反対らしき反対はなかったような気はしますが、私が忖度していたように思います。何かしらお金をつかわざるを得ないプロジェクトであると、自分は生産性が低いのにこんなこと会社に経費を出させることはちょっとためらってしまう。業界では意味不明なことにお金を使おうとするから、「ここの後継者って道楽息子だよねー」なんて言われていたかもしれません。そんな自分を包囲する色んな目や意見から逃げたくなるわけですが、そんな時に自分が悪いんじゃない、というスケープゴートを探します。その格好の対象が親だったりすることはけっこうあるかもしれません。

私の弱弱しい経験はともかくとして、親との確執の問題を抱える多くの後継者の方は、何か自分の弱い部分を親のせいにすることで自分を守っていることはないでしょうか。そこに気づくか気づかないかで、これからの人生の質が決まっていく、といったらびっくりされるでしょうか?

ないものをねだらずあるものを活かす

今わたしは、50歳を過ぎたところです。22歳で親の会社に入り、親は未だ現役で会社にいます。実に30年にわたって親という見本でもあり、自分の嫌な部分を映す鏡である人と同じ職場にいるわけです。今の自分の立場を考えたとき、この会社をやめたかったけどビビッて辞めなかった自分を思い起こしたり、仕事でつまずいて何一つ前にすすめなかったことを思い起こしたり、もはや人に会うことさえ怖くなった時期があったことが思い出されたり、いろんな思いはあります。そして、なんとなく、無駄な人生を生きてきたかのように思ったことも何度もありました。ただ、最近になってそれもきっと今の自分に至る伏線だったのかな、と思うことがあります。相変わらずうまくいかないこともあれば、思い通りにいかないことばかりだったりもするのですが、そこそこ幸せというか楽しくやっています。

その秘訣は何かというと、20歳代のころは自分がもっていないものを獲得しようと頑張ることはとても大事だと思うのですが、今ぐらいの年齢になって感じるのはないものをねだらなくてもいいんじゃないかな、ってこと。失敗ばかりで、決して格好の良い社会人人生ではなかったのですが、今から振り返ると、そんなドロドロの中でいろいろ学んだこともたくさんあるな、と思います。そうやって考えたときに、自分がもっていないものを求めて生きるというより、そろそろあるもの、これまで獲得したものを上手く活かして生きていけるといいんじゃないかな、と思うことがけっこうあります。

で、今回何が言いたいのか、というと今必死で、大変な思いをしてて、なんだか終わりのない苦しみにいるような感覚でいる人も、いつかそんな風に「けっこう頑張ってきたよな、自分」と思えることはけっこうあるんじゃないかと思うのです。ここらでいっちょ、そんな自分を労ってみてはいかがでしょうか。いろんな問題はあるかもしれませんが、悪い事ばかりではないはずです。自分の外側を変える努力も大事ですが、まずは自分の内側から。そこに豊かさを求めたいな、と思う今日この頃です。

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