後継者

後継者・跡継ぎは自分の「快」を見つけるため「素早く世に問おう!」

「もう、すっかりやる気をなくしてしまったんです」
肩をうなだれて相談に訪れる後継者は後を絶ちません。
彼らは、表面上は「うまくいってる」「自信をもってやっている」という顔をしながら、心の奥底では常に自分と戦っています。

・自分はこのままでいいのだろうか
・将来どうすればいいのだろうか
・なぜ親は自分を認めてくれないのだろうか
・会社に行くのがつらい
など、挙げればきりがありません。

こういう人には共通点があります。
それは自分にとっての「快」を目指していないのです。

 

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なぜ親の後を継ごうとしたのですか?という問いに答えられない!?

私が答えられなかった質問

私はたまたま20歳代後半くらいから、時々、同業者の後継者に向けて講演させていただく機会がありました。そこで、期待される話は、こんな感じです。
「私は、こんな強くて美しい理由で親の会社を継ぎました!」
何となくわかっていただけるでしょうか。主催者も、会場を埋め尽くした人たちも、なんだか強い思いをもって会社を引き継いだ後継者像を期待しているのです。

私はそういう話をするのが苦手でした。なぜなら、惰性で親の会社を継いだからです。とりたてて素晴らしい思いを抱いていたわけでもないし、親の仕事に誇りを感じていたわけでもない。いくつか就職活動はしてみたけど、どこの会社にも魅力を感じない中で、親は継いでほしそうだったから継いだ。ただそれだけの理由だったのです。これを当時の私は、正直に講演会でいうことはできませんでした。
そして、もっともらしい理由を偉そうに語っていたのです。

しかし、きっとそういう話はどこかクリアではないのでしょう。講演後の質問の多くは、その動機部分に集中することが多かったように思います。私のはっきりしない物言いが原因でしょうが、あとから考えたのはやっぱりそこでコンプレックスを感じていたのは、私だけではなかったのかもしれません。多くの後継者・跡継ぎが、今自分はなぜここで親の会社を継ごうとしているのかが、理解できていなかったのではないでしょうか。

WHATとHOWを追求し続けた30歳代

20歳代で「なぜ親の会社を継ぐのか」という思いはクリアにならないまま、30歳代に差し掛かります。それでも答えなど出るはずもありません。もう親の会社に入った以上、動機なんてどうでもいい、という感じなんだと思います。それよりも大事なのは、後継者として今何をするのか、でした。どうすれば、後継者として一人前になれるのか、ということばかり。しかし、そういう視点で見てみると、自分はできないことだらけです。

一部の自己啓発書では、自分のやっていることを好きになれ、と言います。私もそれを志したことはありました。私の親の起業した家業は保険の販売店ですが、保険のことやその周辺知識にかんしては、人一倍勉強したつもりです。しかし学べば学ぶほど、その商品や業界の「アラ」ばかりが見えて好きになれませんでした。どんどん嫌いになっていくのです。

そんななか、割り切るべきところは割り切って、会社を統べるものとして前に進まなければならない。そんな風に考えはじめます。その時私にとって重要なのは、何を(WHAT)どのように(HOW)実現するかで頭がいっぱいでした。

私に関して言えば、仕事に対してコンプレックスを持っていたので、とにかく個人成績を上げたいという思いが強かったように思います。だから、それを上げられる方法があるならば、とインスタントなノウハウを必死に勉強しました。そしてそれを試してみようと思うわけですが、その時に親が立ちはだかるというか、何かしら経費が掛かることをやるには親の承認がいるわけです。そして、どうせダメだしされるか、嫌みを言われる(そんな楽をしようとせずにまっとうに努力せよ、とか)のでいやだなぁ、ということになり学んだことの半分も実践できない。

厳しい言い方をすると、できないではなく、やらなかったわけなんですが・・・。

そうやってどん詰まりになっていきました。ノウハウコレクターになって、頭の中だけはたくさんの知識があるけど、実績が伴わない、という泣けるパターンに陥りました。

うまくいかないとやる気は起きない

rawpixelによるPixabayからの画像

成功体験を積めなかった私・・・?

そんな感じですから、成功体験なんて詰めないわけです。行動しないのですから当然です。それでも当時の自分は、勉強してやろうと準備するだけで「行動したつもり」になってたから厄介です。それを世に問わなければ何の意味もないのに、世の中に出す手前でやめてました。自分では行動している(実際に物理的には動いている)つもりなんですが、全く行動できていない(世間の反応を得る手前でやめている)自分に気づいたのはそれからずいぶん経ってからです。

ふつう、やる気って成功体験があって「もっとやりたい」となることが多いと思います。成功体験がつめないからやる気も出ないし、口には出しませんが、「なぜうちの親は自分に成功体験を積ませようとしないのか」と、親のせいにしていたこともあったのはここだけの話です。

行動を自分や会社の外に出さないところで終わっているから当然成果が見えない。そういった中でモチベーションを維持するのはなかなか難しいものです。はじめのうちは、成功体験を積ませない親が悪い、という話になってそのうち、業界が悪い、社会が悪い、などなどいろんな悪者だらけの世界を作って、自分のふがいなさに蓋をしてしまっていた時期があったこと、今思い出しても恥ずかしくなります・・・。

行動を支える動機

人が何かしらの行動を起こすには、相応の動機が必ずあります。先ほどお話ししたように「行動していると自分を信じ込ませつつ、世間の反応を得る前でやめる」という行動にもれっきとした動機があります。説明するならば、まずは自分が行動しているという実感を持たせる行動(ノウハウを勉強して準備する)を自分でやってる感覚を持つことで、「自分は今の不満な状況への対処をし始めている」と納得させ、自分を慰めています。そして、世間の反応を得る前でやめるというのは「つらい現実に直面しないでおく」(うまくいかなかった、という結果を手にしない)という状況を維持しています。なんと巧妙なんでしょう!

つまり私は、私が「自分は一生懸命やっている。そしてその結果は知りたくない」という理想を求める行動をやっていたわけです。
バカみたいな話なのですが、この当時の私は、状況を改善したいという動機に向かって動いていたのではなく、自分が傷つきたくないという動機に向かって動いていたのです。結果いつかはひどい形で傷つきそうなんで、先延ばししているだけになります。かなり危ないですね。

親の会社を継ぐという動機

なかには、崇高な思いをもって親の会社を継いだ方はいらっしゃると思います。しかし、本心からそういう思いだったら、ちょっとやそっとのことがあったって、へこたれるはずがないと思います。過去の私のように、何かしらの葛藤を持っているということは、きっと会社を継ぐ、と決めたときの心の奥底に何があったかを覗いてみる必要があるのかもしれません。私に関して言えば、逃げだったんです。
親の会社を継ぐということに対して、多少はアリという気持ちもありましたが、心底進んでそうしたいというわけでもありませんでした。やりたくてそれを選んだというより、状況的に一番スムーズそうだから親の会社を継ぐ選択をした、ということだと思います。(実際のところは選択したというより、時間切れで結局具体的に手続きが進んでいた親の会社を継ぐ方向に流されていった感じではありましたが)

シンプルに言うと、強い意志で反発するつもりはなかったとはいえ、その時に親の会社を継ぐということに対するいくばくかの抵抗感はありました。しかし、当時、その思いを口にして関係を悪くするのが嫌だったから、それを避けるため親の会社を継ぐことにした、というのが事実だったように思います。もっと言うなら、自分が好き勝手出来るなら、継ぐのもありかも、なんて思っていました。要は、楽ができる選択肢が、親の会社を継ぐことだったというのが当時の本音。そりゃあ、講演でいえるはずもありません苦笑。これは親にも言えない本音かもしれません。

人の行動につながる動機は2つだけ

TumisuによるPixabayからの画像

快を求めるか、痛みから逃げるか

ところで、人の動機というのはつきつめると二つしかないと言われています。一つが快を求める行動。もう一つが、痛みから逃れる行動です。そして、基本的には、痛みから逃れる行動のほうが圧倒的に動機としては強い、と言われています。なぜかというと、それが生きるために備わった機能だからです。そういった視点で考えてみると、当時の私は一見、「楽な方向」へ行っているように見えます。実際に、親の会社を継げば楽だとか言う言葉が頭に浮かんでいました。しかし、本質的にはちょっと違っていて、実は親と衝突する、という痛みを避けた行動だったのではないか、と思っています。

そして厄介なことに、人は痛みを避ける行動を続けても、そこに満足が得られる状態にはなりえない、ということです。罰を与えられてツラい思いをしないために働くとか、親に叱られないように勉強するとか、人には字を書かないように完ぺきな人間を目指すとか、こういうことってゴールがないんです。ゴールがないまま、ただ痛い経験がある場所から逃げまどうわけです。一時的に痛みは消えるかもしれませんが、その病巣は残ったままなので、永遠に痛みが消えることはありません。ひたすら逃げ回る人生に、幸せはない、ということなのでしょう。

ここでふと、私のかつての行動パターンを思い出してしまいます。ノウハウコレクターになりましたが、それをリアルに使うことで、「失敗」という痛みを避けるためにそれを世に問うところまでにはいかない。だから、また新しいノウハウを学んで、けど失敗の痛みを避けて、実行直前で逃げて・・・の繰り返し。当時の私は、「いつかは自分にジャストフィットなノウハウが得られるはず」と思っているのですが、その「いつか」は永遠にやってきませんでした。

後継者の葛藤は痛みからの逃避から生まれている!?

私は、親の会社を継ぐに際して、特別な理由もなく、流されてその立場についたと言います。それがまさに、親と衝突するという問題からの逃避だったことはすでにお話ししました。そのことが明確になったのは、それから10年以上後になってからです。会社の方針で親と後継者である私が大きくずれが出たときに、かなり真剣な言い争いをしました。この争いの種は、一見、会社の方針の違いにありますが、そもそも親の会社に入る、入らない、というところから始まっていることを今なら感じます。そもそも、自分で決断して会社に入らなかったから、いろんなところで起こることが受け入れがたくなっていたのです。自分で決めたのではなく、親の意向で会社に入ったから、親や周囲は自分のために環境を整えるべきだ、なんていう変な思い込みの中に囚われていたのが根本的な原因です。

これを読んでわかる人もいれば、なんのこっちゃという人もいるかもしれません。わたしも、10年前に読んでも、まさになんのこっちゃという感じです。しかし、ちょっと頭の片隅に置いておいてください。
自分で決めなかったから自分の責任ではない、という責任(痛み)からの逃避をしていないか、ということです。

後継者・跡継ぎの方がよく言われる「会社を辞めたい」という悩みも同様です。会社をやめたければ辞めればいいじゃないですか、といえば、「親が・・・」とか「周囲の目が・・・」とか「従業員が・・・」とかいうわけです。ここに、「私は・・・」という視点をないがしろにしているわけです。私は辞めたいけど、みんなが困る。これって、なんだか美談にしてますよね。逆の表現をすれば、みんなのために自分は会社にいる、というわけです。自己犠牲でみんなを幸せにしているつもりなのでしょうか?それはちょっとおこがましいですよね。単に、自分が本当にやめてしまったとき、周囲の人から浴びせられる罵声や、視線、恥ずかしさやプライドをなくしてしまう状況から自分を守りたいだけなんです。それはつまり、「私は辞めたい」ではなく、「私は辞めたくない」という結論を出したうえで、「辞めたい」「辞めたい」と言ってるのです。ずるいですねー。まあ、私もそのひとりなんですが。

自分にとっての「快」はどこにあるのか?

私達の行動の多くは、「痛みから逃れる」ために発生するわけですが、じゃあそれを「快を求める」行動に変更していきましょう!となったとします。その時に、ふっと私たちはフリーズしてしまうのです。自分の後継者・跡継ぎの人生のなかでの「快」ってなんだろう?ということがわからないのです。実のところ、そんな事は考えたこともない、という人が大半です。なぜならば、痛みから逃げることで必死で、そんな事に頭が回らないのです。

そこで、ここで一度、真剣に「なぜ、今自分はここにいるのか?」ということを考えてみる必要があるのではないか、と思うのです。今までお話ししたとおり、痛みから逃げてたどり着いたのが現在地である、というのはわたしだけではないかもしれません。ただ、これはわたしの感覚なのですが、この場所にいるのはたぶん、単に逃げて逃げて偶然ここにいるというわけではなくて、何かしら自分でも考えの及ばない必然性があるんじゃないかな、と考えています。そう思えないにしても、今の現在地をまずは受け入れることから始める必要があるのではないでしょうか。

親と言い合うのがイヤで親の会社を継いで、自分なりに頑張ってきたけどいろんな葛藤があって、悩みをたくさん抱えた状態で親の会社で孤立している。こういう認知をしているなら、ここを出発点にしましょう。で、ここからは、痛みから逃げるのではなく、快に向かって進んでいくことを決めます。いろいろ考えて、例えば親の会社を辞める事こそが自分の「快」へ向かう道だ、と感じたならそれもアリでしょう。そうではなくて、親の会社をこういう風に変えて、有名になるんだ、という風に感じたならそれもアリです。親の会社を分社して独立するというのが快ならばそれもアリです。間違いは一つもなくって、大事なことはその決断に自分で責任を負いさえすればいいのです。

たぶん先述したとおり、「これが自分にとっての”快”決定版だーーー!」といえる人は少数派だと思います。ならば、「快」がわからない私達はどうすればいいのでしょうか?

世に問う

Free-PhotosによるPixabayからの画像

やってみる、ということの重要性

今ちょうど新型コロナウィルスの関係で、自宅軟禁状態の娘がかなりストレスをためています。イライラしているので散歩でもすれば、少しでも気が晴れるのに、と思うのですが本人はいっこうに聞き入れません。たぶんそんなことしたって、何も変わらないと思っていたんじゃないかと思います。けど、そう思って実際にやってみなければ、ストレスが解消する確率は0%です。逆にやってみれば1%でもスッキリする可能性はあります。どっちをとるかは自分の自由ですが、葛藤を抱えたまま物事が改善しないという人は往々にして後者を常に選んでいるのではないでしょうか。

この話、実際には娘は外に出てほんの10分ほどペットの犬を連れて家の近所を一周しました。それで随分ストレスは解消したようです。

実は想像するだけでやらないのと、やってみるということでは相当大きな違いがあります。少なくともやってみて、それが失敗したとしてもたいていはその失敗から多くのことを学べるはずです。
例えばこのブログだって、数年前に始めたときにはどの程度のアクセスがあるとかないとか、どの程度の集客効果があるとかないとか、まったくわからず始めました。しかしやってみると、「あれ、思ったより難しいぞ」ということがわかり、うまくいくよう学んでみたり、逆にやっぱり難しいからやめておこうとか、いろんな判断ができるわけです。
だから大事なのは、考えて、その考えを自分の外に出す、ということを小さく始めてください。
単に話すだけから始めればいいです。
自分の考えを話す、何かしらの形にする、人を巻き込んでやってみる、など、どんな形でもいいので自分の内のものを外に出すんです。
それを繰り返すことで、だんだんと、「ああ、自分はこういうことを求めていたのかも」とか、「自分がやりたかったことはこういうことかも」なんて言う風に思うんだと思います。

世界中の人の中で「これこそ自分の使命だ!」なんて言うことがわかっている人なんて、きっと1%いるかいないかじゃないと思います。だから、今はわからなくてもOK。
ところで、「快」というのは、私は常に行動と紐づいていると考えています。たとえば、金メダルを取ったアスリートは金メダルを取った瞬間も「快」ですが、それは金メダルを目指すトレーニングを一生懸命していたという文脈があっての快であり、そう考えると金メダルを取った瞬間「快」のピークは下がる一方じゃないかと思うのです。(金メダルを取ったことがないのでわかりませんが・・・)
つまり、目指す山があって、そこに向かっているときが一番の「快」の時間だと思うのです。

だから、私はある一時期、こんな言葉をあえて積極的に使うように努めました。
その言葉は、
すばやく世に問う
という言葉です。

 

アイデアをすばやく世に問う、
ビジネスプランをすばやく世に問う、
この用品をすばやく世に問う、
など、広い範囲につかえて、行動指針として使いやすいのです。

考えやアイデアを即座に世の中に出すことで何かしらのフィードバックを得て、それをブラッシュアップしていく過程は、金メダルを目指したトレーニング機関と似ているかもしれません。苦しいけど充実地しているのです。だから思いついたことは素早く世に問い、フィードバックを得る。そのサイクルを作ることができれば、だんだんと自分にとっての「快」が明確になってくるように思うのです。

やる気が出ないときこそ行動を

こう考えていると、悩んで悶々としている状態は、何の行動もできていない状態と言えます。行動はしているけど、うまくいかない方法を延々と繰り返している状態かもしれません。しかし、ヤル気が出ない時だからこそいつもと違う方法を試してみたいところです。モチベーションの専門家が言うには、ヤル気を出す最も確実な方法は「やる気のないままでもやり始めてみる事」といいます。皆さんもきっと経験があるのですが、気の進まない掃除だけど、ひとたびやり始めたらやめられず半日もやってた、なんてことがあるんじゃないですか。それとおんなじです。困ったり悩んだりしたら、まず違う反応をしてみます。そしてその反応から帰ってきた反応からその次の一手を学習します。

バカバカしいと思えることでも、何か違うことをやってみると、大きな気付きがあるかもしれません。

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