跡継ぎは親を変えようとしてはいけない!?

親子経営において、跡継ぎの立場としては親が目の上のたんこぶになることは割とあると思います。
あれこれ口出しはしてくるし、こっちの言うことは聞かないし、
社員をあらぬ方向に連れていくし、話し合ったことはすぐ忘れるし…

すると後継ぎとしては、何とか親を変えようとします。
しかし、これ、はっきり言って無駄な努力なんです。

 

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人が人を変えることはできない

「強制」は変化ではない

まず、結論を申し上げます。
親子であれ、教師と生徒であれ、先輩と後輩、上司と部下、どんな人間関係においても、
「他人を変えることはできない」のです。
そんな努力はまったくの無駄です。

いや、そんなことはない。
力を込めて反発される方もいらっしゃるかもしれません。
それは恐らく、「一時的な行動の変化」をおっしゃってるのでしょう。

例えば、教え子が宿題をやってこないから厳しくしかった。
次からはやってくるようになった。
これって、その人が変わったのではなく、怖いから一時的に行動を変えたわけです。
この人は恐らく、怖い先生の監視がなくなればまた宿題をしません。
怖い先生の監視の目があったとしても、常にその目を盗もうと考えるでしょう。

「強制」による行動の変化はむしろイラつかされる

表面上の変化でもいいから、とにかく行動を統制したい。
そういう思いもあるかもしれません。
私もそういう思いをもって、「(私の思いどおりに動かざるを得ない環境で)行動を強制した」ことがあります。
結果はどうだったかというと、形式的には動くのだけどあからさまなやる気のなさにむしろイラついた気がします。
そして、そういった強制はやはり、少し気を緩めるとフェイドアウトしていきます。
目の届かないところだったり、こちらが小言を言わなければ行動を変えません。

跡継ぎの仕事の7割くらいが「イライラしながら小言を言うこと」となってしまいます。
これはあまり健全とは言えないのではないでしょうか。

社員や親を型にはめると、型を取り外したときには形をとどめなくなります。
つまり、跡継ぎは常に組織に目を光らせるばかりで、本当にやりたいことをやる時間が無くなってしまいます。

Helmut H. KroissによるPixabayからの画像

人が変わるということ

すべての刺激はキッカケでしかない

私が中学3年生の夏休み前のこと。
私の成績は、五段階評価の「1」と「2」のオンパレードでした。
たしか、英語だけが「3」でそれ以外は全部平均以下です。
それまで、夏休みの宿題とかは完成したことがない私でした。

そんな私が、2つのことがきっかけで激変しました。
一つは、広島で子どものころに原爆を体験したことのある先生の話でした。
何ら勉強とは関係のない話だったのですが、その先生が夏休み前に
「原爆を受けた過酷な状況の中、今こうやって生きていることに感謝している」
といった話に、なんとなく「ああ、今自分がここに座っていることは奇跡なのかも」
なんて思ったことです。

もう一つは、中学3年生の夏ともなると高校への進学に関する話が出始めるころ。
その時に、担任の先生に言われたのが、「この成績で行ける学校は、こことここ」。
示された学校は、校内暴力の激しいところで、自分がそこで生きて卒業できる気がしなかったということと、
なによりも男子校ばかりで、「青春の高校時代」を野郎どもと過ごすという未来への反抗でした(苦笑)

そこで、せめてここぐらいは、と勝手に決めた共学校に照準を定めて夏休みの勉強計画を立てました。
毎日8時間、自分で建てた計画に則って勉強をやり切り、三学期には成績は「5」と「4」、たまに「3」というレベルになりました。

おかげで、目標とした共学校より少し学力の高い学校への入学することができました。

この話、広島の先生の話も、自分の成績の実情を知ったのも、単なる刺激です。
広島の先生の話を聞いて、「ふーん」と思って終わることもある(今まではそうだった)こともあるし、
自分の成績の悪さを実感したところで「こんなもんでしょ」と終わることもあります。

たまたま私の気持ちが「やる気」方向に動いて、そこへ向けた行動をとっただけです。
今までに、似たような経験をしても、何もせずによくない結果を受け取ったことだってたくさんあります。

内側からしか開かない扉

人は外部の刺激をキッカケにして変わることがあります。
しかしそれは、外部の誰かが意図したものではない可能性が高いでしょう。
たとえば、「危機感をあおって、行動させよう」というのはよくあるパターンです。
しかし、危機感が煽られても、前向きに行動する人もいれば、何もできずにうずくまってしまう人もいます。
同じ人であったとしても、タイミングや、誰に言われるかで、行動するか、うずくまるか、あるいは逆の行動をとるかという違いが出てくるでしょう。

ある意味、サイコロのように何かの刺激を入力しても、出力される行動はその場その場で変わるのです。

このことを、「無理」の構造 ―この世の理不尽さを可視化する』細谷 功(著)ではうまい表現をしています。
「内側しか開かない扉」といっています。
この扉は、わかりやすく言うと心の扉。
これを外からこじ開けることは不可能ですが、外から刺激を与えることはできます。
よんでみる、火責め、水攻めにする、誘惑する、など色々方法はありますが、外から第三者は刺激を与えることは可能。
しかし、扉を開けるかどうかは、中の人、つまりその人自身が決めます。

そして、前にも云った通り、その時扉を開けるかどうかは、うまいタイミングでうまい刺激が重なった時だけ。
それはサイコロのように、どう出るかは他人からは(場合によっては本人さえも)わからないのです。

中学3年生の夏休み前、なぜやる気を出し、それがその場限りでなく夏休みも、三学期も続いたかは、自分でも未だによくわかりません。
たまたま説明しやすいので、「共学を目指したからだろう」としていますが、それが正しいのかもよくわかっていないのです。

shell_ghostcageによるPixabayからの画像

私たちにできる事

他人というブラックボックス

どんな刺激を与えれば、どんな反応が起こるかわからない。
人間というのは、そんなブラックボックスです。
だから、それを、変えてやれ、と思うのがそもそも驕りなのです。
自分を変える事さえ難しいのに、他人を変える事なんてできません。

たとえば、毎日ブログを書いてください、と言われてそうそうできるものではありません。
自分でできないことを、他人にやれとはたぶん言えないでしょう。

じゃあ、会社でのふるまいや、日々の生き方を変えてください、と言われて変えられるでしょうか?
私は無理です。
自分は無理なのに、なぜか相手には求めてしまう。
それはちょっと図々しくはないですか、ってことです。

ではどうすればいいのか、ということですが、きっかけを提供することはたぶん大事だと思います。
注意したいのは、自分本位なキッカケの提供じゃなくて、相手の人生のステージや思考に合わせたきっかけですね。
まあこれ、相当難しいです。

で、もう一つは、自分が今ある状態を受け入れる、ということ。
後継ぎとしてはやりたいこともあるし、そこに親にも協力してもらいたいという思いもあると思います。
それは確かに理想なんですが、こっちの理想を親に押し付けてもうまくは行きません。
まずは、お互いどうやら違う行動パターンや、思考パターンを持ってるようだ、ということを受け入れます。
すでにそれは知ってると思うので、「ああ、この人はこういう人で、こう行動する人なんだ」と納得します。

次にやることは、それをこっちの都合でかえさせようとするのではなく、
相手の行動を、こっちのやりたいことの中に組み込むとしたらどういう方法があるだろうか?ということを考えてみます。
もちろん、うまくハマることもあれば、ハマらないこともあると思います。
それでも、どうせ変わらない相手がいるんだから、変わらない相手を自分がやりたいことの中でどう活かせるかを考えていくと、ちょっと面白いパズルゲームになっていきます。
ある組み方をしたら、ちょっと違ってた。
じゃあ、こう変えてみると、完ぺきではないけど前よりマシだ。
次はこうやってみたらどうだろう?

そんな感じです。

できないことに力を入れているから苦しい

長くなってきたので少しまとめてみましょう。
他人を変えるのは不可能である。
これが今回の最大のテーマです。

しかし、私たちは何かと、相手を変えようと必死になります。
強制したり、ルールで縛ったりするのですが、強制されての行動は監視の目がなくなると緩みます。
強制する側は、見ていないところでサボろうとする姿を見ると腹立たしく感じます。
俺をなめとんのか、と。

本当は、自発的に行動を変えてほしいのですが、それはまさに「自発的」。
内からしかあかない扉を開けてもらわねばならず、そのために他人ができることはキッカケを提供することだけ。
人は他人が変えられない。

それが前提とあるにもかかわらず、私たちは人を変えられる、という幻想を持っています。
だから、他人を変えよう変えようとするものの、それはことごとく裏切られます。
そしてそれは、自分を尊重していないことの証と考えがち。
するとまたまた自分がしんどくなってくる。

だから言います。
相手を変えようとするのはもうやめましょう。
相手の変化(成長)のきっかけは与えるべきですが、結果を期待すべきではありません。
それよりも現状をまずは受け入れ、その現状をどう活かせるかが跡継ぎが考えるべき現在の課題ではないでしょうか。

人を「変える」ではなく、「活かす」がキーワードです。

Monika RobakによるPixabayからの画像

 

 

 

 

 

 

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