私が後継者として親の会社を継ぐとなった時、色々と苦しい時期を体験しました。
結果として、55歳までは自分の戒めとして、親の会社で一生懸命頑張りました。
しかし今、55歳になって、その会社をそろそろ卒業しようと行動を始めています。
後継者としての自分の半生を振り返りながら、働くという事について考えてみたいと思います。
私の著書です。
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Contents
ある後継者が考えた「働く」ことの意味
親の会社を継いで1年足らずでその事業が嫌いになった後継者
私は、家業を持つ両親の長男として生まれました。
小学校の頃には、親の会社を継ぐのが当たり前と思ってきて、大学卒業後すぐに親の会社に入社しました。
しかし、その時になって、親の会社の仕事が自分には合わないことを感じ取りました。
それでも自分は後継者です。
それなりに一生懸命頑張ってきました。
ただ、55歳、つまり大企業ならそろそろ退職の声が聞こえ始める年齢になって、色んなことを振り返りました。
これから先もこのままで良いのだろうか?と。
後継者は「働く」ことの意味を考えた
55歳ともなると、両親と同世代の人は次々と亡くなります。
自分の直接的な友人や知り合いも、病気で入院したとか、なくなるとかいう話が出始めてきます。
そんな中、一人娘は大学を卒業し、就職することになりました。
なんとなく、一つの肩の荷が下りたような気がしたときに、これからの人生を考えるようになりました。
後継者として頑張ってきた三十余年ですが、これで良かったんだろうか?と。
ふと、ある映画を見て「もし、自分が余命1カ月と言われたら、今の時間の使い方をするだろうか?」と考えました。
いや、それはないな、と。
ならば、どう生きればいいのだろう?
そんな事が頭の中をめぐりました。
そもそも、一日の大半を費やす「働く」という時間。
これにどんな意味があるのだろう?と考えました。
農耕より狩猟採集
何のための農耕?
なんとなく、働くという事のルーツをたどって見たくなりました。
実はある文献によると、人類は狩猟採集民族時代の方が、農耕民族より働く時間は少なかったそうです。
狩猟採集民族は、一日2~3時間の労働でとりあえず食べることには困ることが無かった。
しかし、農耕を始めると毎日朝から晩まで労働して、やっと収穫にこじつけるという感じだったとか。
なんだか持っていた印象と違いますよね。
しかも最近よく言われるのは、1万年も続いた縄文時代はとても平和な時代だったとか。
一方、農耕がさかんになった弥生時代には、争いも増えて来たとか。
土地の所有という概念が明確になり、だんだんと人の上下関係も出来て来たようです。
人は、農耕を始めてむしろ、おかしくなったんじゃない?と思ってしまいますね。
なんとなく感じるのは、「食料がなくなったら困る」という恐怖に対するバイアスがそうさせたのかもしれません。
人の選択は、「愛からの選択」と「恐れからの選択」に分かれるといいますが、後者が多くの場合優勢です。
恐れからの選択で、農耕を始めていったのかもしれません。
農耕から機械化へ
そこからずいぶんと長い年月がありますが、機械化を進めてひとは「欠乏」からの脱却を図るため働いてきました。
ないものを得るため、必死に働いてきたわけです。
働けば暮らしは良くなり、便利になるはず、と信じて人は身を粉にして働きました。
そして、オートメーションなどで効率化を進め、出来るだけ短い労働時間で、たくさんのものを作るようになってきました。
しかし、現代において、AIのサポートを得られるにもかかわらず、私たちの労働時間はまったく減りません。
そんな時代にもかかわらず、過労死する人がいるわけです。
なんだかおかしくないですか?
私たちは、生活を楽にするため(お金を稼ぐため)働く。
働く効率を高めるため、色んな仕組みを作る。
にも拘らず、生活は楽にならず、時間も長時間働いています。
仕事って、一体何なんでしょう?
働くことは承認欲求を満たす事?
後継者が考えた働くことの意味
後継者として仕事をしている中で、私は家業の仕事が好きになれませんでした。
ということは、毎日が苦痛です。
それでも、自分の生活のため、社員の生活のためには、働かねばならないような気がします。
そう。
働か「ねばならない」、というのが働く理由なのです。
基本的に、義務なんです。
狩猟採集民族の時は、一日数時間で、「ねばならない」仕事は終わりました。
しかし、農耕以来、毎日、フルタイムで働か「なければならない」現実があります。
それは社会の仕組みなのでしょうが、じゃあ選択の基準を変えることはできないものでしょうか。
「ねばならない」を「やりたい」という方向にです。
シンプルなのは、今目の前の仕事を好きになることです。
しかしそれが必ずしも上手くいくとも限りません。
仕事の喜びはどこに?
少し話を変えて、仕事って辛いだけじゃないですね。
喜びを感じるシーンは多々あります。
たとえば……
・お客様に喜んでもらえた
・自分の商品やサービスが役に立っていると実感している
・世間で仕事の結果が認められた
・自分の成長を実感できた
・出来ないことができるようになった
などなど。
これらは全部、「自分や自分の仕事が承認された時」に感じる喜びではないでしょうか。
もう少し話を広げて考えてみて、「社会の役に立ちたい」という思いも、社会の役に立っている自分でありたいという受け止め方もできないでしょうか。
つまり、極論に感じられるかもしれませんが、社会貢献の思いも、深い所では自分の存在意義が社会のためにある、と感じたいのではないかと思うのです。
仕事の喜びはすなわち、承認欲求を満たす事ではないかと最近感じています。
後継者が「認められたい」という思い
後継者が会社を継ぐという決断も承認欲求
実は多くの場合、後継者が親の会社を継ぐというのも、親に認められたい、親の期待に報いたいという気持ちが大きいと考えています。
そもそもが、承認されたいがための職業選択なんじゃないかと思います。
そんな風に考えていくと、後継者にとっての仕事って、ますます承認されたい、認められたい、という思いがベースになっている可能性が高そうです。
もう少しカッコいい言い方に言い換えると、仕事を通じて自身のアイデンテティを確立したい、というのが仕事の目的と言えるような気がします。
かのドラッカーは、「自己を刷新するための問い」として、「何によって憶えられたいか」を言うことを大事にしたといいます。
まさに仕事はそれを実現するツールですし、自己のアイデンテティを生み出す事がその目的ともいえるのではないでしょうか。
認められるための最短ルート
もしここまでの検討が間違いないとすれば、自分が認められる最も効率的な行為は「自分の才能を見出し、最大限活かす」という事がとても大事になるのではないかと思います。
そうなった時に、その際に、家業の中でそれができる場合と出来ない場合があるのではないか、と私は思うのです。
上手く家業の中にアジャストして、自分の才能を開花させるという方法もあります。
一方で、そことは違う場所へ旅立つ必要がある場合もあるでしょう。
私は、55歳になった時、後者を選択しようと決意しました。
それが冒頭のお話になるわけです。
具体的には、後継者に徐々に権限委譲するとともに、65歳までの10年で一つの新しい事業をカタチにしたいと思っています。
私の事はともかくとして、大事なのは自分の才を活かしきるという事。
それができる場所を探すことは、決して罪悪感を持つものではないと思うのです。
いろんな形の道を探してみてはいかがでしょうか。
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