困った社員の象徴として、「指示待ち人間」という言葉があります。
何事も、自ら考え、積極的な行動をすることなく、常に指示待ち。
一方、跡継ぎとして親の会社に入った後継者は、比較的早いタイミングで管理職になります。
人を使う立場に立った時、こういった指示待ち人間には少しイライラさせられることがあるかもしれません。
「ったく、アイツはいちいち指示を出さなければ動けないのか」
そんなつぶやきが聞こえそうです。
しかし、立場を変えると・・・
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基本的に、自分で考え、選択し、自発的に行動するほうが楽しい。
人間にはこういう原則があります。
しかしなぜか、会社などの組織では、誰かに指示されるまで動かない。
自分で考えて動こうとしない人が一定数います。
いえ、一定数というよりは、ほとんどがそうではないでしょうか。
自発的に行動したほうが楽しいし気持ちがいいのに、なぜかそれをやらない。
そしてその上司は、たいてい思っているわけです。
「指示待ち人間ではだめだ。自分で考え、動ける人でないと」
本来だれも望んでいないのに、指示待ち人間が量産される。
このギャップにはいったいどんなカラクリがあるのでしょうか。
Contents
なぜ指示待ち人間ができるのか
言葉とは裏腹の風土
多くの管理職の人は、口では「指示待ち人間」というのはありがたくない存在だといいます。
自ら考え、積極的に行動せよ、と望んでいるわけです。
「部下は一向に自分で考えようとしない。仕方がないから事細かに指示を出さねばならない」
そんな風に感じているかもしれません。
しかし、じゃあその「指示待ち人間」の側から見たその組織はいったいどのように映っているでしょうか?
指示待ち人間になってしまっている人も、根っから自発的に行動しない人なはずはありません。
彼らが自発行動をしないのには、理由があります。
自発的行動にはリスクが伴うからです。
例えば彼らの心情はこんな感じ。
・自分で考えてやっていいものかどうかわからない
・自分流のやり方が組織に認められるかわからない
・どうせ怒られるに違いないから目立たないのが無難
・自分の考えを話しても何の得にもならない
・ルールに従うことを教育されている
結果として指示待ち人間になっている人においては、業務はルールに沿って行うもの。
そこから逸脱して何かを生み出すのは、彼らの業務の範疇から外れている。
つまり、意識から外れているのではないかと思います。
減点主義の功罪
なぜそうなるのかを考えてみると、日本の社会に根付く「減点主義」があるのではないかと思います。
とくに、サラリーマンの世界では、標準的な仕事があり、それができて初めてフラットな状態。
上手くできなければ、評価としてはマイナス。
多くの場合、自分で考えて行う行動は、評価の対象にされないことがおおい。
これが評価の対象になったとしても、その行動がありえないほどの効果を生んだときだけ。
つまり、超ハイリスクで、ローリターン。
会社の中で、自らの社員生命をかけるぐらいの勇気を出してやったことも、なかなか評価されることはないのです。
失敗に不寛容な上司
さらに、「考えて行動せよ」という上司でさえ、部下にとっては味方とは映らないことが多いのではないでしょうか。
考えて行動した結果は、過去の実績のない行動が多い。
減点主義の組織の中にあっては、部下がやらかしたルールを逸脱した行動で失敗が起こった場合、上司とて無事ではいられません。
その結果、過去からの慣例、ルールを逸脱しないことが最も安定した就業環境を得られる方法なのです。
そりゃあ、その選択をみすみす棒に振る人など、いなくて当たり前です。
後継者と先代の関係に見る「指示待ち化」
後継者は指示待ち人間を量産していないか?
跡継ぎとして会社に入った後継者は、割と早いタイミングで管理職的ポジションにつきます。
若くして重責を背負う後継者は、ある法則に支配されそうになります。
「人間は痛みから逃げるために行動を起こす」という法則です。
部下が何かをやらかすと、自分が泥をかぶることになります。
関係各所に詫びに行ったり、自分の評価がさがったりするわけです。
すると、まず部下にこういいます。
「余計なことはするな」と。
そして、再発防止のためのルールや規律、報酬制度をつくったりします。
社員をルールや規定でがんじがらめにすることで、徹底的にリスクを避けよう、という戦略です。
ここで、ハッとした人もいると思います。
そうですね、もはや、この後継者は指示待ち人間の量産体制に入ってしまったわけです。
後継者自身が指示待ち人間になれたらどんなに楽か
さて、それはほかの社員に対してだけでしょうか?
じつは後継者自身が、指示待ち人間になってしまっている可能性がないか、少し考えてほしいのです。
なぜなら、後継者にとっての先代は、割と厄介な上司であることが多い。
なにしろ、後継者が自分で考えたアイデアはことごとく却下されがち。
後継者には完ぺきを要求し、後継者の失敗に寛容な先代ってあまり聞きません。
つまり、後継者の置かれた環境は、自分が指示待ち化してしまいやすい環境にいます。
はじめのうちは先代に対して意見することはあっても、次第に
「どうせ新しいこと、独自のことを考えても無駄。ならば、先代の言うままにやっておこう」
というあきらめに近い気持ちにもなる事が多いようです。
しかし一方では、それを許さない自分がいます。
なにしろ、他人事ではありません。
そんな状態の会社でも、いずれ自分が継ぐのですから。
後継者は指示待ち人間になってしまったほうが楽なのに、そうなり切れない。
それは、今から5年後か、10年後かはわかりませんが、自分でこの会社を切り盛りしていく”予定”があるわけです。
完全に指示待ちにはなれないけれど、指示待ちでいられたらどんなに楽か、という思いの間で揺れることになります。
指示待ち人間をつくらないためにできること
誰かが責任をかぶらなければならない
多くの企業で、なぜ指示待ち人間が量産されるのか。
それは、ルールや規律、マニュアルで人を縛り、それを逸脱しないようにする社風があるからです。
そんな会社はきっと、予定外のことがあった時こう言います。
「前例がないことをやって、何か問題になったらどうするんだ」
つまり、問題があった時に、だれが責任をとるのか?ということが真っ先に浮かぶのです。
どうせ評価もされないのに、上手くいかなければ責任をとらなければならない。
やっぱり、超ハイリスク・ローリターンです。
・・・普通の社員にとっては、ですけどね。
じゃあ、後継者の立場で見てみるとどうなるでしょうか。
硬直化した組織を引き継ぐというのは、けっこうなハイリスクです。
この硬直感を打ち破るには、やっぱり指示待ち人間の増殖を打ち破りたい。
このハイリスク感を少しでもリスクを下げたいわけです。
そんな経緯から、もし現在、多少のリスクを冒したとしても、その結果、「自ら考える組織」を得られるとすれば、後継者にとってはハイリターンと言えるかもしれません。
このリターンを得るためには、やはり相応のリスクを背負うことになります。
それはリスクというより、責任と言い換えたほうがいいでしょう。
何かあったら俺が(私が)責任をとる。
この気構えを持たなければ、指示待ち集団を変えることは不可能です。
指示待ち集団を「自ら考える組織」にする方法
ルール化、マニュアル化は諸刃の剣です。
これらは、「ココに従っていれば間違いではない」というものを文書化して提供しています。
社員が「減点から免れる」事を中心に仕事をしている状態なら、最も無難なのがルールとマニュアルを逸脱しないことです。
たとえ「おかしい」と思っていても、それを口に出すことはまずありません。
せいぜい、上司のいない場の愚痴として語られるのみです。
マニュアルに従って減点されないように頑張っているのに、会社の批判なんていう減点されそうなことなどするはずがありません。
はじめのうちは、愚痴レベルであっても会社に対する意見を持っているだけましなのかもしれません。
だんだんとその状態に慣れてくると、こんどはもはや考えることさえしなくなります。
なぜなら、自分の希望と現実のギャップなど、見ないほうが楽だからです。
そうやって指示待ち集団ができてくるわけです。
では、それを変えていくにはどうすればいいか。
なによりも、まずは思ったことを口にしていい、という安全な場を確保することから始めなければなりません。
そこで必要なのは、先代と社員の間に立った後継者は、先代の圧力との防波堤になる必要があります。
誰よりも先に「指示待ち人間」を脱するのは、後継者である必要があります。
それはつまり、後継者が責任をかぶる、という覚悟を決めることでもあります。
覚悟を持たない人は組織を束ねられない
親の会社にどっぷりとつかりたくないという後継者がいるとしたら残念なお知らせなのですが、おそらく、安全地帯から会社を動かすことはできないと思います。
親とももめたくない、社員とも仲良くしたい、誰からも嫌われたくない。
そういう思いでは、状況はどんどん良くないほうに行ってしまうことが多いと思います。
もちろん、あえて誰かと争う必要はありませんよ。
しかし、誰が何と言おうと、自分の意見は表明し、そこに向かって進もうという努力はしなければなりません。
そこから逃げていれば、誰からも認められない状況が続くだけではないかと思います。
一方で、あなたが本心を包み隠さずさらけ出し始めると、だんだんと状況は変わってくるはずです。
社員の中から、あなたの言葉に納得する人が出てくるかもしれない。
社外から、あなたを助けたいと思う人が出てくるかもしれない。
上手くいけば(あまり期待してはいけませんが)、先代があなたのことを理解してくれることもあるかもしれません。
指示待ち人間ということは、自分がやろうとすること、やりたいことを表明していない状態です。
それで人がついてくるわけがないじゃないですか。
ならば、否定されようが、ぶつかろうが、自分の考えを語り始めることから始めなければならないのではないでしょうか。
表現しなければ意見がないのと同じです。
後継者であるあなたが、指示待ち人間でないならば、あなたの考えをまずは口にしてください。
後継者は「いい人」になってはいけない
白い自分と黒い自分
自分の考えを表現するとなったら、やりがちな”失敗”が、いい事だけ口にするというパターン。
これ、かなり危険です。
今まで何も発信しなかった跡取りが、いきなり「世界の平和を実現しよう!」とか言いだしたとしましょう。
怪しい。
あまりにも怪しすぎます。
コイツ、おかしくなったんじゃない?と。
そんなどこか青臭い主張自体は、とっても大事なことなんです。
世の中の貧困をなくそうとか、日本を再興しようとか、デカい夢はとっても素晴らしい。
けど、普通、そういうどこにでもありそうな言葉や想いって、どこか空回り感がありますよね。
見ててイタイわけです。
痛いことは悪いことではないけど、そこにリアリティがないと、人はなかなかついてきません。
言葉にリアリティを追加してくれるのが、後継者自身のパーソナリティです。
たとえば、真剣な顔して世界平和と訴えた一方で、異性にはからっきし弱いとか。
これ、すごく人間臭くないですか。
どこかちぐはぐに見えるんですが、その人のパーソナリティが見えていて、しかもずっと世界平和を言い続けていたとしましょう。
だんだんと周囲の人は思うわけです。
ああ、この人、本気なんだ・・・と。
ちょっとイタイやつだけど、付き合ってやるか、なんていう人がぽつりぽつりと出てくる。
しかし、自分のパーソナリティーを見せることなくいいことだけ言ってても、そんな人信用できないじゃないですか。
多くの政治家は、信用できないなぁと思うことが多いのですが、例えばその人がこんな趣味を持っているとか、奥さんには頭が上がらないとかということを知ると急にその政治家の言ってることが「本当にそう思っているのかも?」と思えることはありませんか?
それとおんなじで、真っ白なきれいな部分だけを社員に見せていても、あなたの言葉は伝わらないのです。
いいかっこしいをするんじゃなくて、ちゃんといい部分も悪い部分もしっかり社内で表現しましょう、ってことです。
実はそれが一番の難関?
多くの後継者の方と話をして感じることがあります。
ほとんどの後継者は、「親の会社に出社すると、いつもの自分ではいられない」と感じるようです。
いつもの自分を社内で表現するのが、とっても難しいんです。
私もそうだったからわかります。
けど、難しいからこそ、変化が期待できます。
何かを変えたいとしたら、難しいことにチャレンジするに越したことはない。
ぜひ、等身大の自分を社内で表現してみてください。
少しずつでいいのです。
はじめは、割と話しやすい少人数の社員との会話からでOKです。
ちょっとだけ勇気を出して、お化粧ばっちりの自分ではなく、素の自分を意識的に出してみてください。
それは、自分自身の表現である一方で、組織の安全性を作るのに不可欠だからです。
あなたが、自分の人格の一部を表現できない場が、他の社員にとって安全な場になるわけがないじゃないですか。
まずは、リーダー・ファースト。
あなた自身が、自分の弱さを含めて、社内で表現するように意識してみてください。
きっと社内の雰囲気は大きく変わります。
社員に許可を出そう
そうやって少しずつ社内で「ああ、ここでは何を言ってもいいんだな」という雰囲気を作っていく。
リーダーである後継者は、原則、すべて受け入れます。
もちろん、採用できる意見、できない意見、もちろんあるはずです。
しかし、まずは受け入れる。
自由に考えていいよ、試していいよ、という許可ですね。
受け入れたうえで、最終的にどういう結論を導くかは、チームの意見交換の中で決定していきましょう。
その時に、リーダーである後継者が「これはうまくいかないかも」と思えるものでも、会社として痛手を負わない程度に小さくやってみるのも手です。
上手くいかなかったら、その経験をもとに「じゃあ、どうすればいいだろう?」と問いかけてみる。
そうやって、考えることを忘れた社員たちに、考えるということを思い出してもらい、それが採用されるんですよ、というサイクルを作っていく。
まあ、けっこう大変なことなんですが、代替わりまでにそういった組織づくりができてれば、相当楽になりそうです。
それがある程度出来上がれば、後継者にとっての選択肢は実は広がるんですね。
ある程度会社を、他の人に任せて自分は別のことを始めることも不可能ではないでしょう。
親のやっている事業が好きになれないならば、そういう選択肢も考える余地が出てきます。
まとめ
またもや話があっちこっちと、いろいろ飛んでしまってすみませんでした。
要は、指示待ち人間っていうのは上司の立場からすると、ちょっとイラつく存在。
だけど、それを創り出してるのは、上司だったり社風だったりするわけです。
そんな指示待ち人間を、自ら考えて行動する人間にするには、誰かが責任を持たなければならない。
上司がその責任を持たないから、社員は指示待ち化してしまうわけですね。
そして後継者も実は、そのひとりになろうかなるまいかという境界線をフラフラしてることも多い。
しかし後継者は将来のリスクがあるわけです。
指示待ち人間を量産化しちゃったら、その組織を受け継ぐのは自分なんだから。
だからここらでいっちょ、責任を持つ覚悟をしなくちゃいけない。
でもって、指示待ち人間が自発行動するには組織の心理的安全性が必要となる。
その安全性を確保する一番初めのステップは、リーダーである後継者が胸襟を開くこと。
自分の良いところはもちろん、悪いところも包み隠さずオープンしちゃうことです。
そうしたうえで、社員の意見に耳を傾け、受け入れ、活かしていく機会を作る。
場合によっては、失敗を体験する機会も作る。
それを繰り返していくと、自然と組織は後継者であるあなたのほうを向くようになり、さまざまな意見をあなたに提案してくるようになります。
そして、その姿が、先代から見たときに「息子(娘)の時代なんだな」と実感させるきっかけになる事でしょう。
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