前回、家族社員が鼻につく【長い長いプロフィール(6)】では、社員の一斉退職、弟の排除計画といったながれのお話をしました。
兄弟って、結構難しいんですよね。
家族経営の中で働かざるを得なくなった一般の社員さん。
何が嫌かといえば、やはり家族とそれ以外の人への対応の違いというか、
独特の疎外感というか、
そんな見えない境界線が常にある事でしょう。
それは単に、家族経営の幹部だけが優遇されているとか、そういう単純な話ではないようです。
特に小さな組織の場合、ファミリーの社内での存在は際立ちます。
そこにわずかでも甘えが見えたり、なれ合いが見えたりすると、血縁関係にない社員は非常に居心地の悪さを感じます。
それを完全になくすのは恐らくほぼ不可能に近いでしょう。
だとすれば、少しでもファミリー社員全員がその問題を認識し、配慮する必要が出てきます。
しかし、当時の社内の状況といえば、残念ながらそこからは程遠い。
創業者である父はある程度仕方のない話だと思います。
創業者であるという冠は、社員にとっても特別なものがあったように思います。
私は父と社員の板挟み。
そんな中、弟の不遜な態度が私にとってはとても気に入らない状況でした。
日頃、自分の目の前の仕事の事しか考えていないくせに、
ほんのまれにではありますが、社内のマネジメントについて「ああすべきではないか?」などという進言をしてくる。
私にしてみれば、一番しんどいところを自分は受けないで、好きかって言いやがって!という感情しか沸いてきません。
もしかしたら、弟は単に建設的な意見を言ってるに過ぎないのかもしれません。
しかし、その当時の私にとっては、私に対する攻撃にしか見えません。
そうすると、すべての事が癇に障ります。
夜、弟と二人が残っているとき、会社の電話が鳴ります。
仕方なく私がとる訳ですが、それだけで腹が立ちます。
「お前は上司に電話を取らせるのか?」と。
料簡が狭い?(笑)
否定はしません。
しかし、社会のルールとして、上司に気づかいするのは部下のたしなみですよね。
そういった普通の社会のルールが通じないのが、ザ・家族経営といった雰囲気満載ですね。
そもそも私は兄弟経営が難しいことは、弟の入社前から知っていました。
だから入社の際に反対もしましたが、先代が勝手に決めて入社させ、
知らぬ間に役員になり、私に相談もなく報酬が上がってました。
両親は「兄弟仲良く」といいながら、仲たがいの種をせっせと撒いてしまうクセがあるようです。
さすがに役員だの、自社株を持たせるだのを勝手にやった先代には激怒しましたが、
役員という事は株主総会で解任できます。
一般の従業員より辞めさせやすい事を確認して安堵したこともありました。
そんな小さな不満の種が積み重なる中で、先代がいなくなった時の事を考え始めるようになります。
そうなったとき、弟とはうまくはやっていけないな、と。
そんな折、ある同業者の社長からこんなオファーをいただきました。
彼の会社が大阪支店を出す計画があり、その所長を探しているとのこと。
私は弟を推薦し、本人にもそちらへ行くよう勧めました。
残念ながら、弟本人は、そのオファーは蹴ったようですが。
その時、私はいずれこの会社を去ろう。
そう決心していました。
この時、私のメンタル的には一番キツイ時期でした。
私の周囲に味方は一人もいない、そう感じていた時でした。
こうやって改めて見返してみると、小さな話の積み重ねで自分の小ささが笑えてきます。
とはいえ、その当時は必死だったんです。
ちょうどこの時期に、家内が体調を崩したりという事もあったので余計かもしれません。
もし、当時の私にアドバイスするとすれば、
目の前に起こる現象に右往左往するな
という事でしょうか。
実は、表面的に現れる「症状」はあくまで現象にすぎません。
インフルエンザなどで、熱が出たときに解熱剤を飲んでもインフルエンザが治るわけではありません。
その本質であるウィルスを退治することが必要なわけです。
この当時は、その根っこを探ろうとせず、目の前に飛び出す問題にもぐら叩きのように振り回されていたような気がします。
その根っこを探るのは非常に大変な作業なのですが、
当時の状況がそれを行うきっかけとなったので良い機会だったのかも、
と思えるようになりました。
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